1988年から活動を続けてきた、国民的人気アイドル「SMAP」。グループとしてだけではなく、それぞれの個性を活かし、個々の活動も注目を集めていましたが、2016年12月31日をもって解散することが発表されました。


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敏腕マネージャーの登場

「SMAP」がデビューした、1991年は、
アイドルが活動の主流としていた音楽番組が、
次々と終わりを告げていた時代で、

同時に、ジャニーズ事務所の勢いにも、
衰えが見え始め、

「SMAP」もその例にもれず、
音楽番組で顔を売ることができなかったことから、
まったく売れず、事務所から放置されている状態でした。

そんな折、当時、ジャニーズ事務所の、
一介の事務員でしかなかった飯島三智さんが、
自ら志願し、「SMAP」のマネージャーに転身。

飯島三智さん

飯島さんは、「SMAP」のメンバーを、
バラエティ番組や、主役以外のテレビドラマにも、
積極的に進出させます。

この試みにより、「SMAP」の知名度は上がり、
結果的に、アイドル業でも大成功を収め、

「SMAP」は、ついに、老若男女、誰もが認める、
国民的スーパースターの地位に上り詰めたのでした。

ジャニーズ帝国復活も・・・

そして、ジャニーズ事務所は、
他のグループも、この「SMAP」と、
同じ手法により売り出し、
かつての勢いを取り戻します。

当然、ジャニーさんとメリーさんも、
飯島さんを事務所の恩人と厚遇し、

メリーさんの娘で、いづれ、
ジャニーズ事務所を継ぐことになる、
ジュリーさんと飯島さんの仲も、
非常に良好だったそうです。

しかし、次第にメリーさんは、
娘のジュリーさんのマネージメント能力が、

明らかに、飯島さんより、
劣っていることに、不安を覚え始め、

ジュリーさんの将来を案じるあまり、
飯島さんの存在を危険視するように、
なっていったのでした。

派閥

そんな不穏な空気を察したジャニーさんは、
子会社「ジェイ・ドリーム」を作って、
飯島さんに経営を任せるなど、

飯島さんが、メリーさんに気兼ねなく
仕事ができる環境を与え、

両者がお互い干渉しないように、
取り計らいます。

さらに、2010年には、
「KAT-TUN」のマネージメントを飯島さんに任せ、
それ以降、若手グループを、
次々と飯島さんに委ねたのでした。

しかし、メリーさんは、
飯島さんが、ジャニーさんの権威を、
笠に着ているようにしか見えず、
飯島さんへの猜疑心が激化。

やがて、飯島さん派のタレントと、
ジュリーさん派のタレントとの共演がNGになるなど、

事務所の活動に大きな影響が出るまでに、
事態は発展することとなったのでした。

解散危機が発覚

この騒動が明るみに出たのは、
2015年「週刊文春」の、
メリーさんへのインタビューがきっかけでした。

記者が、この状況を「後継者争い」と捉え、
メリーさんに、ジュリーさんと飯島さんの、
派閥争いについて話を向けると、
メリーさんは激高。

その場に飯島さんを呼び出して叱責、

「事務所を出ていってもらう!」

と、「SMAP」を連れて事務所を去るように、
問答無用で命じたというのです。

ジャニーさんは、当然、
飯島さんと「SMAP」の離脱に反対するも、

メリーさんの不信感が、
ジャニーさんにも向けられていたため、
引き止めることができなかったのでした。

移籍するはずが・・・

そして、2016年9月をもって、
飯島さんと「SMAP」が事務所を退社し、
「ケイダッシュ」に移籍することや、

その後の「SMAP」の利益分配などの交渉を、
メリーさん、飯島さん双方の、
弁護士が進めていたのですが、

2015年12月、メリーさんが、
突如、ヒステリーを起こし、

交渉を無視して、
興行権を全て寄こすよう、
要求し始めたというのです。

飯島さんが交渉をやり直そうとすると、
メリーさんは、聞く耳もたず、交渉は決裂。

すると、突然、「SMAP」木村拓哉さんが、
「事務所に残留する」と言い出したのでした。

この事態に、「ケイダッシュ」は、
ひとり欠けた「SMAP」の受け入れに難色を示し、

飯島さんと「SMAP」は、
宙に浮いた状態になってしまったのでした。

事務所内のゴタゴタ

こうして、ジャニーズ事務所は、
各メディアに、

飯島とメンバー4人が独立を画策、
頓挫したもので、元の鞘に収まるのは絶望的。

との筋書きで報道することを許します。

実際、「SMAP」を解散させ、
木村さんを除く4人を、飯島さんとともに
事務所から離脱させる心づもりでいたのですが、

2016年1月に発売された「週刊新潮」により、
メリーさんが飯島さんを追い出した顛末が発覚。

さらに、一部、ジャニーズ事務所の、
コントロールのきかないメディアや、
インターネット上でも真実を暴露されてしまい、

ジャニーズ事務所には、
抗議の電話が殺到。

これに慌てたジャニーズ事務所は、

独立画策を後悔している4人に、
木村さんが助け船を出す

という筋書きを、各メディアに書かせ、

4人に対する世間の同情心を弱めると同時に、
木村さんの寛大さを、
印象づけようと試みたのでした。

謝罪メッセージ

そういう訳で、2016年1月18日、
「SMAP×SMAP」の番組内では、
5人による謝罪メッセージが放送されたのですが・・・

木村さんのネクタイが白色なのに対し、
他の4人は黒色、

また、立ち位置や発言内容が、
明らかに、木村さんと他の4人の差を、
感じさせる演出で、

何よりも、4人の憔悴しきった表情が、
見ていて、いたたまれないほどだったのです。

特に、草彅さんの、

皆さんの言葉で、
気づいたこともたくさんありました。
本当に感謝しています。

今回、ジャニーさんに謝る機会を木村君が作ってくれて、
今、僕らはここに立ててます。
5人でここに集まれたことを安心しています。

という言葉には、
ジャニーズ事務所の意図が明らかに見え、

この謝罪メッセージには、

「ジャニーズがメンバーを無理やり謝罪させた」

「公開いじめだ」

と、批判の声が殺到したのでした。

事態の収拾を図るも・・・

しかし、その後、

「今後は、木村さんを別格扱いにする」

というような記事が、
「週刊文春」「週刊新潮」に掲載されます。

(ジャニーズ事務所(メリーさん)が、
 根回しをしたと噂されています。)

また、ジャニーズ事務所内では、
メンバー間のぎくしゃくを取り除くかのように、
お食事会が開かれるなど、
事態の収拾を図っていったのでした。

そして、飯島さんだけが、
独立騒動の責任をひとりで負い、
事務所を、そして芸能界を去ったのでした。

仕事が激減

こうして、解散騒動は、
表面的には収束したものの、

メンバー4人と事務所の溝は埋まらず、
そのうえ、窓口だった、
飯島さんがいなくなってしまったため、

新規開拓ができず、
「SMAP」の仕事は激減。

また、個人としての活動も同様で、
木村さん以外の4人のCMは、

契約期間満了ということで、
次々と終了していったのでした。

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解散発表

そして、2016年8月14日、
事務所から「SMAP」が解散するFAXが、
各メディアに流されます。

8月10日に、木村さんを除く4人が、
解散を申し出たというのです。

中居さんは、「解散」ではなく、
当面の間、「活動休止」ということにしてはどうかと、
訴えたようですが、

稲垣さん、草彅さん、香取さんが、
解散を望んだとのこと。

これをもって、「SMAP」としての活動は、
2016年末までと確定したのでした。

さて、いかがでしたでしょうか?

芸能界の縮図を垣間見るような、
今回の「SMAP」の解散騒動。

結果的には、「解散」
という形になってしまいましたが、

5人とも、それぞれ違った、
素晴らしい才能をお持ちなので、

これからは、個々の活動で、
ぜひ、「世界にひとつだけの花」を、
咲かせてほしいですね。

応援しています!!

⇒SMAP!初期はスケートボーイズだった!ベストアルバムは?

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