萩本欽一!明石家さんまやタモリとの関係は?妻は?現在は?

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1966年、25歳の時、坂上二郎さんと「コント55号」でデビューされた、コメディアンの萩本欽一(はぎもと きんいち)さん。その後、1970年代から1980年代にかけて、「欽ちゃんのどこまでやるの!」「欽ドン!良い子悪い子普通の子」「欽ちゃんの週刊欽曜日」など、軒並み高視聴率を記録し、「視聴率100%男」と呼ばれました。そんな萩本さんについて、話題になっていることを調べてみました!




プロフィール!


萩本さんは、1941年5月7日生まれ、
東京都台東区のご出身です。

身長164センチ、
体重65キロ、

血液型はA型、

出身高校は、
駒込高等学校、

だそうです♪


明石家さんまと?


萩本さんは、1970年代、
一般人をいじり、その面白さを引き出すという、

現在では当たり前となった芸風を確立し、
大成功を収められたのですが、

1980年代になると、
タモリさん、ビートたけしさん、
明石家さんまさんが、台頭してきます。

それでも、萩本さんは、
たけしさんやタモリさんに対しては、
まだまだ強気でしたが、

さんまさんに対しては、
そうではなかったようです。

というのも、萩本さんは、
「欽ちゃんのドンとやってみよう!」で、
初めてさんまさんと共演されたのですが、

本番前に楽屋で顔を合わせても、
ふたりとも意識しすぎて、
うまく話すことができずにいた時に、

さんまさんから、「申し訳ない」という、
気遣いを感じたそうで、

「負けるものか!」という気負いが、
途端になくなったのだそうです。

しかし、いざ本番になると、さんまさんは、
さっきまでとは打って変わって、
「やっつけてやる」と言わんばかりの話術を炸裂。

萩本さんは、

「コイツになら負けてもいい」
「後が楽しみだな」

と、思われたそうで、

そう思わせるところが、
さんまさんのさんまさんたるところと、
おっしゃっていました。



さんまさんも凄いですが、
欽ちゃんも、さすが、
「大将」と呼ばれるだけの人物ですね!

タモリと?


それでは、タモリさんとの仲は、
どうなのでしょうか?

萩本さんは、2014年、初めて、
「笑っていいとも!」に出演されているのですが、

その時、

「オレ、(タモリのことが)大嫌いだよ!」

と発言され、話題となったようです。

というのも、
今から35年程前のこと、

萩本さんの近所に住んでいたタモリさんが、
夜11時に突然、萩本さんの自宅に、
やってきたというのです。

その時、萩本さんは、
放送作家と番組の打ち合わせ中だったのですが、

タモリさんは、お構いなしに、
朝までしゃべり続けたそうで、

その結果、萩本さんは寝不足のうえ、
打ち合わせ不足になってしまい、
その日の番組収録はボロボロに。

それ以来、萩本さんは、
「笑っていいとも!」の出演オファーを、
断り続けていたのでした。

しかし、それは、
タモリさんが嫌いだから、ではないそうで、

萩本さんは、そのことについて、

違うの(笑い)。
「好きだよ」って言ったらウケないから、
逆に「嫌いなの」と毒づいたんです。

夜の11時に突然やってきて、それから8時間、
イグアナのモノマネとか、四か国語マージャンとか、
持ちネタをずっとやり続け、

居合わせた放送作家の連中は、
「タモリっておもしろいな!」って大感動しちゃって。

「このヤロー、コメディアンのオレを、
こんなに笑わせやがって」って思って。

でも、すごい奴だと感心しましたね。

と、明かしておられました。



ちなみに、萩本さんが、「笑っていいとも!」の、
出演オファーを断リ続けていたのは、

お友達を紹介するのが難しかったから、
との理由だったそうで、

この出演時は、友達を紹介しなくていい、
ということだったので、
オファーを受けたのだそうです♪

妻は?


そんな萩本さんの、
気になるプライベートなのですが、

萩本さんは、1975年、
2歳年上の元ストリッパーだった、
澄子さんという女性と結婚されています。

萩本さんは、
まだ、駆け出しの芸人だった頃、

「浅草フランス座」でのストリップの合間に、
コントを披露されており、そこで、
澄子さんと知り合われたのでした。

澄子さんは、家庭の事情で、
18歳からストリッパーとして、
働かれていたそうですが、

明るく、お姉さん気質の澄子さんは、いつも、

あんた、素質あるんだから、がんばってね。

と、萩本さんを、
励ましてくれたのだそうです。

「コント55号」で大ブレイクするも・・・


ほどなくして、
お二人は、同棲を開始。

といっても、当初は、生活費のほとんどを、
澄子さんが負担していたそうですが、

次第に、萩本さんが売れ始めたことから、
萩本さんは澄子さんにプロポーズ。

しかし、澄子さんは、
プロポーズを拒み続けられたそうです。

そして、ついに、萩本さんは、
「コント55号」で大ブレイクするのですが、



澄子さんは、売れっ子になった萩本さんに、
迷惑がかかってはいけないと、
萩本さんの元を去ってしまったのでした。


再会&結婚


萩本さんは、手を尽くして、
澄子さんを探し回ったそうで、

ようやく澄子さんを見つけ出すと、
再び、プロポーズ。

しかし、

「有名人の妻にはなりたくないのよ」

と、またしても、
断られてしまいます。

それでも、萩本さんは諦めず、
奥さんにするなら、絶対、
澄子さんだと決めていたそうで、

萩本さんは、そのことについて、

僕はもう絶対に離さないと決めていた。
売れっ子になると女性にもてる。

週刊誌に女性スキャンダルを書き立てられたこともある。
ウソばっかりじゃなかった。だけど嫁さんは澄子さん。
その思いはずっと変わらなかった。

恩ある人だからだけじゃない。
澄子さんを思うと心が温かくなるんだ。

と、語っておられました。

そして、1975年、
ようやくお二人は結婚。
その後、3人の息子さんに恵まれ、

現在も、幸せな結婚生活を、
送られているとのことです♪

萩本さんは、結婚を発表した当初は、
奥さんがストリッパーだったこともあり、

名前など、詳しいことは、
伏せておられましたが、

2007年に発表した自伝で、
奥さんの実名を明かし、

さらに、2014年、
日経新聞で掲載された「私の履歴書」でも、

結婚に至る経緯や、奥さんについて、
詳しく記されているそうです。

現在は?


さて、萩本さんは、
現在何をされているのでしょうか?

調べてみると、
萩本さんは、2014年から、
休養に入られていたようですが、

2015年4月から、
大学に通っておられるのだとか。

萩本さんは、そのことについて、

「楽しいです」って言ったらキザになるから、
「大学は今のところ、嫌なことはありません」

試験はありました。
先生の言っていることがわからなくて、
違う欄に書いていたら、隣の人が教えてくれました。

と、欽ちゃん節炸裂で、
語っておられました。

また、先生や他の生徒からも、
「欽ちゃん」と呼ばれているそうで、

そのことが、とてもうれしい、
ともおっしゃっていました。

しかも、萩本さんは、

新しい出会いからアイデアが生まれて、
(大学を卒業した)4年後に、
きっといいテレビ(番組)が、
できるんじゃないかと思っています。

と、大学卒業後の芸能界復帰にも、
意欲を見せておられ、

80歳間近とは思えないほどの、
バイタリティ!

一時代を築いた欽ちゃんのパワーは、
まだまだ、力を秘めているようですね。

欽ちゃんの復帰を、
心待ちにしています!!



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