泉ピン子!下積み時代は?師匠は牧伸二!確執?

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1983年、NHK連続テレビ小説「おしん」でブレイクされた、女優の泉ピン子(いずみ ぴんこ)さん。1990年には、「渡る世間は鬼ばかり」シリーズで、演技派女優としての地位を確立され、以降、嫁をいびる姑の役など、意地悪な役で人気を博しています。




プロフィール!


泉さんは、1947年9月11日生まれ、
東京都中央区のご出身です。

身長153センチ、
体重65キロ、

血液型はB型、

学歴は、
日本音楽学院付属高校中退、

趣味は、
麻雀、パチンコ、競馬、プロ野球観戦 、

だそうです♪


不遇な時代


泉さんは、高校中退後、
「三門マリ子(みかど まりこ)」名義で、
劇場の前座歌手として歌われていたところ、

1966年に、ある芸能事務所の社長にスカウトされて、
漫談歌手の道に入られました。

泉さんは、「泉ピン子」の芸名を与えられると、
その事務所に所属されていた、
ウクレレ漫談家の、故・牧伸二さんに師事。


当時の牧伸二さんと泉ピン子さん。

牧さんの付き人をしながら、
歌謡漫談家としてデビューされるのですが、

しばらくは、キャバレー回りが続き、
不遇な時代を過ごされたのでした。


リポーターで人気に


しかし、1975年には、
バラエティ番組「テレビ3面記事 ウィークエンダー」で、
番組リポーターに抜擢され、一躍、知名度がアップ。


「ウィークエンダー」より。

ただ、この番組は、全国で伝えられることのない、
B級事件の解説や、下世話な話題、下ネタ、
などを取り上げることが多かったため、

泉さんは、「新日本婦人の会」が選ぶ、
「ワーストタレント1位」に選ばれることも。

泉さんは、当時を振り返り、

「牛のオッパイも嫌なほど可憐な女の子だった」

とおっしゃっており、

知名度がアップしたとはいえ、
このお仕事は不本意だったのかもしれませんね。

女優へ転身


また、同年、泉さんは、「花吹雪はしご一家」で、
テレビドラマデビューも果たされています。

このドラマの演出家・鴨下信一さんいわく、

美人でなく、知的でもなく、金もない、
“3ナイ女優”を探していた

ところ、泉さんに、
白羽の矢が立ったそうで、

この頃から、泉さんは、
本格的に女優業を始められ、

テレビドラマや映画に、
出演されるようになったのでした。

「おしん」でブレイク


そして、泉さんは、1983年、
NHK連続テレビ小説「おしん」で、
おしんの母親、谷村ふじ役を演じられると、

このドラマは、平均視聴率52.6%という、
高視聴率を記録する国民的人気番組となり、
泉さんも大ブレイク。


「おしん」より。

また、このドラマの脚本家、
橋田壽賀子さんに高く評価され、

1990年「渡る世間は鬼ばかり」
1992年 NHK連続テレビ小説「おんなは度胸」
2013年「なるようになるさ」

など、橋田さんが脚本を担当するドラマに次々と抜擢され、
女優として不動の地位を確立されたのでした。


「渡る世間は鬼ばかり」より。
(左から)赤木春恵さん、えなりかずきさん、泉さん。


今では、すっかりベテラン女優として、
芸能界に君臨されている泉さんですが、

そんな泉さんの、知られざる、
下積み時代を中心に調べてみました!


師匠・牧伸二との確執


泉さんは、18歳の時から、約8年間、
ウクレレ漫談家の牧伸二さんを師匠とし、
付き人をされていたのですが、

二人の間には、
大きな確執があったようです。

というのも、泉さんは、付き人時代、
雨の時でも傘をさすことを許されず、
牧さんの荷物持ちをさせられていたり、

キャバレー回りをしていた際は、
宿も用意してもらえず、キャバレーの楽屋で、
寝泊まりしていたそうですが、

毎夜、キャバレーの経営者が楽屋に来るため、
ビール瓶を片手に、震えながら、
寝ていたというのです。

さらに、泉さんの当時のお給料は8000円で、
家賃が8000円だったため、

家賃を払うと、生活できなくなってしまい、
深夜に飲食店の皿洗いのバイトをされていたのですが、

それでも、生活は苦しく、泉さんは、
空腹のため、夜も眠れないことも多かったのだそうです。

しかし、師匠の牧さんは、

「芸人をつくるのには10年かかる」

というのが口癖で、泉さんには、
苦労を味わってほしいという親心から、

「そんなことは当たり前」

と、泉さんを助けてくれることはなかったそうで、

泉さんは、いつも、

「師匠は何もしてくれない」

と、嘆いておられたのだそうです。

大ブレイクでブランドにはまる


その後、泉さんは、

1975年「ウィークエンダー」
1983年「おしん」

でブレイクされ、ついに、
牧さんの付き人から解放されるのですが、

それまでの極貧&虐げられた生活から、
一気に売れたことの反動からか、
泉さんの金銭感覚は麻痺。

ブランド「シャネル」の、
バッグや靴を買い漁るようになっていきます。

当時は、女優がブランド品を買うのに、
事務所に借金をするのは当たり前だったそうですが、

事務所が貸すのを渋ると、泉さんは、

「誰のおかげで事務所が食えてるんだ!」

と、激怒。

その結果、1999年には、
事務所からの借金総額が、
3億5千万円にも達したのでした。

師匠と断絶


そんな泉さんを、牧さんは、

「あいつは大丈夫か」

と、いつも心配されていたそうですが、

ついに、事務所は、
泉さんにお金を貸すことを拒否。

それに激怒した泉さんは、
事務所を飛び出す形で独立されたのでした。

この時、泉さんは、
牧さんには何の連絡もされず、

インタビューの中でも、

「自分にとって恩師は杉村春子先生」

と言われ、漫談歌手時代の話や、
牧さんの名前を一切出さなかったことから、

二人は絶縁状態に。

そして、2002年に、
牧さんが「脳梗塞」で倒れたときも、
泉さんは見舞いには訪れず、

2013年に、牧さんが、
多摩川に身を投げて亡くなった時も、

泉さんは弔問のコメントを一切出さず、
沈黙を貫かれたのでした。

ちなみに、二人をよく知る芸能関係者は、

独立からの13年間、ふたりは完全に絶縁状態で、

ピン子さんは、あの下積み時代の日々を、
消し去るかのように、牧さんの名前を、
口に出すことすら嫌がっていました。

あの人のことは絶対許さないっていう思いが、
ずっと心の奥深くに残っていたんでしょう。

と、二人の確執を明かされていました。

さて、いかがでしたでしょうか?

泉さんは、キャバレーの下積み時代には、
客からはヤジを飛ばされ、
テーブルの料理を投げつけられることも、
日常茶飯事だったといわれています。

そんな中、師匠からも、(親心とはいえ)
辛い仕打ちを受け続けた訳ですから、

意地悪な役が板につき、
撮影現場で、スタッフや共演者を、
たびたび困らせられるのも、
致し方ないことなのかもしれませんね。

周りの方には気の毒ですが、

視聴者しては、ぜひ、これからも、
ぞっとするほどのヒール役を、
見せ続けてほしいですね♪

応援しています!!



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