忌野清志郎の死因はガン!治療は代替医療?甲本ヒロト?

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1970年にロックバンド「RCサクセション」としてデビューされた、ロック歌手の故・忌野清志郎(いまわの きよしろう)さん。派手な衣装やメイク、独特な歌声で人気を博し、1976年「スローバラード」、1980年「トランジスタ・ラジオ」、1986年「雨あがりの夜空に」などのヒットを飛ばしました。





そんな、日本を代表するロックスター、
忌野さんを襲った病と、
その最期について調べてみました。

プロフィール!


忌野さんは、1951年4月2日生まれ、
東京都中野区のご出身です。

身長168センチ、

血液型はA型、

出身高校は、
東京都立日野高等学校、

趣味・特技は、
ロードバイク、

だそうです♪


咽頭がんが発覚


忌野さんは、2006年7月、
ご自身の公式ウェブサイト「地味変」で、

咽頭がんを患ったこと、
そして、入院することを発表されると、

音楽活動を休止し、
治療に専念されることに。

ただ、ガンの摘出をすると、
声が出なくなることから、

放射線や抗がん剤での、
治療を図ろうとしましたが、

放射線や抗がん剤の治療も、
胃に穴を空けての流動食生活を強いられ、

これによって、唾液腺がなくなり、
結果的に、歌うことができなくなることから、

忌野さんは、代替医療(だいたいいりょう)
を選択されたのでした。


代替医療とは?


それでは、代替医療とは、
どんな治療法なのでしょう?

調べてみると、

科学的・分析的な近代医学の限界を指摘し、
時には霊の力を援用しながら、
患者の心身全体の調和を取り戻そうとする医療。

ということで、

よく耳にする、「中国医学」「漢方」
「アーユルヴェーダ」なども代替医療の一つなのだそうです。

そして、忌野さんが行った代替医療は、
肉を摂らずに、玄米と野菜中心の、
「玄米菜食法」という食事法でした。

ただ、やはり、それだけで、
ガンを克服することは難しく、

放射線治療をしなければ、
ガンが体全体に転移してしまう恐れがあったため、

忌野さんは、一旦は拒否した、
「放射線治療」を受けることに。

そして、最終的には、
「抗がん剤治療」「玄米菜食法」を、
併用されたのでした。

活動再開!


こうした治療の結果、忌野さんは、
2007年1月には、石田長生さんのライブに、
シークレットゲストとして参加されるほどまでに回復。

これをきっかけに、徐々に活動を再開され、
翌年の2008年2月には、日本武道館で、
「忌野清志郎 完全復活祭」を開催し、
ファンを喜ばせたのでした。



実際、このライブに行かれたファンの方によると、
忌野さんは、以前にも増して力強い声で歌われ、
動きもシャープだったことから、

これまで、ガンの闘病生活を送られていたことが、
信じられないくらいだったそうです。


転移


しかし、同年7月、忌野さんは、
公式サイト「地味変」で、
ガンが、左腸骨へ転移したことを発表。

再びライブ活動を休止されたのでした。

その後も、忌野さんは、
通院での治療を続けながら

楽曲提供や、他のミュージシャンの、
レコーディングに参加されるなど、
音楽活動は続けられていたのですが、

2009年2月頃、ついに、体調不良により、
入院することになってしまったのでした。


他界


それでも、翌月の3月には、
病床からファンに向けて、

デビュー39年記念イラスト「39!BABY」を、
書き上げられたのですが、



これが最期のメッセージとなってしまい、
同年5月2日、容態が急変。
「癌性リンパ管症」のため他界されたのでした。


甲本ヒロト?


そして、2009年5月9日、
「ロック葬」と名付けられた忌野さんの告別式。

生前交流のあった、甲本ヒロトさんが、
弔辞を読み上げられましたので、
全文をご紹介しましょう。

キヨシロー。えー、清志郎、
あなたとの思い出に、ろくなものはございません。
突然呼び出して、知らない歌を歌わせたり、
なんだか吹きにくいキーのハーモニカを吹かせてみたり。

レコーディングの作業中には、
トンチンカンなアドバイスばっかり連発するもんで、
レコーディングが滞り、そのたびにわれわれは、
聞こえないふりをするのが必死でした。

でも、今思えば、ぜんぶ冗談だったんだよな。
今日も、「キヨシローどんな格好してた?」って知り合いに聞いたら、
「ステージ衣装のままで寝転がってたよ」って言うもんだから、
「そうか、じゃあ俺も革ジャン着ていくか」と思って着たら、
なんか浮いてるし。

清志郎の真似をすれば浮くのは当然で、
でもあなたは、ステージの上はすごく似合ってたよ。
ステージの上の人だったんだな。

一番最近会ったのは、去年の11月。
The Whoの来日公演で、武道館の。

そのとき、あなたは客席の人でした。
ステージの上の清志郎じゃなくて、客席の人でした。

たくさんの人が清志郎に憧れるように、
あなたはロックンロールに憧れていました。僕もそうです。

そんな、いち観客どうしの共感を感じ、
とても身近に感じた直後、あなたはポケットから何かを出されて。

それは、業界のコネをフルに活かした戦利品、とでも言いましょうか、
ピート・タウンゼントの使用するギターのピックでした。

ちっともあなたは、観客席のひとりじゃなかった。
僕があまりにもうらやましそうにしているので、
2枚あった、そのうちのひとつを、僕にくれました。
(ポケットの中を探る)
こっちじゃねえや・・・これだ。
ピート・タウンゼントが使ってたピックです。

これはもう返さなくていいね。納めます。ありがとう。 一生忘れないよ。
短いかもしれないけど、一生忘れない。

ほんで、ありがとうを言いに来たんです。
数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。

はは・・・今日もそうだよ、ひどいよ、この冗談は・・・
うん。なるべく笑うよ。そんでね、ありがとうを言いに来ました。

清志郎、ありがとう。それから後ろ向きになっちゃってるけど、
清志郎を支えてくれたスタッフのみなさん、
それから家族のみなさん、親族のみなさん、友人のみなさん、

最高のロックンロールを支えてくれたみなさん、
どうもありがとう。どうもありがとう。 で、あとひとつ残るのは、

今日もたくさん外で待っている、あなたのファンです。
彼らにありがとうは、僕は言いません。僕もそのひとりだからです。

それはあなたが言ってください。
どうもありがとう! ありがとう!

この弔辞は、甲本さんの、
アドリブだったということで、

今や、音楽ファンの間では、
伝説となっている弔辞。

忌野さんと甲本さんの、
魂でつながったご関係がわかる、
本当に心を打たれる弔辞でしたね。

亡くなる直前まで、
ロッカーであり続けた忌野さん。

その魂は、忌野さんの数々の曲の中で、
また、私達の心のなかで、
永遠に力強い輝きを放っていることでしょう。



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