1987年、ミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で演出家デビューされた、宮本亜門(みやもと あもん)さん。ミュージカルのほか、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎など、様々なジャンルの演出を手がけられ、その作品は海外でも高く評価されています。


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年齢は?出身は?身長は?本名は?

宮本さんは、1958年1月4日生まれ、
東京都銀座のご出身、

身長は177センチ、

血液型はO型、

学歴は、
田園調布中学校
⇒玉川学園高等部
⇒玉川大学文学部芸術学科演劇専攻科中退

ちなみに、宮本亜門は本名です。

神社仏閣に魅せられた少年時代

宮本さんは、お母さんが、
「松竹歌劇団」専属の、
元レビューダンサーだった影響で、

幼い頃から、銀座を中心に、
歌舞伎座、日劇、日比谷の映画館などに、
通い詰められており、

幼稚園時代には、日本舞踊を、
小学生時代には、茶道を習われていたそうです。

また、宮本さんが中学生になると、
お母さんが「肝硬変」を患われ、
たびたび、死の宣告を受けておられた影響か、

精神世界の美、つまり、
仏像や神社仏閣の美に魅せられ、

将来は、「裏千家」の家元か、
日本美術史研究家になることを、
夢見ておられたそうで、

宮本さんは、お小遣いを貯金しては、
京都や奈良を旅行され、
建築物、日本画、さらに、西洋美術へと、
興味が広がっていったそうです。

心中未遂

その一方で、宮本さんは、
世間や社会と分かり合うことの困難さや、

当時、交際していた、
初恋の彼女への愛情の高まりから、

「同じ時間に死のう」

と、心中を決意。

二人は、薬局で睡眠薬を購入すると、
分け合い、それぞれの自宅で、
時間を合わせて飲む約束をされたのでした。

ところが、宮本さんは、
翌朝スッキリ目覚めてしまいます。

実は、この睡眠薬は、二人の様子を怪しんだ薬剤師が、
機転を利かして渡したビタミン剤だったのですが、

宮本さんはそうとは知らず、
あわてて、彼女に電話をしたところ、

いろいろと言い訳をはじめる彼女に、
彼女が薬を飲んでいなかったことを知ることに。

同じ死生観を共有していたと、
思い込んでいたはずの彼女に裏切られてしまい、

宮本さんは、更に、
人間不信となってしまったのでした。

(後に宮本さんは、自分ひとりが、
 突っ走っただけだったと反省されています)

引きこもり

その後、宮本さんは、
なんとか、高校には進学するものの、
約1年間ひきこもりになってしまいます。

そして、窓のない自室に閉じこもり、
ミュージカルやクラシックなど、
様々なレコードを聴く生活の中で、
ダンサーに憧れるように。

また、音楽を聴いて浮かんでくるイメージを、
「表現したい」との思いから、次第に、
演出家を志すようになったのでした。

しかし、宮本さんが不登校になってしまったことで、
家族の仲がぎくしゃくしてしまい、

ついに宮本さんは、お父さんと大げんかの末、
高校1年生の終わりの頃に、お父さんの友人である、
精神科医に連れて行かれることに。

すると、そこでは、個性を認め、
おもしろそうに話を聞いてくれた先生のおかげで、
頑なだった宮本さんの心が次第に解放されていったそうで、

宮本さんは、再び、
高校に戻り、演劇部に所属されたのでした。

演劇デビュー

その後、ほどなくして、宮本さんが観劇した、
大学演劇部の舞台に対する感想に、
顧問の先生が興味を持ったことから、

宮本さんは、ミュージカル「ゴッド・スペル」の、
振り付けと主演に抜擢。
演劇デビューを果たされています。

そして、大学の演劇専攻科へ進学されると、
大学4年生の途中、親に内緒で受けた、

ミュージカル「ピピン」の、
ダンサーのオーディションに合格し、
大学を中退することを決意されたのでした。

ダンサー、振付師として

大学中退後、どのような経緯かは、
分かりませんでしたが、

宮本さんは、1978年、
ミュージカル「シーソー」でダンサーとしてデビュー。

その後も、
1980年「ヘアー」「アニーよ銃をとれ」
1983年「シカゴ」

などにダンサーとして出演。

そして、1984年には、
「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」で、
振付師としてデビューを果たされています。

以降、ダンサー、振付師として活動される一方で、
ダンススタジオをオープンされるなど、
順調に活動されていたのですが、

もう一つの夢である、演出家になるチャンスは、
なかなか巡ってこず、半ば、現実逃避で、
ロンドンに遊学されるのでした。

ロンドンで目覚める

そして、ロンドンで、ある時、
イギリス人の友人に、

演出家になりたい。

と、夢を語っていると、

その友人に、

それはわかったけど、
君は演出家として人に何を伝えたいの?

と言われ、はっとしたそうで、

宮本さんは、
その時のことを振り返り、

何のため、誰のために演出をするのかも考えず、
「演出家」という職種名さえ手に入れれば、
何とかなると思っていた自分の浅はかさに気づいたからです。

と、語っておられました。

とはいうものの、
2年間のロンドン生活で、

舞台を700本観るなど、
ご自分なりに勉強されるのですが、
具体的な成果は一つもなく、

もしかしたら、僕の人生は、
何もしないまま終わってしまうのかもしれない。

と考えると、涙が止まらなくなり、
このままではダメだと、
日本へ帰国を決意されたのでした。

「アイ・ガット・マーマン」で演出家デビュー

そして、帰国後、宮本さんは、
演出家として、いろいろなプロデューサーに、
企画書を見せるのですが、

演出家としての実績がなく、振付師だったことで、
相手にしてくれる人は誰もいなかったそうで、

宮本さんは、悔しくて、

日本の演劇界はダメだ。

と、周囲に愚痴を言い続けていたところ、

ある友人から、

何も実績のない人を、
どうやって認めればいいの? 

人に頼ってないで、
自分で舞台を作ればいいじゃない。

と怒られたことで、逆ギレ。
しかし、その通りだと思われ一念発起。

貯金と借金で資金を作り、
仲間に声をかけてキャストとスタッフを集め、

1987年、オリジナルミュージカル
「アイ・ガット・マーマン」で、
念願の演出家デビューを果たされたのでした。

写真は、2012年1月の「アイ・ガット・マーマン」

宮本さんは、
その時のことを振り返り、

稽古を始める前はやっぱり不安でした。
初めて演出する自分に本当にできるのかなと。

でも、いざ稽古に入ったら、
「この音楽を聞いてほしい」
「役者の魅力を見てほしい」
「作品のメッセージを伝えたい」
という思いがあふれてきて、楽しくてたまらなかった。

ロンドンでどんなに考えても、
ぼんやりとしかイメージできなかった、
「自分は何をやりたいのか」ということが、
一歩動くことで具体的に見えてきたんです。

と、明かされていました。

結果、このミュージカルは好評を博し、
翌年の1988年には、「文化庁芸術祭賞」を受賞。

以降、宮本さんは、ミュージカルだけではなく、
ダンス、オペラなども上演し、海外でも活躍。

また、そのほかに、
テレビの司会、CMなどにも出演され、

1993年、ネスカフェゴールドブレンドのCM、
「違いのわかる男」で、一般人に対しても、
広く知られることとなったのでした。

事故?

ところで、宮本さんを「事故」で、
多くの方が検索されているようです。

というのも、宮本さんは、2001年9月、
アメリカ・スタンフォードセンター・リッチフォーラム劇場で、
上演するため、マンハッタンに滞在していたのですが、
その数日後の9月11日、同時多発テロが勃発。

なんとか上演はできたものの、
そのニューヨークからの帰り道、

宮本さんが乗ったタクシーが、
横から別の車に追突され、
電信柱にぶつかってしまいます。

そして、後部座席に座っておられた宮本さんは、
この衝撃で、フロントガラスを突き破り、
なんと15メートルも飛ばされ、
顔と頭に50針も縫う重傷を負ったのでした。

ちなみに、宮本さんは、

完全に意識を失って、
すごいキレイな白い世界を見た。

このまま逝っちゃおうかと思ったけど、
その時に思ったのが演出のある場所、
あれを変えなきゃ、俺が演出するんだ。

と思われ、意識を取り戻されたそうで、
凄まじいまでの演出家魂ですね!

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妻は?

そんな宮本さんの、
気になるプライベートですが、

宮本さんには結婚歴がなく、
ずっと独身のようです。

もしかすると、純粋過ぎる宮本さんは、
中学生の時、彼女に裏切られてしまったことが原因で、

未だに、人間(特に女性)不信の部分が、
残っているのかもしれませんね。

さて、いかがでしたでしょうか?

振付師から念願の演出家に転身し、
日本では、それまで前例のなかったことを、
成し遂げられたの宮本さんですが、

僕は「ひとつの色に染まりたくない」
という思いから劇団に所属しておらず、

かつては「前例がないから、うまくいかないよ」
とよく忠告されました。

でも、今の僕に、
そんなことを言う人は誰もいません。

社会に出て新しいことをしようとしたら、
たいていは叩かれるでしょう。
だけど、臆さずにやってみてください。
成果さえ得たら、周りは必ず認めますから。

と、熱く語っておられました。

これからも、ジャンルを問わず、
宮本さんならではの独創的な作品を、
作り続けて欲しいですね。

応援しています!!

https://www.youtube.com/watch?v=Y_rH0aJWhHk

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