「KinKi Kids」のメンバーで、ソロとしても活動されている、堂本剛(どうもと つよし)さん。アイドルとしての活動のほか、作詞作曲、デザイン、イラストなども、自ら手がけられるなど、多方面で才能を発揮されています。


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プロフィール!

堂本さんは、1979年4月10日生まれ、
奈良県奈良市のご出身です。

身長166センチ、

血液型はAB型、

趣味は、熱帯魚、ギター、
フラワーアレンジメント、料理、レトロなもの、

だそうです♪

子役として

堂本さんは、小学校時代、
大阪府大阪市北区にある児童劇団、
「劇団アカデミー」に所属し、

芸名「堂本直宏(どうもとなおひろ)」名義で、
子役として、舞台、ドラマ、CMなどに、
出演されていたそうですが、

6歳の頃の堂本さん。

この頃から、堂本さんは、
抜群のトーク力を発揮していたそうで、

共演されたキダタローさんは、

とにかく目線がしっかりして、
ゲストやカメラをしっかり見ているのには感心しました。

アドリブがきくのも天性の才能。
台本と違うツッコミを入れてもしどろもどろにならない。

と、語っておられました。

ジャニーズ事務所へ

そんな堂本さんは、小学5年生になると、
芸能活動を辞め、学業に専念されるのですが、

小学6年生の時、お母さんとお姉さんが、
勝手にジャニーズ事務所に履歴書を送られたそうで、

堂本さんは、ジャニー喜多川社長から、
当時、スーパーアイドルだった「光GENJI」の、
コンサートに招待されたそうです。

ただ、当時、堂本さんは、
バスケットに夢中だったこともあり、
直接断るつもりで、コンサートに行くと、

そこには、同じくジャニーさんの招待で来ていた、
堂本光一さんの姿が。

詳しい経緯は分かりませんでしたが、
堂本さんは、光一さんと意気投合したのか、
二人揃ってジャニーズ事務所に入る、
決意をされたのでした。

KinkiKids結成

こうして堂本さんは、
1991年にジャニーズ入りし、

地元、奈良の中学校に通いながら、
仕事のある時は上京する、という生活をスタート。

当初は、堂本光一さんとともに、
「光GENJI」や「SMAP」の、
バックダンサーをされていたそうですが、

1997年、「KinKi Kids」として、
ファーストシングル「硝子の少年」と、
ファーストアルバム「A album」の同時発売で、
CDデビューを果たすと、たちまち大ヒット!

「硝子の少年」

その後も、
1997年「愛されるより 愛したい」
1998年「全部だきしめて/青の時代」
1999年「フラワー」

と、立て続けに大ヒットを飛ばし、
人気アイドルの地位を、
不動のものにされたのでした。

過呼吸で闘病していた?

そんな堂本さんは、人気ゆえの多忙さと、
周囲の大きな期待がプレッシャーとなり、

2000年、コンサートツアー、
ナゴヤドーム第一部公演の途中で、
「過呼吸」の大きな発作に見舞われてしまいます。

そして、2003年5月には、
ついに、「Dome F Concert」の途中で、
体調不良により倒れてしまい、

同月、ジャニーズオフィシャル携帯サイト、
「Johnny’s web」で、

「過呼吸」「パニック障害」で、
闘病中であることを明かされたのでした。

堂本さんによると、特に、
18歳からの5年間が苦しさのピークで、

死にたいと思っているのに、
死ねずにとても苦しかったそうです。

しかし、音楽との出会いや、
パートナーの堂本光一さんの支えがあり、
乗り越えられたとのこと。

堂本さんは、

あんとき諦めんでほんと良かったと、
僕は今思っています。

僕は音楽に出会ってすごく救われた人間です。
だから、自分にとって何か救われる瞬間を与えてくれる、
物やジャンルや世界ってあると思いますよ。

と、おっしゃっていました。

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そして、堂本さんは、
苦しい時期を音楽に救われたことから、

ご自身でも、作詞作曲を、
手がけられるようになります。

というのも、2002年、
シングル「街/溺愛ロジック」で、
ソロデビューされるとき、

ジャニー喜多川社長に、

「作詞作曲をしてみれば」

とアドバイスを受けたそうで、

アイドル活動では表現できない、
本当に伝えたいことを伝えられるのでは、

との思いから、
時間をかけて形にしていったそうです。

「街/溺愛ロジック」

ちなみに、この曲の原型は、

「暗すぎる」

と、事務所から注意され、
書き換えられたそうですが、

それでも、堂本さんの魂の叫びが、
ストレートに伝わってくる楽曲となっています。

さて、いかがでしたでしょうか?

瞬く間に人気アイドルとなり、
バラエティでは、独特の間と、
軽妙なトークが魅力の堂本さんですが、

実は、相当なプレッシャーと、
闘っていたのですね。

この機会に、そんな彼の、
内なる部分が垣間見れる楽曲を、
聞いてみてはいかがでしょう。

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