1999年、NHK朝の連続テレビ小説「凛凛と」で主人公に抜擢され、一躍脚光を浴びた、俳優の田中実(たなか みのる)さん。その後も、「温泉へ行こう」「刑事貴族2」などのテレビドラマで人気を博し、近年は、2時間ドラマを中心に活躍されていましたが、2011年4月に他界されています。

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出身は?本名は?

田中さんは、1966年10月27日生まれ、
東京都大田区池上のご出身、

身長185センチ、
体重76キロ、

靴のサイズは27センチ、

血液型はO型、

出身高校は、
東京都立雪谷高等学校、

趣味は、特になし、

特技は、体が丈夫、

ちなみに、田中実は本名です。

「無名塾」に入塾

田中さんは、1985年、高校3年生の時、進路に迷われていたことから、入学金や授業料のいらない、仲代達矢さん主宰の俳優養成所「無名塾」の試験を、ダメ元で受けられたそうです。

当時、「無名塾」の試験は、1月に行われていたそうで、もし試験に落ちても、
そこから就職活動をすれば良い、と軽い気持ちだったそうです。

しかし、試験の時、入塾後は、中代さんが稽古をつけてくれると聞いて感動され、お芝居を本格的にやってみたい、という気持ちに目覚められたそうで、そんな気持ちが伝わったのか、田中さんは、見事、難関をクリアして、合格されたのでした。

「凛凛と」で脚光を浴びる

そして、田中さんは、同年、無名塾の舞台「どん底」で舞台デビューされると、1987年には、「ジャングル」でテレビドラマデビュー。


「ジャングル」より。(左から)香坂みゆきさん、
田中さん、山口粧太さん、西山浩司さん。

1989年には、「潤の街」で映画デビューも果たされ、翌年の1990年には、NHK朝の連続テレビ小説「凛凛と」で、主人公の畠山幸吉役に抜擢。

この作品は、大正時代、農家の青年が、妻や仲間達に支えられながら、テレビ開発に情熱を注ぐ姿を描いているのですが、平均視聴率33.9%、最高視聴率39.5%、と大ヒットを記録し、田中さんは、一躍、脚光を浴びられたのでした。


「凛凛と」より。(左から)水野真紀さん、
田中さん、荻野目洋子さん、野村宏伸さん。

ちなみに、NHKの朝ドラといえば、ヒロインのイメージが強いですが、この作品は、男性が単独主演という、朝ドラ史上、とても珍しいケースで、平成以降では、この作品と「走らんか!」(1995年)だけなのだそうです。

「温泉へ行こう」で人気を不動のものに

また、1999年には、お昼のドラマ「温泉へ行こう」で、温泉を切り盛りする主人公の椎名薫(加藤貴子さん)を献身的に支え、後に夫となる、武藤健司役を演じられているのですが、このドラマは高視聴率を記録してシリーズ化。

優しく理想的な夫を演じられた田中さんは、主婦層から大きな支持を得て、その人気を不動のものとされたのでした。


「温泉へ行こう」より。田中さんと加藤貴子さん。

以降、田中さんは、火曜サスペンス劇場や土曜ワイド劇場など、2時間ドラマを中心に出演され、2006年には、特撮ヒーロー物の、「ウルトラマンメビウス」にも、サコミズ隊長役で出演。


「ウルトラマンメビウス」より。田中さんと石川紗彩さん。

若い世代にも広く、その名を知られるようになったのでした。

出演作品

それでは、ここで、田中さんの出演作品の一部をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1987年「ジャングル」
1988年「NEWジャングル 第26話『もう一人いた』」
1990年 NHK連続テレビ小説「凛凛と」
1991年「刑事貴族2」
1992年「刑事貴族3」


「刑事貴族2」より。(左から)団優太さん、
宍戸開さん、水谷豊さん、田中さん。

1993年「はやぶさ新八御用帳」
1994年「金田一耕助の傑作推理シリーズ 悪魔の唇」
1995年「夏!デパート物語」
1996年「ふたりのシーソーゲーム」


「金田一耕助の傑作推理シリーズ 悪魔の唇」より。
(左から)吉川十和子さん、谷啓さん、田中さん、古谷一行さん。

1997年「あした吹く風」
1998年「白衣のふたり」
1999~2005年「温泉へ行こうシリーズ」
2000年「柳橋慕情」
2002年「しあわせのシッポ」

2003年「忠臣蔵~決断の時」
2004年「アリバイの彼方に3」
2005年「離婚弁護士II〜ハンサムウーマン〜」第9話
2006年「病院へ行こう!」


「離婚弁護士II〜ハンサムウーマン〜」より。
(左から)天海祐希さん、星野真里さん、田中さん。

2007年「パセリ」
2008年「おみやさん第6シリーズ」第6話
2009年「チャレンジド」
2010年「Mother」
2011年「ホンボシ~心理特捜事件簿~」第4話


「おみやさん」より。田中さんと渡瀬恒彦さん。

映画では、

1989年「潤の街」
1993年「月光の夏」
1996年「宮澤賢治 その愛」
1998年「カンゾー先生」
     「ちぎれ雲 いつか老人介護」


「月光の夏」より。(左から)永野典勝さん、
田中さん、若村麻由美さん。

1999年「アイ・ラヴ・ユー」
2002年「ゴジラ×メカゴジラ」
2004年「草の乱」
     「またの日の知華」


「アイ・ラヴ・ユー」より。
(左から)忍足亜希子さん、岡崎愛さん、田中さん。

2006年「出口のない海」
     「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」

2008年「受験のシンデレラ」
     「スール」

2009年「パラレル~未来を信じた感動の実話~」
2010年「育子からの手紙」


「スール」より。(左から)田中さん、宝生舞さん、山本博子さん。

ほか、数多くの作品に出演されています。

妻や息子は?

そんな田中さんの、気になるプライベートですが、
田中さんは、1993年、3歳年上の一般女性と結婚。

その後、2人のお子さん(娘さんと息子さん)にも恵まれ、子煩悩なお父さんとして、近所でも有名だったのですが・・・

死因は?

田中さんは、2011年4月(44歳)、突然、自ら命を断ってしまいます。

予定されていた撮影現場に田中さんが姿を見せず、不審に思ったマネージャーが田中さんのお母さんとともに自宅を訪れたところ、首をつった状態の田中さんを発見。病院に搬送されるも、田中さんは亡くなってしまったのでした。

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真相は?

いったい、田中さんに何があったのでしょうか。

調べてみると、2つの理由が考えられるようです。

①仕事激減による将来の不安

近年、テレビ業界は不景気のため、ドラマ制作現場では、厳しい経費削減や人員整理が行われていたのですが、2011年3月に起きた東日本大震災がさらに追い打ちをかけたようで、

田中さんは、NHKの朝ドラで主演を張るなど、その高い知名度ゆえにギャラも高く、田中さんのようなベテラン俳優の出演枠は、少なくなる一方だったというのです。

実際に、田中さんの生活が苦しかったかどうかは分かりませんが、

当時中学2年生だった娘さんは、幼稚園からエスカレート式の私立に通われていたこと、

また、自殺を図った田中さんが病院に運び込まれた時、奥さんがパート先から駆けつけたこと(早朝からパートに出られていたとか)、

などを考え合わせると、少なくとも、生活に余裕があったとは考えにくいです。

ちなみに、現在、テレビ業界では、俳優や歌手よりも、ギャラの低い「文化人」枠のタレント(当時のマツコ・デラックスさんなど)が重宝されているようです。

②過去の共演者と不倫のうわさ

また、田中さんは、以前から、お昼のドラマ「温泉へ行こう」で共演された、矢部美穂さんと、不倫がうわさされていたのですが、

矢部さんが2003年に出版した自伝的小説「蒼い告白」の中に出てくる不倫相手が、
田中さんの特徴と一致することから、さらに騒がれてしまい、精神的に追い込まれてしまったのではないか、と考えられているのです。


「温泉へ行こう」より。矢部美穂さん。

ただ、この本は、あくまで、矢部さんの創作ということで、フィクションとノンフィクションが織り交ぜられている作品ということ、また、この本が出版されたのは、田中さんが亡くなる8年も前のことなので、信憑性は低そうですね。

さて、いかがでしたでしょうか?

真面目で誠実な役柄を多く演じ、人気を博した田中さんですが、2011年4月11日、田中さんは最後のブログに、

空を見上げて
考える時は
何か良い事ありそうな気分
下を向いて
考える時は
どこか気持ちが沈んでるような…
考えるから人間だって
言っていたのは誰だっけ
考えるのは大好き
空を見上げて考えたい
空を見上げて考え続けたい

と綴られているので、

現実も、やはり、真面目な性格で思い詰めてしまったのかもしれませんね。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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