1982年、「シブがき隊」でアイドル歌手デビューされ一躍人気を博した、薬丸裕英(やくまる ひろひで)さん。「シブがき隊」解散後は、タレントとして活動されていましたが、1996年には、情報番組「はなまるマーケット」で司会に抜擢され、新境地を開かれました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

薬丸さんは、1966年2月19日生まれ、
東京都武蔵野市のご出身、

身長170センチ、
体重53キロ、

血液型はB型、

学歴は、
武蔵村山市立第四中学校
⇒明治大学付属中野高等学校定時制中退

趣味は、
アニメ、将棋、ドラム、英会話、日曜大工、競馬、プロ野球観戦、サッカー観戦、草野球、ゴルフ、インラインスケート、水泳、ボクシング、

ちなみに、薬丸裕英は本名です。

スカウトでジャニーズ事務所入り

薬丸さんは、中学3年生の時、

ジャニーズ事務所の書類審査に通ったけど、一人じゃ心細いから、一緒にオーディションに行ってくれないか。

と、友達に頼まれて、付き添いで行ったところ、

ジャニー喜多川社長から、

「君もレッスンを受けてみない?」

と、言われたことから、ジャニーズ事務所に入られたそうです。

「仙八トリオ」?

その後、薬丸さんは、1981年、高校1年生の時、「2年B組仙八先生」でテレビドラマデビューを果たされると、


「2年B組仙八先生」より。

同ドラマで生徒役だったジャニーズタレント4人のうち、当時、高校1年生だった、薬丸さん、本木雅弘さん、布川敏和さんが、「仙八トリオ」として人気を博したことから、


(左から)本木さん、布川さん、薬丸さん。

同年、漫画雑誌「週刊セブンティーン」7月28日号で、正式なグループ名と、3人の愛称を募集されたそうで、

9月1日号では、グループ名を「シブがきトリオ」

そして、3人それぞれ、
薬丸さんを「ヤッくん」
本木さんを「モッくん」
布川さんを「フッくん」
と決定したのでした。

「シブがき隊」

そして、翌年の1982年には、「シブがきトリオ」「シブがき隊」に改名し、

5月に、ファーストシングル「NAI・NAI 16」


「NAI・NAI 16」

7月に、セカンドシングル「100%…SOかもね!」をリリースすると、いずれも、大ヒットを記録。


「100%…SOかもね!」

この年の12月には、「第24回日本レコード大賞」で最優秀新人賞を受賞され、「第33回NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たされたのでした。

その後も、「シブがき隊」は、

1983年「挑発∞」
1984年「アッパレ!フジヤマ」
1985年「スシ食いねェ!」
1986年「トラ! トラ! トラ!」


「スシ食いねェ!」

とシングルをリリースすると、立て続けにヒットを飛ばし、「NHK紅白歌合戦」は、1986年まで5年連続出場を果たされています。

解散

しかし、そんな「シブがき隊」も、1988年11月には解散。

メンバーの本木さんが、自分に実力がないにもかかわらず、熱狂的な人気を集めたことが怖くなり、

芸能界を辞めて、パリかどこかで、皿洗いでもして一から出直したい。

と打ち明けられたのが、きっかけだったそうで、

薬丸さんは、「シブがき隊」を深く愛していたことから、続けたいと思われていたそうですが、本木さんを引き止めることはできず、「解散」となったのだそうです。

ちなみに、布川さんは、本木さんに理解を示され、解散に賛成されていたそうです。

解散後

「シブがき隊」解散後も、しばらくは、ジャニーズ事務所に残り、タレントとして、単独で活動されていた薬丸さんですが、

その1年後の1989年には、事務所を「ノースプロダクション」に移籍。

その後も、タレント、俳優として、バラエティ番組やテレビドラマに出演されましたが、その活動はあまりパッとしなかったようです。

はなまるマーケット

そんな中、薬丸さんは、1996年、情報番組「はなまるマーケット」の司会に、岡江久美子さんとともに、大抜擢。

この番組は、生活に役立つ情報を取り上げた、主婦向けの番組なのですが、薬丸さんは、家庭、育児、食事、生活全般にわたり、主婦目線に立った、生活感あふれるトークで人気を博し、新境地を開拓。

岡江さんとともに、2014年まで、17年もの間、朝の顔として活躍されたのでした。

岡江久美子と不仲だった?

そんな長寿を誇った「はなまる」ですが、薬丸さんと、岡江さんの不仲説がうわさされています。

もちろん、ご本人たちは、この不仲説を否定しているのですが、

収録後に口論になることが数多くあり、なんと、番組中にも、机の下で、足を蹴り合っていたこともあったとか。(と、週刊誌には書かれていました。)

というのも、きめ細かい性格で、演出にこだわる薬丸さんに対し、岡江さんは大ざっぱで、思ったことをそのまま顔や言葉に出すところがあり、同じ司会者という立場ながら、意見の食い違いは、常にあったのだとか。

それでも、番組は、長きに渡り、高視聴率をキープしていたのですから、お二人のプロ意識は大したものですね。

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視聴率低迷による打ち切り

しかし、そんな「はなまる」も、近年は、視聴率が5%以下になるなど低迷し、ついに、2014年3月28日で打ち切りに。

ただ、薬丸さんにとって、この話は寝耳に水だったとのことで、

50歳までやりたかった

と、ショックを隠しきれなかったそうです。

しかも、一部報道では、薬丸さんよりも早く、岡江さんだけ、親しいディレクターから番組終了を聞いていたとのことで、このことを知った薬丸さんは、激怒したと言われています。

というのも、岡江さんは、親の介護もあり、体力的にもきつくなってきたため、5年ほど前から番組降板を希望していたそうで、岡江さんを休ませるため、金曜日の放送は録画にするなど、薬丸さんからすれば、協力してきた立場だっただけに、余計に腹立たしかったのでしょう。

薬丸さんは、ついには、

まさか岡江さんが降りるから終了になったんじゃないよね

とまで言われたそうです。

番組の終了という大事な話を、不仲のパートナーが先に知っていたなんて、薬丸さんのお気持ちも分かりますね。

それでも、薬丸さんは、番組最終回では、

30歳という年齢で始めさせてもらって、朝の時間帯にふさわしくない私を、温かい目で見守り、育てて下さり、ありがとうございました。いつも心に、はなまるを。

と、感謝の気持ちを述べ、涙ぐまれたそうで、

さすがに、不仲だった岡江さんとの、机の下での蹴り合いは否定されたものの、

でも、我々も助けられた部分もあるんですよ。17年間の中で(岡江との関係で)浮き沈みが正直あったワケですよ。

こうなって(下がっている)いる時に、その記事が出て、そこから視聴率が良くなったんですよ。

と、明かされると、

岡江さんも、

あの記事ね、本当は私達が流したの!

と、ノリノリで応えられ、最後は、終始、和気あいあいとした和やかな雰囲気の中、息のピッタリあった掛け合いを見せられたのでした。

さて、いかがでしたでしょうか?

「はなまる」が終了したことで、ほっと一息つかれると思いきや、直後の、2014年3月31日からは、またまた、朝の情報番組「なないろ日和!」で、香坂みゆきさんと司会を担当される薬丸さん。

やっくん働きますね~

お体には気をつけて、頑張ってほしいですね。

応援しています!!

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