和泉雅子!若い頃は3人娘?非行少女?北極?山内賢と二人の銀座が大ヒット!

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1961年に、スカウトされて日活に入られ、吉永小百合さん、松原智恵子さんとともに、「日活3人娘」としてブレイクされた、和泉雅子(いずみ まさこ)さん。1971年以降は、テレビドラマを中心に出演されていましたが、1985年、冒険家として、北極点を目指すも失敗。1989年、2度目の挑戦で北極点到達に成功されています。




プロフィール!


和泉さんは、1947年7月31日生まれ、
東京都中央区銀座4丁目のご出身です。

身長156センチ、

血液型はA型、

出身高校は、
精華学園女子高等学校卒業、



趣味は、
生け花、長唄、鼓、日舞、
タップダンス、釣り、合気道、

先祖は、戦国武将の、
竹中半兵衛だそうです♪


スカウトで日活へ入社


和泉さんは、1957年、10歳の時、
劇団「若草」に子役として入団。


小学校1年生の頃の和泉さん。

そして、その後、いつ頃かは分かりませんでしたが、
喜劇役者を志し、「金語楼劇団」に入られると、

柳家金語楼さんが、クイズ番組「ジェスチャー」出演時、
カバン持ちとして随伴された際に、

同番組の共演者で、日活のプロデューサーをされていた、
水の江滝子さんにスカウトされたそうで、
1961年、日活へ入社されたのでした。


「日活三人娘」で人気アイドルへ


そして、和泉さんは、
1961年、「暗黒街の静かな男」で、
日活映画に初出演されると、その後も、

「母あちゃん海が知ってるよ」(1961年11月19日)
「ずらり俺たちゃ用心棒」(1961年12月24日)
「ひとつのいのち」(1962年1月27日)
「銀座の恋の物語」(1962年3月4日)


「銀座の恋の物語」より。(左から)和泉さん、
浅丘ルリ子さん、石原裕次郎さん。


「大氷原」(1962年4月22日)
「若い爪あと」(1962年5月9日)
「若者に夢あり」(1962年05月27日)
「太陽と星」(1962年7月1日)
「若くて、悪くて、凄いこいつら」(1962年9月9日)


「若くて、悪くて、凄いこいつら」より。
和泉さんと高橋英樹さん。


「激しい河」(1962年10月6日)
「海の鷹」(1963年1月11日)
「泥だらけの純情」(1963年2月10日)
「空の下遠い夢」(1963年2月24日)


「泥だらけの純情」より。和泉さん(中央)と浜田光夫さん(右端)。

と、数多くの青春映画に出演され、
吉永小百合さん、松原智恵子さんとともに、
「日活三人娘」として絶大な人気を誇ったのでした。


「非行少女」で演技派女優へ


また、1963年の映画「非行少女」では、
主人公の少女、北若枝役を演じられているのですが、

「エランドール賞」で新人賞、
旧ソ連の「モスクワ映画祭」で金賞を受賞されるなど、
その演技が高い評価を受けたそうで、

「モスクワ映画祭」で審査員を務められた、
フランスの名優ジャン・ギャバンも、
「この子はすごい」と語ったほどだったとか。


「非行少女」より。

しかし、和泉さんはこの頃、まだ15歳と、
無垢で純粋な少女にもかかわらず、
会社の方針で、同役に抜擢されたため、

当初は、到底、非行少女を、
演じることができなかったそうで、

この映画の浦山桐郎監督からは、
演技もダメ出しばかり。

そのうえ、
風呂にはいることも、髪を洗うことも、
母親の付き添いも許されない、
ひどいイジメを受けたのでした。

これを浦山監督が意図してしたのか、
どうかは分かりませんが、

結果、和泉さんは精神的に追い詰められ、

「浦山監督を殺して自分も死ぬ」

と、毎日、日記に書かれていたそうで、

徐々に、そのような恨みが、
演技にも反映されるようになり、

下から睨みあげるような、ふてぶてしい、
非行少女そのものとなったのでした。

山内賢と?


そんな和泉さんは、
女優活動の傍ら、歌手としても活動され、

1965年に、
シングル「めぐり逢う日は」で、
歌手デビューされると、

1966年、1967年には、
山内賢さんとデュエットされた、

「ザ・ベンチャーズ」のカバー曲、
「二人の銀座」(1966年)
「東京ナイト」(1967年)
が、立て続けに大ヒットを記録。



そして、このヒットを受けて、
「二人の銀座」「東京ナイト」は、
和泉さんと山内さんの共演で映画化。

お二人は、日活を代表する青春コンビとして、
人気を博したのでした。


映画「二人の銀座」より。山内さんと和泉さん。

ちなみに、山内さんは、2011年、
ガンのため他界されているのですが、

和泉さんは、お葬式に参列し、

とにかくまじめな人だった。残念です。
裕(石原裕次郎)さん、南田(洋子)さん、
長門(裕之)さんと日活会をつくってくださいね。

と、天国の山内さんに、
語りかけられたのでした。

北極点踏破を目指す


その後も、しばらくは、
日活で活動された和泉さんですが、

1971年には、日活が成人向け映画へと、
路線を転換したことから、
活動の場をテレビドラマへと移され、

1959年「少年ジェット」
1960年「そんなとき私は」
1969年「娘すし屋繁盛記」
1970年「ありがとう」


「少年ジェット」より。

1971年「花嫁のれん」
1972年「姉と妹」
1973年「伝七捕物帳」
1974年「華麗なる一族」


「姉と妹」より。

1975年「徳川三国志」
1976年「ほんとうに」
1977年「たんぽぽ」
1978年「若さま侍捕物帳」

1979年「女の一生」
1980年「愛」
1981年「あした幸福」
1982年「ママ走れ! 」

ほか、数多くのテレビドラマに、
出演されています♪


北極点踏破を目指す


ところで、和泉さんは、1983年、
テレビドキュメンタリーの取材で、
南極に行かれたのですが、

なぜ北極点を目指したのか、
いまだに理由がわからないのですが、
初めて南極の景色を眺めて、驚きました。

私は銀座の出身なので、いつも、
突き当たりのある景色の中にいましたから、
南極の空と海ばかりの雄大な景色を見て、
「あっ世界にはこんなとこもあるんだな。」と感激しました。

南極の景色は見たので今度は反対側の、
あの地球儀の鋲が止まっている北極点の景色が見たい、
と言う気持ちが遠征隊へと発展したんです。

と、その雄大な景色に魅せられたそうで、
1985年には、北極点踏破にチャレンジ。

ただ、北極点まで、
あと148キロというところで、

目の前に大きな氷の割れ目ができたうえ、
その割れ目に取り囲まれてしまい、
1歩も動けなくなってしまったそうで、
惜しくも、断念。

北極点到達


しかし、1989年に、
再度チャレンジされると、

今度は、出発から62日後の5月11日、
見事、北極点到達に成功。



和泉さんは、日本人女性として、
初めて、北極点に到達されたのでした。

和泉さんは、

二度目の挑戦は平成元年。1月28日、成田を出発。
5月10日午前6時30分、北極点、地球のてっぺん北緯90度、
あんなに立ちたかった北極点、あんなに見たかった、
地球のてっぺんの景色を見ることができました。

62日、2ヶ月かけて北極点に立ったわけです。
帰りに飛行機乗って4時間で帰りました。がっくりきました。

北極点は一歩ずつコツコツと、
一生懸命近づくから値打ちがあるのかな、
価値があるのかなと思います。

と、コメントを残されています。

さて、いかがでしたでしょうか?

現在は、バラエティ番組に出演し、
普通の「ニコニコとしたおばちゃん」
のイメージの和泉さんですが、

若い頃の可憐な姿といい、
北極点到達といい、
驚くべき歴史があったのですね~

これからも、お体には気をつけて、
頑張ってほしいですね。

応援しています!!



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