ジョディ・フォスターの身長は?若い頃は天才子役!タクシードライバー?レーガン大統領?

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1965年、3歳の時、日焼け止めクリーム「コパトーン」のCMでデビューされた、ハリウッド女優のジョディ・フォスターさん。その後、13歳の時、映画「タクシードライバー」で少女娼婦役を演じ、一躍注目を集められました。





そんなジョディさんの、子役時代から、
19歳で映画界を遠ざかるまでの、
出来事について調べてみました!

プロフィール!


ジョディさんは、1962年11月19日生まれ、
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのご出身です。

身長161センチ、

出身大学は、イェール大学、

趣味・特技は、
キックボクシング、ヨガ、空手、エアロビクス、重量挙げ、
キッチン用品・モノクロ写真を集めること、

本名は、アリシア・クリスチャン・フォスター
(Alicia Christian Foster)

だそうです♪


「コパトーン」のCMでデビュー


ジョディさんは、4人兄妹の末っ子として、
生まれるのですが、生まれる前に父親が蒸発したことで、
お母さんと、恋人である女性に育てられたそうです。

その後、お母さんは、子どもたちを、
芸能界に売り込まれるのですが、

すでに、子役として活動されていた、
お兄さんのルシアスさんが、
日焼け止めのブランド「コパトーン」の、
CMオーディションを受ける際、

お母さんに連れられて来ていた、
ジョディさんが、突然、乱入すると、

それが、関係者の目に止まり、お兄さんではなく、
ジョディさんがオーディションに合格。

こうして、ジョディさんは、3歳の時、
「コパトーン」のCMでデビューされたのでした。



ちなみに、子犬が、日焼けした少女のパンツを引っ張ると、
真っ白なお尻が丸見えになる、あの愛らしいロゴを、
多くの方が見たことがあると思いますが、

ジョディさんのこのCMは、
非常に評判良かったことから、

あの少女のモデルがジョディさんだと、
いまだ、多くの方が信じているようです。

しかし、あのロゴは、ジョディさんが出演される、
30年も前からあったものなので、
ジョディさんがモデルではありません(^_^;)

つまり、それほど、ジョディさんが愛らしく、
このCMのイメージにぴったりだったということですね♪


子役として活動


その後、ジョディさんは、1968年(6歳)、
テレビドラマ「Mayberry」にレギュラー出演されると、
主にテレビドラマで活動。

また、1972年(10歳)には、
「Napoleon and Samantha」
(日本語タイトルは「ジョディ・フォスターのライオン物語」
で、映画デビューを果たされ、


「Napoleon and Samantha」より。

以降、
1974年「アリスの恋」
1976年「白い家の少女」
     「ダウンタウン物語」



「ダウンタウン物語」より。

など、次々と主要な役を演じ、
その存在感を発揮されるようになっていったのでした。


映画「タクシードライバー」で脚光を浴びる


そして、1976年(13歳)、
マーティン・スコセッシ監督から、

映画「タクシードライバー」で、
12歳の少女娼婦、アイリス役に抜擢されると、

13歳の少女とは思えない、
妖艶な演技を披露され、

「第49回アカデミー助演女優賞」
にノミネートされるほか、

「全米映画批評家協会賞助演女優賞」
「英国アカデミー賞 助演女優賞」

を受賞されるなど、高い評価を受けたのでした。


「タクシードライバー」より。

ジョディさんは、
この衝撃的な役を引き受けられた経緯について、

(70年代前半の)当時の映画が大好きで、
母とよく映画館に行っていた。

母も私に重要な役を望んでいたみたい。
だから出ることにした。

と明かされているのですが、

実際、出演が決まると、

ホットパンツに大きな帽子とサングラス。
初日に衣装デザイナーの前で泣いたのを覚えてる。
初日から恥ずかしかった。

と、辛かったそうです。

ただ、そんな恥ずかしさを乗り越えて、
この役をやり遂げたことで、ジョディさんにとって、
この作品は、思い入れのあるものとなったようです。

ちなみに、あまりに過激なシーンは、
当時19歳だったジョディさんのお姉さんが、
体型が似ていることを理由に、
代役として出演されているそうです♪

鼓膜が破れる


こうして、一躍、
脚光を浴びたジョディさんでしたが、

1976年に全米で公開された映画、
「Freaky Friday」での撮影中、


「Freaky Friday」より。

ジェットスキーのシーンで、
鼓膜が破れてしまう大けがをしてしまいます。

そして、それ以降は、思うように仕事ができず、
落ち込む日々が続くことになったのでした。


イエール大学に入学


その一方で、1978年には、
ロサンゼルスの名門私立高校「リセ・フランセ」
(the private academy Lycee Francais)
に入学され、学業を優先。

ジョディさんは、食事と体育の時間以外は、
すべてフランス語で授業を行うこの高校を、
1980年、主席で卒業されると、

ハーバード大学、コロンビア大学と、
名だたる大学を蹴って、
名門、イエール大学に入学されています。

ちなみに、ジョディさんは、
フランス人がネイティブだと信じてしまうほど、
完璧なフランス語を話すことができるとのことで、
ここでも天才ぶりを発揮されています。


ヒンクリーによるロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件


ところで、1981年、
ジョン・ヒンクリーという人物によって、
当時の大統領だった、ロナルド・レーガン大統領が、
襲撃されるという事件が発生するのですが、

当時大学生だった、ヒンクリーは、
ジョディさんの熱狂的なファンで、

映画「タクシードライバー」を繰り返し見るうちに、
主人公のトラヴィス(ロバート・デ・ニーロさん)と、
自分自身を重ね合わせ、

一方で、ジョディさんが演じていたアイリスを、
ジョディさん本人だと思い込み、ジョディさんに対して、
偏執的な愛情と妄想を抱くようになっていったそうで、

ジョディさんがイエール大学に進学したことを知ったヒンクリーは、
イエール大学のあるコネチカット州ニューヘイブン市に移住。

ジョディさんの自宅のドアの下に、
自作の詩を書いたメッセージを挟み込んだり、
繰り返し電話をするなど、ストーキングを始めると、

1980年には、とうとう、
映画「Carny」の撮影現場にまで現れ、
パレードのシーンで、ピエロ役で出演と、

日増しに、ストーキングは、
エスカレートしていったのだそうです。


「Carny」より。

そして、ついに、ジョディさんから拒絶され、
ジョディさんとの接触を絶たれたヒンクリーは、

ジョディさんの気を引くために、
ジョディさんの目の前で、
自殺を図ることを思いつくのですが、

やがて、

「歴史上の人物としてフォスターと同等の立場になるため」

と考えるようになり、
大統領の暗殺を企てるようになったのでした。

こうして、計画を実行に移したヒンクリーは、
当初、ジミー・カーター大統領を、
追いかけていたそうですが、失敗。

その後、神経衰弱となり、精神療法を受けるも、
改善しないまま、作戦を変更し、

1981年、カーター大統領を選挙で破り、
新たに大統領となったレーガンに大統領に、
狙いを定めたのでした。

(その後、ヒンクリーは精神異常者であることを理由に、
 無罪が確定。精神病院に拘束されるも、
 2016年7月、釈放されています)

映画界から遠ざかる


そして、この事件に、
大きなショックを受けたジョディさんは、
表に出ることができなくなってしまい、

その1年後、ようやく、
大学内の舞台に出演。

しかし、その時も、客席に、
ヒンクリーを真似した男がいたということで、

この時のジョディさんの恐怖は、
想像するにあまりありますね・・・

また、ジョディさんは、
この事件のイメージが定着し、
映画界では使いづらくなってしまい、

テレビドラマやフランス映画で、
活動するしかなくなってしまったのでした。

告発の行方~羊たちの沈黙)に続く



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