小林武史の元嫁はMy little loverのakko!作曲家!ミスチルをプロデュース!

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1993年、まだ無名だった「Mr.Children」のプロデュースを担当し、一躍超人気バンドへと導いた、音楽プロデューサーの小林武史(こばやし たけし)さん。1995年には、男女2人組のユニット「MY LITTLE LOVER」を大ヒットさせ、ヒットメーカーの地位を確立されています。




プロフィール!


小林さんは、1959年6月7日生まれ、
山形県新庄市のご出身です。

出身高校は、
山形県立新庄北高等学校、

趣味は、
水泳・ダイビング、

だそうです♪


音楽に親しんだ少年時代


小林さんは、5歳から、
クラシックピアノを始められると、

お兄さんの影響もあり、
様々な音楽(特に洋楽)を聴いて、
育たれたそうで、

高校時代には、ジャズ理論や、
バークリーメソッドという音楽理論を学ばれ、
バークリー音楽大学に行きたい気持ちも、
あったそうですが、

バンドを組んで、米軍キャンプで、
自作の曲を演奏したり、

スタジオミュージシャンとして、
活動を始められるなど、

日本でもある程度学べたことや、
仕事が増えたことで、
実践で経験を積んでいかれたのでした。


作曲家として


その後、小林さんは、1977年(18歳)、
バンド「RICKY&REVOLVER」の結成に参加し、
1981年にメジャーデビュー。

また、バンド活動の一方で、
1982年には、杏里さんの楽曲制作を依頼され、

「思いきりアメリカン」を作曲されると、
ヒットを記録したことで、作曲家としても活動を開始。


「思いきりアメリカン」

1984年頃になると、ギタリストで編曲家の、
大村憲司さんとの出会いをきっかけに、

井上陽水さん、坂本龍一さん、高橋幸宏さん、
大貫妙子さんなど、そうそうたるアーティストの、
ライブに参加されたり、作曲を手がけられるようになり、
引っ張りだことなられたのでした。

(そのためか、同年「RICKY&REVOLVER」を脱退されています)


「サザンオールスターズ」の楽曲を手がける


そして、1987年に、
桑田佳祐さんのファーストソロシングル、
「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」


「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」

続く、1988年に、
セカンドソロシングル「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)」
ファーストソロアルバム「Keisuke Kuwata」


「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)」と「Keisuke Kuwata」

のアレンジに参加されると、

このアルバムのシェフは小林君、
自分は素材として気持ちよく仕事ができた。

と桑田さんに言わしめ、

まだ無名だった小林さんは、このアルバムによって、
高く評価されることとなったのでした。

その後も、小林さんは、1988年、
「サザンオールスターズ」活動再開後、
初のシングル「みんなのうた」以降、
アレンジを担当されるようになり、


「みんなのうた」

1990年には、桑田さんの初監督作品
「稲村ジェーン」の音楽監督、


「稲村ジェーン」

1991年には、桑田さんらと、
バンド「SUPER CHIMPANZEE」で活動されるなど、
桑田さんからとても気に入られたようです。


「SUPER CHIMPANZEE」

(その後、1993年のシングル、
「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」
 最後に、サザンの音楽活動には参加されていません)

「あなたに会えてよかった」がミリオンセラーに


その一方で、1991年には、
作曲とアレンジを手がけられた、

小泉今日子さんのシングル
「あなたに会えてよかった」
ミリオンセラーを記録し、
「第33回日本レコード大賞編曲賞」を受賞。

小林さんは、後に、

この曲でメロディーメーカーとして、
世間に認知されたことが大きな自信になった。

と、語っておられます。



「Mr.Children」を大ブレイクさせる


そして、ノリにノッた小林さんは、

「まっさらなバンドをプロデュースしてみたい」

との思いから、1992年、
当時まだ無名だった「Mr.Children」をプロデュース。

当初は、なかなかヒットしなかったのですが、
1993年9月にリリースした、
アルバム「Versus」あたりから、徐々に売れ始め、


「Versus」

1993年11月、
4枚目のシングル「CROSS ROAD」

1994年6月、
5枚目のシングル「innocent world」

1994年11月、
6枚目のシングル「Tomorrow never knows」



が、立て続けに大ヒットを記録。

特に、1996年にリリースされた、
10枚目のシングル「名もなき詩」は、

累計売上230万枚を超える、
ダブルミリオンを記録し、

「Mr.Children」を、一躍、
超人気バンドへと押し上げたのでした。



「MY LITTLE LOVER」


また、1995年5月には、
知人から紹介されて関心を持っていたakkoさんと、
かねてよりデビューさせたかったという、
ギタリストの藤井謙二さんの二人組ユニット、
「MY LITTLE LOVER」をプロデュースし、

ファーストシングル「Man & Woman/My Painting」で、
デビューさせると、

同年7月には、
セカンドシングル「白いカイト」をリリース。

ここまでは、それほど、
大きなヒットにはなりませんでしたが、

その翌月の8月にリリースされた、
サードシングル「Hello, Again ~昔からある場所~」は、
ドラマの主題歌に起用されたこともあり、
180万枚を超える大ヒットを記録。



さらに、12月に発売された、
ファーストアルバム「evergreen」は、
約280万枚を売り上げるダブルミリオンを記録し、

小林さんは、ヒットメーカーの地位を、
不動のものにされたのでした。


「evergreen」

ちなみに、「MY LITTLE LOVER」は、
ファーストアルバム「evergreen」から、
小林さんもメンバーに加入されましたが、

2002年に、藤井さんが脱退され、
2006年には、小林さんも脱退。

現在は、「My Little Lover」(頭文字のみ大文字)に改名し、
akkoさんのソロプロジェクトとして活動しています。


「ap bank」


以降、小林さんは、

レミオロメン、一青窈さん、鬼束ちひろさん、
PhilHarmoUniQueなど、様々なアーティストをプロデュース。

また、近年は、音楽活動以外にも、
桜井和寿さん、坂本龍一さんらとともに、
環境プロジェクトへの非営利融資機関「ap bank」を設立され、

雑誌「SWITCH」で、
「ap bank」の活動に関する連載を執筆されたり、
「ap bank dialogue」と題した講演を行うなど、
精力的に活動されています。



さて、いかがでしたでしょうか?

様々なアーティストのプロデュースを手がけ、
瞬く間に大ヒットへと導いてきた小林さん。

小林さんは、1991年頃、
「Mr.Children」の初対面の印象を、

(雰囲気が)暗いし、演奏も決して上手くは無かった。

と、おっしゃっていましたが、

桑田さんがおっしゃっていたとおり、
様々な素材で料理をするシェフのように、

そのバンドの個性をうまく引き出し、
かつ、音楽で表現させる力をお持ちなのでしょうね。

近年は、不況と言われている音楽業界ですが、
また、「Mr.Children」「MY LITTLE LOVER」のように、

私達をあっと驚かせるような斬新なバンドを発掘し、
世に送り出してほしいですね!

期待しています!!



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