三國連太郎の妻は?結婚歴4回離婚歴3回!息子は佐藤浩市!

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俳優、佐藤浩市さんの父親でもある、昭和を代表する映画俳優、三國連太郎(みくに れんたろう)さん。自由奔放に仕事をされてきた三國さんですが、プライベートもまた、奔放な女性関係がしばしば話題となっていたようです。





三國さんは、生涯に、
なんと、4度も結婚されているのですが、
そんなプライベートを中心に調べてみました!

最初の結婚は?


三國さんは、1943年に、
兵隊として中国の前線に送られ、
現地で終戦を迎えると、

その後、捕虜として、
収容所で生活していたのですが、

中国からの復員の際、

「独身者より夫婦のほうが引き揚げ船に優先的に乗れる」

と聞くと、

1946年、同じ佐藤姓を持つ女性と偽装結婚。
(三國さんの本名は佐藤政雄さん)

帰国後は、宮崎県宮崎市にある、
奥さんの実家に身を寄せられるのですが、

2年後の1948年、
妊娠中の奥さんと離婚し、
鳥取県倉吉へと向かわれています。

2度目の結婚


その後、三國さんは、
1948年か1949年頃、
鳥取県倉吉市で農協に入られると、

ほどなくして、土地の資産家の娘で、
林政枝さんという方と再婚。

しかし、1950年には、単身上京し、
翌年の1951年に、映画「善魔」でデビューすると、


「善魔」より。

1952年暮れには、
政枝さんと離婚されています。

政枝さんのご家族に、結婚を大反対されたと言われており、
そのことが、離婚に繋がったのかもしれません。


3度目の結婚、息子は佐藤浩市


三國さんは、その後も、
数多くの女優とうわさされるのですが、

3度目に奥さんにされたのは、
当時、神楽坂一の売れっ子芸者だった、
石原とし子さん。

三國さんは、1952年、
映画「戦国無頼」の撮影の合間に、
石原さんと知り合われたそうで、

いつ頃、交際に発展したのかは分かりませんでしたが、
1957年に再々婚され、
その後、1960年に男の子が誕生。


左端が4歳の佐藤浩市さん、その隣が三國さん。

この男の子が、後に俳優となる、
佐藤浩市(さとう こういち)さんです。

(ちなみに娘さんもいらっしゃるそうですが、
 一般の方のようで詳しいことは分かりませんでした。)


太地喜和子と不倫


しかし、三國さんは、1962年、
またもや、家族を捨てて家を出ると、

当時、駆け出し女優だった、
太地喜和子(19)さんと不倫の末、
なんと、太地さんの実家で同棲。

三國さんは、
太地さんの実家に挨拶に行かれた際、

10年経ったら、
せがれが自立できるようになるので、
結婚させてほしい

と、申し出られたのだとか。

ただ、10年後は、まだ、
息子の佐藤浩市さんは12歳ですので、
三國さんは、年齢を偽っていたのでしょう。

しかも、同棲開始から、
わずか3ヶ月(半年という説もあり)で、

「疲れた」

と、置き手紙を書き残し、
またしても、家を出られたのでした。

ちなみに、それから10年後、お二人は、
まさかの、雑誌の対談をされているのですが、

三國さんは、太地さんから、

三國さんはどうしてあのとき、
喜和子から逃げ出したんですか。

と、聞かれると、

10年目にして率直に言うけど…
あなたの体にひれ伏すことがイヤだった。

僕は臆病者ですから、
のめり込む危険を絶対に避けたかったんです。

と、答えられています。

(ツッコミは各自入れてください♪)

最終的な妻は?


その後、三國さんは、1972年10月、
3番目の奥さんである、とし子さんと離婚。

(1962年に家を飛び出して、不倫して、
 まだ、離婚してなかったのが凄いです(^_^;))

そして、1976年、
4度目で、最後となる結婚をされたのでした。

ちなみに、奥さんは、友子さんという方で、
共通の友人だった、写真家の故・ケン影岡さん、
という方の自宅で知り合われ、意気投合されたそうで、

その後、友子さんは、
糖尿病を患い入院されていた三國さんの看病に、
毎日、病室を訪れていたそうですが、

三國さんは、友子さんを、

「まるで天使のように見えた」

と、おっしゃっていたとか。

ただ、友子さんのご両親は、
当然ながら、お二人の結婚に大反対。

すると、友子さんは家を飛び出し、
三國さんと一緒に住み始めたのでした。

三國さんは、明るく笑顔の絶えない友子さんと、
一緒に暮らすうちに性格も変わっていったそうで、

今までなら、妻と連れ立って、
人前に出ることを嫌っておられたことも、
そうではなくなり、

晩年には

「友子のために長生きしなくては」

と言われ、友子さんとの生活を、
大切にされていたとのことでした。


友子さん(左端)と、佐藤浩市さんの奥さんと息子さん。

さて、いかがでしたでしょうか?

公私ともに、本当に、
やりたい放題だった三國さん。

ただ、奔放な女性関係の裏には、
ひどい女性不信があったとも伝えられており、

ひとりの女性と安定した家庭を築くことが、
できなかったのかもしれません。

理由はどうであれ、最終的には、
安らぎを与えてくれる女性と出会うことができて、
本当に良かったですね。

三國さんのご冥福をお祈り致します。



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