1954年、高校1年生で漫画家としてデビューされ、1974年には、「宇宙戦艦ヤマト」のアニメ制作を手掛け大ヒットさせた、松本零士(まつもと れいじ)さん。1978年には、ご自身の作品をアニメ化した「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」が立て続けに大ヒットし、1970年代後半~1980年にかけて、松本アニメブームを巻き起こしました。


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プロフィール!

松本さんは、
1938年1月25日生まれ、
福岡県久留米市のご出身、

血液型はB型、

だそうです。

漫画家デビュー

松本さんは、小学校2年生か3年生の時、
手塚治虫さんの漫画「新宝島」「キングコング」
「火星博士」「月世界紳士」
などを読み、
漫画家を志されたそうで、

その後、いつ頃かは分かりませんでしたが、
同人グループ「九州漫画研究会」を結成し、
同人誌「九州漫画展」の主宰者として活動。

そして、1954年、
松本さんが高校1年生の時、

漫画雑誌「漫画少年」に、
「蜜蜂の冒険」を投稿されると、

見事、掲載され、
漫画家としてデビューを果たされたのでした。
(当時は、「松本晟」名義)

「蜜蜂の冒険」

連載漫画を持つも打ち切りの連続・・・

また、高校卒業後の1957年には、
毎日新聞西部本社版で連載を持つ予定が、

急に担当者が替わったことで、
この話は取り消されてしまうのですが、

月刊少女雑誌「少女」での、
連載が決定し、上京。

以降、「少女」「少女クラブ」に、
不定期で少女漫画を描かれると、



1960年前後からは、
念願の、少年誌・青年誌にも進出。

しかし、松本さんは、SF漫画を好んで描いており、
これが読者にウケず、打ち切りの連続だったのでした。

「男おいどん」が人気に

そして、ついに、1971年、
「週刊少年マガジン」で連載された、
「男おいどん」が、初の大ヒットを記録。

「男おいどん」

この物語は、SFではなく、

老朽下宿で4畳半の部屋を借り、極貧生活を送る、
久留米市出身、短足メガネ、ラーメンライスを好み、
インキンタムシに苦しめられる、

大山昇太(おおやま のぼった)を主人公に描いた、
松本さんの自伝的要素を含むギャグ漫画なのですが、

このヒットで、以降、
「四畳半もの」という、
独自のジャンルを開拓されたのでした。

ちなみに、松本さんは、
半ば開き直りでこの漫画を描かれたそうで、

正直こんな漫画が売れるとは思わなかった。

と驚かれたそうです♪

「宇宙戦艦ヤマト」を手がける

こうして、漫画家として、
成功を収められた松本さんは、

1974年4月には、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の、
デザインを依頼されるのですが、

「全てを任せてもらえるのでなければ」

と、いったんは断られます。

しかし、同年6月、監督を務める予定だった、
山本暎一さんが他の仕事で抜けることになり、
松本さんは、監督とデザインを担当することに。

そこで、松本さんは、1973年の企画書にあった、
キャラクターやメカ設定を一新し、

キャラクターや個々のストーリー作りなど、
作品に深く関わるようになったのでした。

再放送で「宇宙戦艦ヤマト」が社会現象に

そして、1974年10月から、
アニメ「宇宙戦艦ヤマト」が放送されると、

当初は、
同時間帯に放送されていた、

「アルプスの少女ハイジ」
「フランダースの犬」

などの影響もあって、視聴率が低迷し、
本来の予定回数を減らされてしまうのですが、

再放送などで、
次第に注目を集めるようになると、

1977年、劇場版アニメ公開時には、
中高生から青年層の幅広い支持を得て、
社会現象を巻き起こすほどの大ブレイク!

「アニメは子供のもの」という既成概念を覆し、
アニメブームの先駆けとなられたのでした。

時代の寵児に

その後、松本さんは、アニメ制作会社の東映動画に、
イメージクリエイターとして起用され、

「惑星ロボ ダンガードA」
「SF西遊記スタージンガー」

などのテレビアニメにデザインを提供。

そして、1978年には、
「宇宙戦艦ヤマト」のブームにより、

当初アニメ化の企画があったにもかかわらず、
実現に至らなかった、連載中の漫画、

「銀河鉄道999」
「宇宙海賊キャプテンハーロック」がアニメ化。

「銀河鉄道999」

「宇宙海賊キャプテンハーロック」

すると、特に、「銀河鉄道999」が大ヒットを記録し、
松本さんは、一躍、時代の寵児となられたのでした。

ブーム終焉

しかし、1982年には、
「わが青春のアルカディア」が公開されるも、興行は不振。

さらに、その後、続編となる、
「わが青春のアルカディア 無限軌道SSX」が、
テレビアニメとして放送されるのですが、
これも視聴率が振るわず、打ち切り。

1983年には、夏の劇場アニメ映画として、
企画されていた「クイーン・エメラルダス」も頓挫し、
ついに、松本アニメブームは終焉してしまったのでした。

時代の流れか、アニメファンの嗜好が、
美少女もの、メカもの、ラブコメものへと、
変化していったことが、その原因だと言われています。

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近年

ただ、2000年代になると、
全盛期の松本アニメで育った世代が、
アニメクリエイターになったことにより、

テレビ放送では、

2003年「SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK」
     「SUBMARINE SUPER 99」
     「銀河鉄道物語」

2004年「宇宙交響詩メーテル 銀河鉄道999外伝」
2006年「銀河鉄道物語~永遠への分岐点~」

「銀河鉄道物語~永遠への分岐点~」

劇場版では、

2003年「インターステラ5555」
2013年「キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK」

「キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK」

が公開されるなど、
再び、松本アニメが注目を集めています。

さて、いかがでしたでしょうか?

松本さんのヒット作のひとつ、キャプテンハーロックは、
ご自身のお父さんをモデルに生み出されたそうで、

太平洋戦争中、
教育飛行隊の隊長だったお父さんは、

終戦後、多くの元軍人パイロットが、
自衛隊入りしたのに対し、

「敵の戦闘機には乗れない」

と、断固拒否。

そのせいで、松本さん一家は、赤貧の生活を強いられ、
周囲の嘲笑の的となってしまったそうですが、

松本さんは、そんなお父さんを、

「本当のサムライ」

と尊敬しておられたそうです。

ただ、そのような流れを組むアニメは、
ウケなくなってしまい、

ハーロックの過去を描いた「わが青春のアルカディア」
「わが青春のアルカディア 無限軌道SSX」が、
本編「宇宙海賊キャプテンハーロック」へと続き、
さらに、「銀河鉄道999」へと繋がっていく、

当初予定していた物語の展開が、
実現できずに終わってしまったとのこと。

また、従来の「サムライ」的な
ハーロックの性格も変えられるなど、
視聴率に左右されていたようで、

視聴率や興行成績で左右される、
商業アニメの苦しいところですが、

またいつの日か、この壮大なスケールの構想を、
実現できないものかと、期待せずにはいられません!

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