野田秀樹の少年時代は?劇作家!高校2年で処女作!カニバリズム(人肉食)?

Sponsored Link

早くも、小学校高学年の時に演劇の楽しさに目覚められた、劇作家の野田秀樹(のだ ひでき)さん。高校2年生の時には、処女作「アイと死を見つめて」がいきなり評判となり、高校3年生の時に文化祭で上演された「ひかりごけ」は、公演が追加されるほどの人気だったそうです。




プロフィール!


野田さんは、1955年12月20日生まれ、
長崎県西彼杵郡崎戸町(現在の西海市崎戸町)のご出身です。

血液型はA型、

学歴は、
東京大学法学部中退、

だそうです♪


「死にたい」が口癖の父親


野田さんのお父さんは、
朝鮮半島に、学徒出陣されており、
(※学徒出陣とは、学生が出征すること)

終戦後は、家族を養うために、
炭鉱で肉体労働から始め、

最終的には、三菱鉱業(現在の三菱マテリアル)の、
管理職となられたエリートだったのですが、

戦争による心の傷を抱え、
お酒を飲んで酔っ払っては、

「死にたい」

というのが口癖だったそうです。

まだ幼い野田さんに、
友人たちのアルバムを見せては、

「こいつも死んだ」「あいつも死んだ」

と、言うこともあったそうで、

野田さんは、本当に、
お父さんが死んでしまうのではないかと思い、
お布団の中で泣いたこともあったのだとか。

また、野田さんは、そんなお父さんの影響か、
ことがうまく運んでいるときでさえも、
憂鬱で仕方がなくなり、

成長するにつれて、そんな自分を否定するかのように、
シモネタを言ってはおどけてみせるなど、
両極端になっていったそうです。

型破りな教師と出会う


そんなゆううつな気持ちを抱えながら、
成長された野田さんなのですが、

小学校高学年の頃、

小学校なんて、ある程度の読み書きと計算さえ学べればいい。
あとは本を読め、興味があることを調べろ、天気がいい日は外で遊べ。

と言って、授業は係の生徒にやらせたり、
お酒を飲んで、3時頃に来たりする、
型破りで放任な先生に出会われると、

この先生が、
学芸会に熱心だったこともあり、

芥川龍之介の「杜子春」や、
小川未明の「赤い蝋燭(ろうそく)と人魚」
のお芝居をした際には、

友達の金子修介さん(現在映画監督)と、
照明係を担当。

小学校5年生の時には、金子さんが演出し、
自ら「赤ずきん」に主演、女装を経験されるなど、
演劇の楽しさに目覚められたそうで、

野田さんは当時を振り返り、

そういうところで演劇と出合っているわけで、
運がよかったと思います。

普段ゆううつであっても、
舞台でやることは単純に躁(そう)状態なわけでしょう。
なにしろ、いまだに声をからして騒いでいるんだから。

と、語っておられました。

さらに、野田さんは、この先生の、

「とにかく本を読め」

という言葉にも感化され、

日曜日ごとに、図書館へ通っては、
童話、伝記、歴史と、本を読みふけり、
感想文を書いておられたとのことで、

この経験が、後に戯曲を書く、
原点になったのかもしれませんね。

運動部から演劇部へ


こうして、野田さんは、小学校時代、
遊びの延長で、お芝居作りに熱中されていたのですが、

一方で、体を動かすことも、
好きだったことから、

中学校時代は、陸上部で、

高校に進学してからは、
サッカー部で活動されていたそうです。

しかし、高校1年生の時、友達に、

「演劇部がつぶれそうだから入らないか」

と、誘われると、

先輩がいないことを確認し、
それならば、好き勝手にできると、
演劇部に入部。

この頃、学生運動の名残で、
不条理劇が全盛だったため、

初めて上演したのは、
劇作家、別役実さん(不条理劇の第一人者)の、
「門」というお芝居だったそうですが、

まるで理解できず、次は創作劇をやろう、
ということになったのでした。

処女作「アイと死を見つめて」が評判に


そこで、高校2年生の夏休みに、

「みんなで、それぞれ一つずつ戯曲を書こう」

ということになったのですが、
結果的に書いたのは野田さんだけだったそうで、

それが、野田さんの処女作、
「アイと死を見つめて」

この物語は、

パンを買いに行った男がお金を払うより、
パンをとるのが0.0000013秒速かったため泥棒として裁かれる。

という内容のもので、

意味もなく、踊ったり、裸になったりする、
舞台だったのですが、たいへんな反響を呼び、

この舞台を観て、
野田さんの才能を見抜いた現代国語の先生は、

知人で劇作家の、清水邦夫さんや矢代静一さんに、
この戯曲を送られたとか。

ちなみに、野田さんは、そのずっと後、
矢代静一さんの娘で舞台女優として、
活動されている毬谷友子(まりや ともこ)さんから、

「お父さんに昔、戯曲送ったでしょう」

と、言われ、びっくりしたと、
おっしゃっていました。

カニバリズム(人肉食)?


そんな野田さんは、高校3年生になると、
文化祭で「ひかりごけ」を上演されるのですが、

これが、さらなる大反響を呼び、
追加公演が出るほどに!

この戯曲は、カニバリズム(人肉食)を、
主題として書かれているのですが、

野田さんは、そのことについて、

食べるというのは生きること。
それを強い形で描くことに興味があり、
今日まで気がつくとカニバリズムに向き合っています。

老人になったら、老人のカニバリズムを書きたいですね。
この公演では畳を教室一面に敷いて舞台にしました。
3日間でしたが、最終日は公演が追加、追加になりました。

と、おっしゃっていました。

また、野田さんは、この頃、
数多くの舞台に足繁く通うようになり、

特に、ピーター・ブルックの「夏の夜の夢」を観て、
空中ブランコを使った遊び感覚あふれる舞台に、
感銘を受けられたそうで、

あんな芝居をいつかやりたいと、
ますます、演劇熱が加速していったのでした。

大学時代~大学時代~)に続く



  • LINEで送る
Sponsored Link

Sponsored Link

関連記事

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

カテゴリー

ブログランキング

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 押して頂けると嬉しいです(*^_^*)

このページの先頭へ