唐十郎の元妻は李麗仙!国籍は?逮捕?金粉ショー?状況劇場で紅テント!

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1963年、劇団「シチュエーションの会」(翌年「状況劇場」に改名)を結成され、1967年から「紅テント」と呼ばれる公演を開催された、唐十郎(から じゅうろう)さん。野外にテントを設置してお芝居を上演するという、サーカスからインスピレーションを得た斬新な手法のお芝居は、周囲から迫害を受けながらも、多くの若者たちから支持されたのでした。




プロフィール!


唐さんは、1940年2月11日生まれ、
東京府東京市(現在の東京都台東区)
北上野のご出身です。(日本国籍です)

身長163センチ、
体重67キロ、

靴のサイズは25センチ、

血液型はO型、

本名は、
大靏 義英(おおつる よしひで)、

出身大学は、
明治大学文学部演劇学科、

だそうです♪


少年時代


唐さんは、
お父さんが、理研科学映画の監督、
お母さんが、詩人で小説家、
という家庭で生まれ育ち、

小学校の担任の先生の影響で、
お芝居に興味を持たれると、

早くも、小学4年生の時、学芸会用に、
オリジナルの脚本を書かれたそうです。

そして、中学3年生の時には、
お父さんが監督された短編映画
「この子らに光を」の端役として出演されるなど、

この頃から、本格的に、
演劇活動を始められています。


劇団「状況劇場」を結成


それでも、当初は、お父さんの勧めもあり、
医者を目指されていたのですが、

演劇が忘れられず、
明治大学文学部演劇学科に進学。

そして、大学卒業後の1962年には、
劇団「青年芸術劇場(青芸)」の、
研究生として入団されたのでした。


当時の唐さん

しかし、1963年には、
独自の演劇を追求するために、
「青年芸術劇場」を退団。

同年、笹原茂峻(現・笹原茂朱)さんらとともに、
劇団「シチュエーションの会」(翌年「状況劇場」に改名)を結成し、

旗揚げ公演として、サルトル(フランスの哲学者)作の、
「恭しき娼婦」を上演されています。


李麗仙との出会い


また、この頃、唐さんは、
「舞台芸術学院」に通われていたのですが、

後に妻となる、李麗仙さんと知り合い、劇団に勧誘。

学校を中退した李さんは、
劇団「状況劇場」に入団され、
劇団の活動を支えられたのでした。


唐さんと李麗仙さん。


「金粉ショー」で「特権的肉体論」を生み出す


そして、翌年の1964年、処女戯曲、
「24時53分『塔の下』行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている」
を上演されると、(この時初めて「唐十郎」を名乗られています。)

その後も、
同年「渦巻きは壁の中を征く」
1965年「煉夢術」
     「ジョン・シルバー」

など、立て続けに上演。

1966年からは、李さんら劇団仲間たちと、
油を溶かした金粉を全身に塗って、裸で踊る、
「金粉ショーダンサー」として、
日本全国キャバレー巡りをされています。


金粉ショー

ちなみに、唐さんは、
この、社会の底辺だと思われていた、
キャバレーの見世物小屋に出演することで、

後に、「特権的肉体論」を、
生み出されたと言われています。

(「特権的肉体論」とは、訓練された強靭な肉体としてではなく、
 各役者の想像力を、肉体を通して舞台で表現することを目指した演劇論)


紅テント公演


そんな唐さんは、この「金粉ショー」で、
貯めた約30万円(現在の貨幣価値で約150万円)で、
紅テント(あかテント)を購入されると、

1967年8月、
新宿の花園神社境内に紅テントを建て、

「腰巻お仙 – 義理人情いろはにほへと篇」
を上演。(女性の腰巻きが紅色なことから命名されたそうです)


花園神社の紅テント

実は、唐さんは、
「シチュエーションの会」時代に、
サルトルの戯曲を上演された時、

「なんだ、あのアングラ野郎は」

と批評されたそうで、

それが悔しくてね。

演劇はどこででも成立するという、
僕の思想を表現するには、
それなりの器が必要だなと思ったんです。

と、おっしゃっていました。



(ちなみにこの公演は、神社側から「『腰巻』では国体に反する」
 とのクレームが入り、『月笛お仙』と改題するのですが、
 1週間ほどで元の『腰巻』に戻されています♪)

武勇伝①「新宿西口公園事件」


この紅テントでの公演は、話題を呼び、
しばらく、上演は続いたのですが、

やがて、公序良俗に反するとして、
地元商店連合会などから排斥運動が起こります。

そして、ついに、1968年6月には、
新宿花園神社での上演が出来なくなってしまうのですが、

唐さんたちは、新宿西口中央公園に、
ゲリラ的に紅テントを建てて、
「腰巻お仙 – 振袖火事の巻」を無許可で上演。

すると、公演中、機動隊に囲まれ、
公演終了後、唐さん、李さん、笹原さんは、
逮捕されてしまったのでした。


武勇伝②「天井桟敷襲撃事件」


また、翌年の1969年12月には、
「少女都市」公演初日、寺山修司さんが、
葬式用の花輪を贈ってこられるのですが、

これに、激昂した唐さんは、1週間後、
劇団員を引き連れて「天井桟敷」を襲撃。

(寺山修司さんは、唐さん同様に、アングラ演劇で、
 活躍されている劇作家で、劇団「天井桟敷」の主宰者)

唐さんは、寺山さんらとともに、
再び、逮捕されています。

寺山さんは、葬式用の花輪を贈ったことについて、

「ユーモアのつもりだったが分かってもらえなかった」

と、おっしゃていたそうですが、

唐さんはこれに対して、

ユーモアのつもりなら自分で持って来い、
そもそも話を聞こうと思って行っただけ。
これは殴り込みではない。

と反論。

ただ、「天井桟敷」の旗揚げ公演の際、
唐さんは、中古の花輪を贈っていたそうなので、

これは、明らかに、
寺山さんの仕返しでしょうね。
(二人ともこどもか(^_^;))

さて、このように、
数々の武勇伝を持つ唐さんですが、

本業である、演劇においては、

1970年、「少女仮面」で、
「第15回岸田國士戯曲賞」を受賞され、

その後、海外公演を目指して行かれます。

「海外公演~状況劇場解散~現在」に続く



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