「マルサの女」「ミンボーの女」「大病人」「スーパーの女」を制作し、ハリウッド映画が主流だった当時の映画館において、唯一、日本人の監督として大ヒットを飛ばした、伊丹十三(いたみ じゅうぞう)さんですが、若い頃は、商業デザイナーから俳優に転身し、俳優として活動されていました。

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本名は?出身は?身長は?父は?息子は?

伊丹さんは、1933年5月15日生まれ、
京都府京都市右京区鳴滝泉谷町のご出身、

身長180センチ、

戸籍は、池内義弘(いけうち よしひろ)、
本名は、池内岳彦(いけうち たけひこ)、

(おじいさんの希望で、「義弘」となったそうですが、お父さんが「岳彦」がいいということで、普段は、「岳彦」を使っておられたようです。)

父親は、「日本のルネ・クレール」と呼ばれた知性派映画監督の伊丹万作さん、
奥さんは、女優の宮本信子さん、
長男は、俳優の池内万作さん、
次男は、「伊丹プロダクション」取締役の池内万平さん

その他、義弟(妹の夫)に作家の大江健三郎さんがいらっしゃいます。

ちなみに、伊丹さんは、家事や子育てに関心が深く、料理の腕も一流だったそうです♪


伊丹さん(左)と大江健三郎さん(右)。

大学不合格⇒「新東宝」編集部⇒商業デザイナー

伊丹さんは、転校が多かったそうで、その影響か、休学していた時期があり、1954年、20歳で高校を卒業すると、大阪大学理工学部を受験。しかし、不合格だったそうで、その後、上京し「新東宝」編集部に就職すると、映画編集の仕事に携わったそうです。

ただ、同年中には早くも商業デザイナーに転身し、車内の広告や目次のデザインを手がけられたそうですが、その商業デザイナーも、ほどなくして辞めると、ヨーロッパ旅行へ出かけ、帰国後は、舞台芸術学院で学んだそうです。

ちなみに、伊丹さんは、デザインが好きで、退社後も、自著をはじめ、様々な本の装丁、ブックカバー、ポスターなどをデザインされていたそうで、特にレタリングが得意だったそうです。


「伊丹十三記念館ガイドブック」。カバーのイラストは伊丹さんによるもの。

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俳優に転身

そんな伊丹さんですが、1960年、26歳の時には、「大映」に入社すると、芸名「伊丹一三(いたみ いちぞう)」を名乗り、映画「嫌い嫌い嫌い」で俳優デビュー。


「嫌い嫌い嫌い」のポスターより。中央の画像右から二人目が伊丹さん。

その後も、

「銀座のどら猫」
「偽大学生」
「黒い十人の女」


「偽大学生」より。中央が伊丹さん。右隣はジェリー藤尾さん。

と、続けざまに出演されるのですが、1961年には、「大映」を退社。

「大映」退社後は、

1963年「北京の55日」
1965年「ロード・ジム」


「北京の55日」より。中央が伊丹さん。

などの外国映画にも出演し、存在感のある演技で話題となったようです。

「伊丹十三は監督デビュー作「お葬式」でいきなり高評価を受けていた!」に続く

俳優時代の伊丹さん。

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