松本清張の生い立ちは?少年時代は川北電気!石版印刷の見習い?

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「点と線」「砂の器」「ゼロの焦点」「黒い画集」などの作品を発表し、社会派推理小説という新たなジャンルを開拓された、推理作家の松本清張(まつもと せいちょう)さん。少年時代は文学を夢見るも、貧困のため石版印刷の見習いとして働かれていたそうです。





そんな松本さんの、
作家になるまでについて調べてみました!

プロフィール!


松本さんは、
1909年12月21日生まれ、
広島県広島市のご出身。

(公式には福岡県企救郡板櫃村(現在の北九州市小倉北区)と、
なっていますが、実際に生まれたのは広島市だそうです。)

学歴は、
板櫃尋常高等小学校卒業、

本名は、
松本清張(まつもと きよはる)、

だそうです♪


貧しい幼少期


松本さんは、お父さんが、
下層の仕事を転々とされる、
貧しい家庭に生まれたそうで、

お父さんが学問に対して憧れを持っていたことから、
幼い頃は、夜に本を読んで聞かせてもらったそうですが、

貧しい家計を支えるため、小学校を卒業すると、
株式会社川北電気企業社の出張所に就職。
(現在のパナソニック エコシステムズ株式会社の源流)

お茶くみや掃除、社員の使い走りなど、
今でいう、総務のような仕事をされたのでした。


川北電気時代の松本さん(1925年)

ちなみに、松本さんの初任給は11円だったそうで、
現在の貨幣価値に換算すると、約44000円。

到底、大好きな本を買う余裕はなく、
貸本屋で借りたり、仕事帰りに、
立ち読みされていたのだそうです。


文学に憧れる


そんな松本さんは、
やがて、文学を夢見るようになり、

15、16歳頃になると、芥川龍之介や、
菊池寛の「啓吉物語」、岸田國士の戯曲を愛読。

仕事が休みの日には、図書館に通いつめ、
森鴎外、夏目漱石、田山花袋、泉鏡花や、
世界文学全集を読み漁ったそうです。

また、その一方で、雑誌「新青年」を読み、
海外の探偵小説の面白さにも目覚められたそうで、


「新青年」

国内の作家では、同雑誌にも掲載された、
江戸川乱歩の作品を愛読されたのでした。


失業


しかし、1927年、18歳の時、
勤めていた出張所が閉鎖。
松本さんは失業してしまいます。

そこで、松本さんは、これを機会に、
憧れだった新聞記者を目指し、

地元紙「鎮西報」の社長を訪問。
採用を申し入れられたそうですが、

大学卒でなければ雇えないと、
断られてしまいます。

しかも、折り悪く、一時は繁盛した、
お父さんの飲食店の経営が悪化。

仕事が決まらない松本さんは、
お父さんの仕事を手伝いつつも、

八幡製鉄や東洋陶器に勤める職工たちと、
文学を通じて交流を深め、文学サークルで、
ご自身が創った短編を朗読することに、
楽しみを見出されたのでした。


石版印刷の見習いとなる


そして、翌年の1928年になっても、
就職先が決まらない松本さんは、

手に職をつけようと、「高崎印刷所」で、
石版印刷の見習い工に。

ただ、ここでは、
本当の画工になれないと判断し、
別の印刷所に転職すると、

その印刷所で、基礎から版下の描き方を学ばれると同時に、
広告図案の面白さを知ったのでした。

(ほどなくして、印刷所の主人が麻雀に夢中になり、
 仕事をしなくなったため、松本さんは毎晩遅くまで、
 版画の下描きの仕事に追われたそうです。)


お父さんが借金取りに追われ・・・


しかし、そんな中、
お父さんの飲食店の経営はさらに悪化し、
ついに、店を債権者に明け渡すことに。

そして、以前住んでいたことのある、
工場廃液の悪臭がただよう町に戻り、
小さな食堂を開かれたそうですが、

そのような劣悪な場所では、商売になるはずもなく、
お父さんは借金取りに追われることとなったのでした。


刑務所、そして、読書の禁止


さらに、1929年には、文学仲間が、
「プロレタリア文芸雑誌」を購読していたため、

松本さんにも「アカ(共産党員)の容疑」
がかけられてしまい、刑務所に2週間留置されてしまいます。

そのうえ、釈放時には、お父さんに、
蔵書を燃やされ、読書を禁じられてしまったのでした。

(プロレタリア文芸雑誌とは、苦しい生活を強いられている、
 賃金労働者をテーマにした作品が掲載されている文芸雑誌で、
 国は彼らの訴えを弾圧しました)

「朝日新聞社の広告部員に~戦争で失業~」へ続く



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