美空ひばりの元旦那は小林旭!柔?東京ドーム不死鳥公演が伝説に!

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「天才少女歌手」から「歌謡界の女王」へと登りつめた、美空ひばり(みそら ひばり)さん。晩年は病に苦しまれますが、1988年には、東京ドーム「不死鳥公演」で復帰。このコンサートは、今もなお伝説として語り継がれています。




「モノマネでブレイク!~国民的スターに~」の続き

旦那は小林旭!


そんな美空さんは、1961年秋、雑誌「明星」の企画で、
当時、日活の人気スターだった、俳優の小林旭さんと対談。

すると、たちまち、美空さんは、
小林さんに好意を抱かれたそうで、

雑誌での対談後、美空さんは、
小林さんの出向く先々にまで電話をかけられるなど、
猛烈なアプローチを開始。

小林さんは、後に、

その時(「明星」の対談)、ひばりが、
「恋人はいるの?」と聞くから、「いないよ」と言ったら、

「じゃあ、私と親しくしてよ」ってんで、
気が付いたら恋人になっちゃってた。

と、おっしゃっていました。

そして、最終的には、美空さんは、芸能界での父親代わりでもあった、
山口組三代目組長(後の神戸芸能社社長)の田岡一雄さんに、
自分の思いを小林さんに伝えてくれるように頼まれたそうで、

小林さんは、田岡さんに、

お嬢(美空さん)がアンタにほれてると言うとんのや。
天下のひばりにほれられて、これは男冥利に尽きるやないかぁ。

ひばりはアンタと一緒になれなんだら飯食わんと言うとんのじゃ。
ええやないか。一緒になったれや。

と、すごまれ、断り切れなくなり、
1962年に結婚されたのでした(^_^;)

(結婚式と新婚旅行はされているのですが、
 籍は入れておられません)


結婚披露宴で入刀される、小林さんと美空さん♪

離婚


こうして、半ば強引に、結婚生活(同棲生活)
を始められたお二人ですが、

やがて、小林さんは、良い奥さんになろうと頑張る、
美空さんをかわいいと思い始めたそうで、
やがて、好きだとう感情が沸き、
入籍を希望されるようになっていったそうです。


幸せそうな美空さんと小林さん♪

しかし、今度は、美空さんのお母さんが、
この結婚を快く思わず、入籍に反対。

そして、何かと二人の生活に介入されたそうで、
やがて、お母さんに振り回され、
結婚生活もままならなくなっていきます。

さらに、結婚当初は、
仕事をセーブしておられた美空さんも、

歌うことへの未練を断ち切れず、
仕事を徐々に再開されると、

今度は、美空さんに奥さんとしての役割を求めていた、
小林さんに不満が生まれ、ついに、1964年、
お二人は離婚することとなったのでした。

(結局、お二人は入籍されずじまいだったので、
 戸籍上は、美空さんは独身となっています。)


「柔」が大ヒット


そして、離婚直後、美空さんは、
シングル「柔」を発表されると、
売上190万枚という自身最大のヒットを記録。


「柔」

その後も、

1966年「悲しい酒」
1967年「芸道一代」
     「真赤な太陽」




と、次々と大ヒットを飛ばし、
離婚後も健在ぶりを示されたのですが・・・


実弟が暴力団員と発覚


1973年、美空さんの実の弟、かとう哲也さんが、
三代目山口組系益田組の舎弟頭であることが発覚。


かとう哲也さん

このことで、美空さんと山口組の田岡組長の関係も、
問題視されるようになり、

美空さんは、全国の公民館や市民ホールから締め出され、
激しくバッシングされることとなったのでした。

そのため、美空さんは、
この年の「NHK紅白歌合戦」の出場を辞退。

その後は、NHKから出演の依頼が来ても、
断り続けられたそうで、以降、美空さんが、
「紅白歌合戦」に復帰することはなかったのでした。


度重なる不幸


そして、その後はヒット曲にも恵まれず、
当時の人気シンガーソングライターだった、
来生たかおさん、小椋佳さん、イルカさんなどに、
楽曲提供を依頼し、新境地を開拓されるのですが、

1981年には、
お母さんが「転移性脳腫瘍」のため他界。

続きざまに同年、
父親代わりだった田岡さんが、
「急性心不全」のため他界。

同年の1982年には、
「三人娘」以来、大親友であった、
江利チエミさん45歳で急死。

1984年には、親交のあった大川橋蔵さんが、
「肝臓がん」で他界。

さらに、同年には、美空さんの二人の実弟、
かとう哲也さんと香山武彦さんが、ともに、
42歳という若さで「心不全」で他界。

と身近な人が次々と亡くなってしまい、

美空さんは、悲しみと寂しさを紛らわせるため、
次第にお酒の量が増えていったのでした。


原因不明の腰痛~入院


そして、美空さん自身も、1985年頃から、
原因不明の腰痛に苦しめらるようになり、
痛みをこらえて公演を続けておられたのですが、

2年後の1987年、ついに、
全国ツアー四国公演の巡業中、

耐えられないほどの激痛に襲われ、
病院での検査を受けたところ、

「慢性肝炎および両側特発性大腿骨頭壊死症」
と診断され、緊急入院。

約3ヶ月半もの間、療養に専念されるのですが、
病が治癒せぬまま退院し、苦しい日々を送ることに。


東京ドーム「不死鳥コンサート」~死去~


それでも、翌年の1988年には、
体調が思わしくないまま、

東京ドーム復帰公演「不死鳥~翔ぶ新しき空へ向かって」
の本番で全39曲を熱唱。

39曲目の「人生の一路」を歌い終えると、
ステージから客席後方まで伸びた花道を、

全身激痛に襲われる中、
ゆっくりと観客に手を振りながら、
一人で歩いて行かれたのでした。


不死鳥コンサートで「人生の一路」を歌い終え、
花道を歩かれる美空さん。


また、その後も、すぐれぬ体調とは裏腹に、
精力的にツアーを行われ、

翌年の1989年2月には、
周囲の猛反対を押し切って、
福岡を皮切りに全国ツアーをスタート。

しかし、体調が悪化して、
入退院を繰り返されると、

ついに、同年6月24日、
「間質性肺炎による呼吸不全」のため、
帰らぬ人となったのでした。

さて、いかがでしたでしょうか?

昭和の大スターとして、戦後の日本人に、
夢と希望を与えた美空さん。

近年は、「歌姫」という言葉が、
乱用されていますが、

美空さんこそが、
真の歌姫でありエンターテイナー。

美空さんの魂のこもった歌声は、これからも、
永遠に、聴くものの心を打つことでしょう。

ご冥福をお祈り致します。



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