1979年、特撮ドラマ「仮面ライダー(スカイライダー)」でデビューして以来、40年以上もの間、第一線で活躍し続けている、村上弘明(むらかみ ひろあき)さん。今回は、そんな村上さんの少年時代や俳優を目指した経緯についてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

村上さんは、1956年12月22日生まれ、
岩手県陸前高田市広田町の出身、

身長185センチ、
体重73キロ、

胸囲100センチ、
胴回80センチ、

血液型はA型、

学歴は、
陸前高田市立広田中学校
⇒気仙沼高校
⇒法政大学法学部政治学科中退

特技は、柔道(二段)、

ちなみに、「村上弘明」は本名です。

少年時代は漁師町で育つ

村上さんは、自転車店とワカメの養殖を営む漁師のお父さんのもと、2人兄妹の長男として、湾を抱くように突き出した広田半島の漁師町である広田町で誕生すると、

子供の頃は、海でアワビやウニを取ったりして遊ぶほか、中学生の時には、お父さんの養殖の手伝いをするなど、海を身近に感じながら育ったそうです。

高校時代は医師を目指していた

そんな村上さんは、子供の頃から、成績優秀なうえスポーツが得意で、中学時代は、野球部に所属し、4番ショートで、将来はプロ野球選手になりたいと思っていたそうですが、やがて、医師を志すようになり、宮城県気仙沼市にある進学校・気仙沼高校に越境入学。

(県をまたいでの通学だったことから、毎朝5時に起き、6時15分の始発で、約2時間半かけて電車通学していたそうですが、ナイターの練習に参加すると終電に間に合わなくなるため、野球部への入部はあきらめたそうです)

ただ、大学は、東北大学の医学部を受験するも、不合格だったそうです。

「風と共に去りぬ」を観て映画の世界に憧れる

その後は、地元・岩手県を離れ、宮城県仙台市で、浪人生として勉強に励んでいたそうですが、気晴らしのため、「名画座」で映画を観るようになると、たちまち映画の世界にのめり込んでしまい、勉強そっちのけで「名画座」に通うように。

(500円で3本立ての映画を観ることができたそうです)

すると、やがて、村上さんは、映画「風と共に去りぬ」のラストシーンで、南北戦争の混乱の中、戦争に負けて、めちゃくちゃになった故郷タラの土を掴み、タラの土地を守っていくことを誓う、ヒロイン・ヴィヴィアン・リーさんを観て、いつか都会で戦っていくだろう自分の姿を重ね、映画の世界に憧れるようになったそうです。


映画「風と共に去りぬ」のラストシーンより。

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医学部受験に3度失敗するも映画に関わる仕事をするため東京の大学に

ただ、映画にのめり込み、勉強がおろそかになった村上さんは、案の定、またしても医学部の受験に失敗。

さらには、もう一度(3回目)受験したそうですが、またしても失敗。

そこで、村上さんは、両親に、

東京の大学に行って教職課程を履修し故郷に帰って教師になる

と、半分嘘を言って、東京の法政大学法学部を受験し、合格したそうで、

この時のことを、

映画の素晴らしいところは、いろんな世界に連れて行ってくれること。さまざまな人間ドラマが見れるし、とてもドラマチックで、おもしろい。映画館に行くだけでもワクワクするんです。

私はすっかり映画という玉手箱の虜になり、映画に関わる仕事をやってみたいと思うようになりました。そういった気持ちもあり、医学部を落ちた後に東京の大学を受験しました。より広い世界でさまざまな可能性を探ろうと考えたんです。

と、語っています。

「村上弘明が若い頃は「仮面ライダー(スカイライダー)でブレイクしていた!」に続く

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