1952年、15歳の時、新橋のダンスホール「フロリダ」で歌手活動を開始して以来、70年以上も芸能界で活動を続けている、雪村いづみ(ゆきむら いづみ)さん。今回は、そんな雪村さんのルーツであるお父さんをご紹介します。

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年齢は?出身は?本名は?

雪村さんは、1937年3月20日生まれ、
東京府東京市目黒区大岡山(現・東京都目黒区大岡山)の出身、

身長162センチ、
体重43キロ、

血液型はB型、

本名は「朝比奈知子(あさひな ともこ)」で、愛称は「トン子」「トンちゃん」、

学歴は川村女学院中退、

趣味は、ビーズアクセサリー作り、囲碁、

特技は、絵画(油絵)で、二科展に度々入賞するほどの腕前だそうで、

きれいな色をどうやってだそうかって考えるのがとても楽しいんです。(江利)チエミちゃんも、(美空)ひばりさんも描きましたよ。でも、一番描いたのは娘の(朝比奈)マリアですね

と、語っています。

また、俳優の仲代達矢さんは遠い親戚だそうです。

父親・朝比奈愛三はハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」を結成していた

雪村さんのお父さんは朝比奈愛三(あさひな あいぞう)さんというそうで、1911年に中国・大連で生まれ、満州で育ったそうですが、その後、帰国すると、慶応義塾大学経済学部に進学し、卒業後は、菱系の商社の千代田組に勤務したそうです。

そんな愛三さんは、1939年(昭和14年)夏、軽井沢で、スチールギター(ハワイアン楽器)と木琴奏者の朝吹英一さんと知り合うと、ハワイアン・ミュージックをぜひ教えて欲しいと言ってハワイアン楽器を習い、同年、朝吹さん、原田敬策さん、芝小路豊和さんとともにハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」を結成。

(愛三さんは名家の出身だったのですが、ほかの主要メンバーの多くも、華族や財閥など上流階級出身だったそうです)

そして、1940年(昭和15年)10月に第1回公演を行い、翌年の1941年1月25日に第2回公演(ここから、べース奏者の東郷安正さんが加わったそうです)を行うと、

以降、愛三さん、朝吹さん、原田さん、芝小路さん、東郷さんの5名が中核メンバーとなって活動を続け、アマチュアバンドでありながら、日比谷公会堂(当時の東京で最も著名な音楽専用ホール)で、単独定期公演を行うほか、大手レコード会社から多数のレコードが市販されるなど、高い人気を博したそうです。

(愛三さんは、演奏仲間の募集や集客も担うなどマネージャーも務めていたそうです)

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父親・朝比奈愛三は自殺していた

そして、1943年6月12日には、「第7回定期公演」を行っているのですが、この公演の直前、原田さんが海軍へ、芝小路さんが陸軍への召集が決まったほか、同年8月には、愛三さんが独立して軍需向けの鉄工所を始めることになり、演奏活動やマネージャーを継続することが難しくなったため、「カルア・カマアイナス」は解散。

(原田さんと芝小路さんが抜けることになった時点では、まだ他のメンバーたちは演奏活動を続ける意思があったようですが、愛三さんの退団で解散せざるを得なかったようです)

その後、日本が敗戦したことで、愛三さんの鉄工所も建設途中で中止となったそうで、終戦後、愛三さんは、得意の英語を生かして、「シカゴトリビューン」などの通信社に勤務し通訳として働いていたそうですが・・・

愛三さんは、翌年の1946年、35歳のときに自殺したといいます。

「雪村いづみの生い立ちは?中卒で歌手活動をスタートしていた!」に続く


右から3番目が朝比奈愛三さん。

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