宍戸錠は若い頃ほっぺ手術でエースのジョーが人気!鈴木清順と?

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1955年、「警察日記」で映画デビューされ、2枚目俳優として売り出されるも、自ら頬にシリコンを入れる手術を受け、悪役に転身された、宍戸錠(ししど じょう)さん。それまで、まだ日本にはなかった、アクの強いアンチヒーローを数多く演じ、日活の黄金時代を支えました。




プロフィール!


宍戸さんは、
1933年12月6日生まれ、
大阪市北区のご出身、

身長174センチ、

血液型はB型、

学歴は、
日本大学藝術学部演劇科中退、

だそうです♪


日活の「第1期ニューフェース」として


宍戸さんは、お父さんが事業に成功したことから、
5歳の時、東京滝野川に移り住み、
裕福な幼少時代を過ごされるのですが、

小学6年生の時、
東京大空襲で宮城県白石市に疎開。
高校卒業までこの地で過ごされたそうです。

その後、大学2年生の1954年、
日活の新人俳優募集に応募すると、

8000人の応募者の中から、
見事オーディションに合格。

宍戸さんは、大学を中退し、
「第1期ニューフェース」として、
日活に入所されたのでした。


豊頬手術でアンチヒーローに


そして、翌年の1955年には、
「警察日記」で映画デビューされると、

同年、7本もの映画に出演し、
どれも2枚目の役を演じられていたのですが、


「警察日記」より。

アメリカ映画「死の接吻」(1947)の、
リチャード・ウィドマークや、

イギリス映画「第三の男」(1949)の、
オーソン・ウェルズに憧れ、

悪役でも主人公になれると思ったことから、
整形について考えるようになり、

ついに、1956年、顔に迫力を出すために、
自ら、豊頬(ほうきょう)手術を受け、
アクの強い役(悪役)に転身されたのでした。

(ちなみに、宍戸さんは、オルガノーゲンといわれる、
 パラフィン系の物質を頬に注入されたそうです。)


タフガイ「エースのジョー」と呼ばれる


その後、宍戸さんは、
豊頬手術の甲斐があり、

1959年「渡り鳥シリーズ」
1961年「早射ち野郎」

など、それまでの日本映画になかった、
新しいタイプのタフでハードボイルドな役柄を、
数多く演じられ、人気爆発。

「早射ち野郎」で演じられた役名、
「エースのジョー」が愛称となるなど、
タフガイのイメージが定着しています。


「早射ち野郎」より。吉永小百合さんと宍戸さん。

宍戸さんは、「早射ち野郎」について、

ジョン・フォード監督の『駅馬車』なんかは何回も観ているよ。
あれは世紀の名作だね。

早射ち野郎は、黒いウエスタンハットと、
ドスキンで上下のウエスタンスタイルを作ったんだけど、

ところがブーツなんか売っていなかったから、
それを上手くそれっぽく見せて、
ウエスタンスタイルを作ったんだよ。

ピストルは撃鉄を起こすものがなくて、
早射ちどころではなかったんだけど、

当時の映画の宣伝文句「世界早射ち第三位、0.65秒」は、
上手い文句を作ったもんだと感心したよ。

と、明かされていました。

鈴木清順監督


そんな宍戸さんは、鈴木清順監督の作品でも、
数多く主演を務められているのですが、

1967年「殺しの烙印」で、
その難解さが日活の社長の逆鱗に触れ、
鈴木さんは解雇。


「殺しの烙印」より。宍戸さんと真理アンヌさん。

以降、鈴木さんは、約10年ほど、
映画の仕事ができなくなってしまうのですが、

宍戸さんはそんな鈴木さんに、
ラジオ番組に出演されたギャラを渡すなど、
経済面を支えられていたのだとか。

宍戸さんは、2011年当時、

「2人でそろそろまた映画で暴れようかって話をしているよ。」

と、おっしゃっていましたが、

その願いが叶うことなく、
2017年、鈴木さんは他界されています。

テレビ業界へ


さて、映画界で唯一無二の俳優として、
活躍された宍戸さんですが、

映画界が斜陽期を迎えると、
テレビ業界へと活動の場をシフト。

テレビドラマはもちろんのこと、
1969年頃には、バラエティ番組、
「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」への出演や、

「なんでもやりまショー」の司会、
(1970年からは「元祖どっきりカメラ」

1982年には、「くいしん坊!万才」の、
レポーターなど、幅広く活動されたのですが・・・

「~シリコン除去手術~自宅が火事~息子宍戸開とは絶縁?~」に続く



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