「タミヤRCカーグランプリ」「小川宏ショー」「アイ・アイゲーム」「世界まるごとHOWマッチ」などで、甲高い声と早口なナレーションで人気を博し「七色の声を持つナレーター」と呼ばれた、小倉智昭(おぐら ともあき)さん。70歳を回った現在でも、現役バリバリです♪

「~幼少期は吃音だった~競馬中継で頭角
~カツラが取れた?」
の続き

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大橋巨泉事務所に移籍するも・・・

大橋巨泉さんから、
「大橋巨泉の日曜競馬ニッポン」で、

競馬の実況アナウンサーとして、
スカウトされた小倉さんは、
すぐさま「東京12チャンネル」を退社。

フリーアナウンサーとして、
「大橋巨泉事務所(現・オーケープロダクション)」
に移られたのですが・・・

競馬以外の仕事はまったくもらえず、
以降8年くらい、食べていけない時代が続いたそうです。

そのため借金がかさみ、
25歳で結婚した奥さんとの間には、
息子さんもおられたのですが、
30歳の時には離婚。

小倉さんは当時の生活について、

養育費を月々支払うのも大変で、
事務所にも借金をして。

ガスや電気が止まるのはしょっちゅうで、
新聞も買えないので、電車の吊り棚や、
ゴミ箱から拾ったものを読みました。
新聞の真ん中にガムが貼りついていたり・・・

と、明かされていました。

「世界まるごとHOWマッチ」のナレーション

ただ、古巣であるテレビ東京の、
「タミヤRCカーグランプリ」で、
RCカーレースのナレーションを担当されると、

「小倉のお兄さんだよ」

の、甲高い声と軽快なナレーションで、
小中学生からの注目を集め、

さらには、
「小川宏ショー」のレポーター、
「アイ・アイゲーム」のナレーションで人気を博し、

小倉さんが34歳の時、巨泉さんの人気番組、
「世界まるごとHOWマッチ」のナレーションを担当することに。

小倉さんは、

その仕事をもらえたときはうれしかった。
ただ、出演者は石坂浩二さんやビートたけしさんなど、
個性派ぞろいだったので、

当初、小倉のナレーションは、
普通でいいと言われました。

また、ほかにもナレーション担当がいたので、
毎回1~2本しかなくて。

あるとき、甲高い声でまくしたてるように、
アドリブを入れてやってみたらウケて、

巨泉さんが「その声、面白いぞ!小倉はそれでいこう」
と言ってくれたんです。

と、おっしゃっていました。

ラジオ、ワイドショーの司会で人気

こうして、小倉さんは、
「七色の声が出せるナレーター」として、
脚光を浴びると、

1984年~1987年「小倉智昭のとことん気になる11時」
1987年~1991年「小倉智昭の時計の針はいま何時?」
1992年~1997年「小倉智昭のニュースアタックル」
           「小倉智昭の夕焼けアタックル」

などの、ラジオのパーソナリティでの、
話しぶりが評価され、

1989年~1992年「キャッチ」
1992年~1993年「ジョーダンじゃない!?」
1993年~1999年「どうーなってるの?!」

と、テレビでも、ワイドショーのメイン司会者に、
次々と抜擢されたのでした。

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「情報プレゼンターとくダネ!」で不動の地位

そして、1999年4月には、
フジテレビ「情報プレゼンターとくダネ!」で、
司会者となられるのですが、

「情報プレゼンターとくダネ!」より。
(左から)菊川怜さん、小倉さん、梅津弥英子さん。

昔、就職活動中、フジテレビを受け、

フジテレビで朝のワイドショーを担当したい

と、入社試験の面接時で話されていたことが実現。

28年来の願いが叶った

と、喜びの声をあげられると、

フジテレビが新卒採用していたら、
高額なギャラを払わなくても良かったのに

と、小倉節を炸裂されたのでした♪

さて、いかがでしたでしょうか?

2016年7月には、「とくダネ!」で、
同一司会者による全国ネット情報番組として、
4452回という最多放送回数を達成された小倉さん。

これは、1965年5月3日から、
1982年3月31日まで放送された「小川宏ショー」で、

フリーアナウンサーの小川宏さんが記録した、
4451回を抜いての新記録ということで、
本当に素晴らしいですね。

いつまでも若々しい小倉さんですが、もう70歳。
体には十分に気をつけて、これからも、まだまだ、
その唯一無二のトークを炸裂し続けてほしいものです。

応援しています!!

https://www.youtube.com/watch?v=EVV_yNgYW5I

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