大学3年生の時、情報バラエティ番組「ぎんざNOW!」「素人コメディアン道場」で初代チャンピオンに輝き、芸能界入りされた関根勤(せきね つとむ)さん。その後は「ラビット関根」の芸名で活動し、千葉真一さん、ジャイアント馬場さん、長嶋茂雄さんのモノマネや、小堺一機さんとのコンビ「コサキン」で人気を博し、バラエティ番組に引っ張りだことなられました。


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年齢は?出身は?身長は?本名は?

関根さんは、1953年8月21日生まれ、
東京都港区のご出身、

身長168センチ、
体重57キロ、

胸囲88センチ、
胴回73センチ、

靴のサイズは26センチ、

血液型はA型、

学歴は、
港区立高輪台小学校
⇒港区立高松中学校
⇒東京都立八潮高等学校
⇒日本大学法学部管理行政学科

出身大学は、
日本大学法学部管理行政学科、

趣味・特技は、映画、格闘技、

お父さんは、
消防士だったそうです♪

「ぎんざNOW!」がきっかけで芸能界入り

関根さんは、1974年、
大学3年生の時、青春の思い出にと、

情報バラエティ番組「ぎんざNOW!」の、
「素人コメディアン道場」のコーナーに出場されると、

あれよあれよと5連続勝ち抜かれ、
初代チャンピオンとなられます。

「ぎんざNOW!」より。左端が関根さん。手前がせんだみつおさん。
中央でギターを抱えているのは清水健太郎さん。

そして、その時の審査員のひとりで、
現在の所属事務所「浅井企画」の社長、
浅井良二さんにスカウトされるのですが、

お父さんと同じ消防士になりたかったことや、
自分みたいなただのクラスの人気者が、
通用する世界じゃないと思い、断られたそうです。

ただ、浅井社長から、

コント55号の「萩本欽一、坂上二郎」を売りだした僕が、
君の才能を保証する。

と言われたことで、すっかり舞い上がり、

大学卒業するまでの1年間、
芸能界でやってみようと、
芸能界入りされたのでした。

モノマネで注目を集める

そして、翌年の1975年、ラジオ番組、
「ヤングタウンTOKYO 桂三枝の大放送」に出演された際、

桂三枝さんから、その年の干支がうさぎ年だったことから、
「ラビット関根」と命名されると、

千葉真一さん、ジャイアント馬場さん、長嶋茂雄さんなど、
それまで誰もやったことがなかったモノマネで、
注目を集められたのでした。

欽どこのコサキンで人気に

そんな関根さんは、1981年、
同じく「ぎんざNOW!」「素人コメディアン道場」で、

第17代チャンピオンに輝いた、
同じ事務所の後輩、小堺一機さんと、
コンビ「コサキン」を結成されると、

同年、二人揃って、バラエティ番組、
「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に出演。

その後、「欽ちゃんの週刊欽曜日」で、
「泣いちっちマイ・ハート」を唄う
風見慎吾さんのバックダンサーを経て、

「欽ちゃんのどこまでやるの!?」のミニコーナー、
「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」に、
出演されると、一躍人気者になったのでした。

「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」より。
関根さん(左)と小堺一機さん。

ちなみに、この頃、
関根さんは、萩本欽一さんから、

ラビット関根なんて変な名前のヤツを、
俺の番組に出したくない。

と、言われたことから、芸名をやめ、
本名の関根勤に戻されているのですが、

後に、萩本さんが、「ラビット関根」が、
桂三枝さんに名付けられた名前だと知ると、

「言えよ、お前!」

と言われたそうです♪

バラエティ番組の常連に

その後、1985年からは、
「森田一義アワー 笑っていいとも!」
にピンでレギュラー出演されつつも、

同年、小堺一機さん主演の舞台、
「小堺クンのおすましでSHOW」

1987年には、お二人初の冠番組、
「コサキン勝手にごっこ」など、
小堺さんとの活動も続けられ、

「コサキン勝手にごっこ」より。

1981年から、コンビで、
メインパーソナリティーを務められた、
ラジオ番組「コサキンDEワァオ!」は、

放送時間やタイトルを変えながらも、
27年半もの間、続けられたのでした。
(2009年3月放送終了)

以降、関根さんは、
バラエティ番組を中心に活躍され、

現在もなお、好感度抜群のタレントとして、
老若男女を問わない人気を博しています。

愛犬はゴールデンレトリバー

ところで、関根さんを「犬」で、
多くの方が検索されているようです。

というのも、関根さんは、2017年で15歳になる、
ゴールデンレトリバーのライル君を飼っているのですが、

関根さんは、ライル君のことが、
好きで好きでたまらず、

「結婚してくれ」

と、しょっちゅう言われているというのです♪

もともとは、若手お笑い芸人が、
犬と共同生活をするという企画で、

「ずん」の飯尾和樹さんが、
ライルくん&豆柴2匹と暮らし始め、

飯尾さんはとてもかわいがり、
犬もなついていたそうですが、

番組が終了すると、当時、まだ独身で、
一人暮らしだった飯尾さんは、
引き続き、犬を世話をする余裕がなく、

以前から飯尾さんの家によく遊びに行っていた、
関根さんの娘さんの麻里さんが、
ライルくんとすごく仲良しだったため、
関根家が引き取ることになったのだとか。

関根さんと愛犬のライルくん。

ただ、当初、関根さんの奥さんが、
猛反対だったことから、

関根さんは、奥さんを飯尾さんの家に連れていき、
ライルくんと対面させることで、説得しようとしたところ、

奥さんは、人懐っこくハンサムだったライルくんに、
たちまちメロメロになってしまったそうで、

関根さんは、ライルくんについて、

ライルはいつでもフラットな感情で、
駆け引きすることなく真っすぐな気持ちで接してくれます。

こっちも自然に素直な気持ちになれるし、
真っすぐな姿勢を持つことの大切さを教えてくれますよね。

ライルに対しては感謝の気持ちでいっぱいですよ。
「生まれてくれてありがとう。うちに来てくれてありがとう」
と思っています。

と、熱く語っておられました。

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嫁は?

そんな関根さんの奥さんですが、
悦子さんという一般の女性だそうで、

大学生の頃、友達が通う大学に、演劇の手伝いに、
妹を連れてきた悦子さんと知り合われたのだとか。

ただ、電話番号を聞きたくても、
聞けなかったことから、

まず、妹を笑わせて仲良くなり、
本命のお姉さんの電話番号を、
教えてくれるように頼まれたそうで、

関根さんは当時を振り返り、

本人にはとても聞けなかったんですよ。
そうしたら、その子が大声で、

「お姉ちゃーん!関根さんが電話番号教えてってー!」
と大声で呼んで・・・

「終わったな」と思ったら、
妻が来て、ニコニコして教えてくれて。

それがきっかけでつきあうんですけど、
僕はずっとモテなかったから
「俺みたいなやつとつきあってくれてありがたい」
という気持ちで今もいます(笑)。

と、明かされていました。

その後、お二人が、いつ頃、
結婚されたのかは分かりませんでしたが、
1984年には、娘の麻里さんが誕生。

関根さんは、奥さんについて、

結婚して、麻里が生まれて、彼女を育てるにあたって、
(奥さんとは)大切なチームメイトのような感じでした。

僕のDNAと一緒に生んでくれて、ありがとうっていう気持ちがあって。
だから僕はずっと、恋人みたいな気分なんですよ。

と、おっしゃっていました。

今だに恋人のような気分でいられるなんて、
ほんと、素敵ですね~

さて、いかがでしたでしょうか?

いつまでも若々しい関根さんですが、
もう60代も半ば。

2016年5月には、
心臓の手術を受けられており、

放っていたら、「心筋梗塞」で、
倒れていた可能性もあったとのことで、

これからも、お体には十分に気をつけて、
でも、まだまだ、私達を笑わせ続けてほしいですね。

応援しています!!

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