タモリの年齢は?右目を失明!素顔は?ジャズのトランペット奏者だった!

Sponsored Link

早稲田大学在学中、「モダン・ジャズ研究会」に所属し、トランペット奏者となられるも、しゃべりの面白さから、同サークルの司会者に転向された、タモリさん。以降、サークル活動ながら日本全国を周られるライブ活動で、司会者として人気を博します。




プロフィール!


タモリさんは、1945年8月22日生まれ、
福岡県福岡市南区のご出身です。

身長161センチ、

血液型はO型、

出身大学は、
早稲田大学文学部哲学科中退、

趣味は、
旅行、ジャズ、手料理、釣り、

本名は、
森田 一義(もりた かずよし)さんです♪


「ギンギンギラギラ」で幼稚園を拒否?


タモリさんは、幼い頃、
おじいちゃん・おばあちゃん育ちだったせいか、
大人びた子どもだったようで、

あるとき、おじいちゃんが、
友人と話している内容が、
映画を観ていた話だったそうですが、

映画のワンシーンの、クジラを捕る場面で、

「クジラにモリを打って血が流れるのを見たとき、
映画は確かにゴムのクジラかもしれませんけど、
思わず、画面に向かって、両手を合わせました。」

と言っているのを聞いて、

言葉としては知らなかったものの、
それが「偽善」だと感じ取られたのだとか。

また、親に幼稚園に入るように言われるのですが、
幼稚園がどういうものかと思われ、

入園に先立って、
幼稚園を外から見学されたそうですが、

園児たちが、動揺「ギンギンギラギラ夕日が沈む」を、
歌っているの聞いて、

「なんで、あれが楽しいんだ。」
「なんで、あれをやんなきゃいけないんだ。」

と思われたそうで、(タモリさん4,5歳のことです。念のため♪)

「幼稚園は絶対に行きたくない」
「なんでだ?」
「見た。で、こんなことやってた。
 俺はああいうこと、絶対にやりたくない」

と、入園を拒否されたのだそうです。

親御さんもおおらかで、

「じゃあ、いいや」
「ま、いいよ、おまえ、行かなくて」

と、結局、タモリさんは、
幼稚園には行かなかったのですが、

朝ごはんを食べた後は、
することがなく途方に暮れたそうで、

後に、幼稚園に入らなかったことを、
後悔されたそうです♪

ちなみに、タモリさんは、小学校に入学するまで、
一日中坂道に立って、人間観察を行っていたそうで、

タモリさんは、ご自身の幼少期について、

ぼくの精神年齢がいちばん高かったのは、
4歳から5歳にかけて。
そんとき、俺はすごかったですね、やっぱり。

と、語っておられました♪

右目の失明が「タモリ神父の説教」の原点に


そんなタモリさんですが、
小学4年生の時、遠足で友達と遊んでいた際に、

電柱のワイヤに顔をぶつけ、
針金の結び目が右目に突き刺さってしまいます。

(台風で切れた電線をのぞきこんでいた時に、
 電線が目に刺さってしまったという説も。)

そして、2ヶ月間、学校を休んで治療されるも、
ついに、視力が戻ることはなく失明。

タモリさんは、一時期は、
相当、塞ぎ込まれたそうですが、

やがて、人を笑わせることに興味を持ち始めると、
小学校の卒業式では、漫才を披露されるまでに、
精神的に回復。

また、中学時代には、
「宣教師の身振り手振りしゃべり」
が面白かったことから、

観察するため、近所の、
「平尾バプテスト教会」に通われたそうで、

後に、この宣教師のものまねは、
年末年始特別番組「笑っていいとも!特大号」の、
オープニング時の「タモリ神父の説教」に、
活かされることとなったのでした。


アマチュア無線?


ただ、タモリさんは、
高校に入学すると、「剣道部」「吹奏楽部」に入部。
(吹奏楽部では「トランペット」兼「司会」を担当)


高校時代のタモリさん。

しかも、この頃、
タモリさんが一番興味があったのは、
「アマチュア無線」だったそうで、

船が好きだったこともあり、
船の無線通信士に憧れ、
電気通信大学を目指されたそうですが、

数学や物理が苦手だったため、諦められ、
1965年、早稲田大学へ入学されたのでした。


ジャズとの出会い


その後、タモリさんは、近所に住む後輩の家で、
ジャズドラマー、アートブレイキーの、
レコードを聴き、ジャズに目覚めます。

というのも、タモリさんは、今まで、
どんな音楽を聴いても、それなりには、
いい音楽だと理解できたのですが、

このジャズに関しては、初めて聴いた時、
全く良いとは思わなかったそうで、

そんなはずはないと、レコードを借りて、
家でじっくり聴いたところ、
逆にその虜になってしまったそうで、

タモリさんは、早稲田大学に、
ジャズのクラブがあることを知ると、
「モダン・ジャズ研究会」に入られたのでした。


トランペット奏者から司会者へ


こうしてタモリさんは、
「モダン・ジャズ研究会」で、
トランペットを演奏されるのですが、

先輩から、

マイルス(デイビス)のトランペットは泣いているが、
お前のトランペットは笑っている。

と酷評されてしまい、

しゃべりのほうが面白いから、という理由で、
バンドのマネージャーと司会へ転向することに。

(その後、マイルス・デイビスが、本当に、
 「マイルス・スマイル」というレコードを発売。
 先輩と「やっぱりマイルスも笑ってるじゃないか」
 と大笑いしたそうです♪)

人気司会者に


ところで、当時は、学生バンドでも、
コンサートをすると、お客さんがたくさん入ったことから、

タモリさんら、早稲田大「モダン・ジャズ研究会」は、
春は一ヶ月、夏は二ヶ月ほど、全国を回られたそうですが、

次第に、タモリさんの司会が人気を博すようになり、

とうとう先輩から、

俺達はお前のしゃべりの間に、
演奏してるんじゃないから、勘違いしないでくれ。

と言われるまでに。

そして、ラジオ「大学対抗バンド合戦」に出演した際には、
総合司会の大橋巨泉さんからその才能を認められたのでした。

(ちなみに、司会のタモリさんだけではなく、
 「モダン・ジャズ研究会」自体も、プロをうならせる、
 腕前を見せ、以降、3年連続優勝を果たしています。)

大学が除籍処分に


その一方で、タモリさんは、
ほとんど授業には出ておられなかったそうで、

3年生の時、
学費未納のため、除籍処分に。

タモリさんは、

つまずきの始まりは、同級生三人で、
二年になる時の五月の連休に、
どこかへ旅行に行こうということになって、
その時最初に仕送りが来たのが僕だったんですね。

その二人は後で仕送りが来るから、
一旦オレの金を使おうっていうんで、
旅行に行ったんですけれども、
二人とも返しゃしないんですよ。

そのお金、学費だったんです。
それで、「学費未納のため抹籍」という処分になりました。
あいつらのおかげです(笑)。
でも、あいつらとはいまだに付き合ってますけどね。

と、おっしゃっていました♪

「~保険の外交員~ボーリング場支配人~山下洋輔との出会い~」に続く



  • LINEで送る
Sponsored Link

Sponsored Link

関連記事

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

カテゴリー

ブログランキング

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 押して頂けると嬉しいです(*^_^*)

このページの先頭へ