陣内智則の昔は?リミテッドの相方は?加古川出身!高校は?

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1992年、18歳の時、小学校からの同級生と「吉本総合芸能学院」大阪校に入り、コンビ「リミテッド」を結成した、陣内智則(じんない とものり)さんですが、まったくウケず苦しい日々を過ごす中、相方と喧嘩のすえ解散。その後、ピンで活動を開始し再びネタを作ると、そのネタがウケて人気を博します。




プロフィール!


陣内さんは、1974年2月22日生まれ、
兵庫県加古川市別府町新野辺のご出身です。

身長167センチ、
体重58キロ、

血液型はO型、

本名は同じ、

出身高校は、
兵庫県立高砂南高等学校、

趣味は、
野球観戦、ゴルフ、

陣内さんは、吉本総合芸能学院 (NSC)
大阪校の11期生で、

同期には、ケンドーコバヤシさん、たむらけんじさん、
中川家、藤井隆さんがおられます♪


コンビ「リミテッド」を結成!相方は?


陣内さんは、1992年、18歳の時、
小学校から高校まで同級生だった西口圭さんと一緒に、
NSC(吉本総合芸能学院)の大阪校に第11期生として入られると、
コンビ「リミテッド」を結成。

また、陣内さんと西口さんは、生活のため、
NSC入学と同時に、寿司屋「小鯛雀鮨鮨萬」で、
寿司職人として働き始めます。

ただ、そのあまりの厳しさから、
西口さんはすぐに辞められ、

陣内さん一人で、NSC卒業までの1年間、
早朝から皿洗いや料理の下ごしらえなどをこなされたそうです。

(ちなみに、そのご経験から、現在も、
 サバやタイの三枚おろしが得意なのだとか。)


「心斎橋筋2丁目劇場」で活動するも・・・


そして、NSCを卒業されたお二人は、
「心斎橋筋2丁目劇場」を中心に活動をスタートするのですが、

陣内さんいわく、
笑いをとった記憶がないほど、まったく売れず、

その人気のなさから、劇場でお二人が登場すると、
お客さんが一斉に下を向いたそうで、

「『リミテッド』を見たら、不幸になる」

という都市伝説まで、あったとかなかったとか。

さらに、ネタ番組では、
たった1分のネタ披露のタイミングで、
画面に台風情報が入ったり、

芸人とファンの人達が一緒に行くフェリーツアーでは、
追加メンバーとして「リミテッド」の参加が発表された日に、
大嵐が来てツアーがなくなるなど、運も悪かったそうです。

陣内さんは、当時を振り返り、

本当に悔しかったのは、前説をしている後輩芸人が、
「きょう、来た方は残念でしたね。なんと、
今から『リミテッド』が出ます!!」とイジるんです。

今やったら、「何言うてんねん!!」
とツッコんだりもできると思うんですけど、
それもできないくらい、当時は全てに縮こまっていたんですよね。

そんな中、強烈に思い出に残っているのが千原ジュニアさんです。
今から思うと、ジュニアさんも僕らをイジってくれてたんです。
「『リミテッド』全然おもんない!!」と。

ただ、もうこっちは縮こまってますから、言葉を返せない。
となると、さらに「おもんない!!」と言われる。
こっちはもっと縮こまる。そんな悪循環が続いてました。

と、おっしゃっていました。

「リミテッド」解散


陣内さんと西口さんは、高校の同級生で、
もともととても仲が良かったのですが、

次第に、売れないことを相手のせいにして、
喧嘩をするようになり、会話もなくなります。

そんなある日、テレビに出場を予定していた、
後輩芸人が出られなくなったことから、
お二人は代役として呼ばれ仕事場に行くと、

お二人に与えられたのは、
チアリーダーの格好をして舞台の上手から下手に横切るだけの役。

さらに、このテレビのメインは、NSCで同期だった、
ケンドーコバヤシさんや中川家だったそうで、

この屈辱的な扱いを、陣内さんは、
受け入れることができなかったのですが、

この状況でも、
相方の西口さんは誰かと談笑。

それを見た陣内さんは、「悔しないんかい!」とキレ、
西口さんと初めて殴り合いの喧嘩になったのでした。

それ以来、陣内さんは解散を考え始め、
同期のケンドーコバヤシさんに相談。

するとケンドーさんは、

コンビ解散はやめろ。
同期として今までやって来て寂しいやないか。

リミテッドも数は少ないけども応援してくれるファンがおんねんから、
そのファンの人達のためにあと3年はがんばれ。2丁目劇場に行こう。

さらには、

「屋上行ってファンの声を聞け」

と言ってくれたそうで、

(当時、2丁目劇場には、屋上に上がると、
 ファンからの応援落書きが書かれていたそうです。)

陣内さんは、屋上に上がって見に行かれたのですが、
そこには、大きな文字で、

「リミテッドおもんないんじゃー」

と書かれてあったそうで、
陣内さんは、ついに解散を決意。

1995年、「リミテッド」は解散したのでした。
(西口さんは芸能界を引退されています。)


写真は10年ぶりに再会した西口さんと陣内さん。(2007年)

ピン芸人として再スタート、すりガラスに女装ネタがウケる


その後、陣内さんは、ネタを作るわけでもなく、
仕事はほとんどゼロの状態で、

千原ジュニアさんのラジオ番組に、
呼んでもらう程度だったそうですが、

解散から2年ほど経った1997年、
「心斎橋筋2丁目劇場」に支配人としてやってきた、
新田敦生(にった あつお)さんから、

「とにかくネタをしろ」
「ネタをやるか、芸人を辞めるかどっちかや」

と、言われます。

陣内さんは、当初は、
コンビでもダメだったのにピンでネタをしたって、
と思われていたそうですが、

どうせ辞めるなら、と思い直し、
ネタ作りを始めることに。

また、この頃、陣内さんは、
先輩芸人や会社(吉本興業)から、

「ネタが作れない芸人は出るな」
「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」

と、言われるなど、
ひどいプレッシャーを与えられていたそうで、

陣内さんはその時のことを振り返り、

この日の舞台でピンネタをやるという日が決まって、
そこがいわば、テストみたいになるわけです。

その2週間ほど前からは寝られませんでした。
変な言い方ですけど、その日に処刑台に上がるみたいな感じで、
その日で芸人人生が終わるんやろうなと。

当日は朝から手が震えるし、
このまま、逃げたろうかとも思いました。

と、語っておられました。

そして、いよいよイベントの本番を迎えると、

舞台上にすりガラスを置いて、
その向こう側で女装した陣内さんが、
悩みを相談するというネタを披露。

実は、すりガラスを置いたのは、
「リミテッド」時代の苦い思い出から、
お客さんの顔を見るのが怖かったからだそうですが、
このネタがウケたのでした。

「ABCお笑い新人グランプリ」で優秀新人賞


こうして、陣内さんは、翌年の1998年、
関西若手芸人の登竜門といわれる、
「ABCお笑い新人グランプリ」の予選に推薦されると、

当時2本しかなかったネタを駆使して、
「優秀新人賞」を受賞。

吉本からも評価されるようになって仕事が増え、
1999年10月には、情報番組「ちちんぷいぷい」の、
月曜レギュラーに抜擢されるなど、
徐々に知名度を上げていかれたのでした。

「いちおし組?藤原紀香の馴初めは?結婚披露宴は超高視聴率!」に続く



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