岸田今日子の死因は?ムーミン?若い頃は砂の女で怪演!夫は仲谷昇!

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1950年、「文学座」研究生時代に、「キティ颱風」で初舞台を踏み、以降、舞台を中心に、映画、テレビドラマなど多数出演された、岸田今日子(きしだ きょうこ)さん。1964年には、映画「砂の女」で、昆虫採集に来た男を砂の世界に引きずり込む女を怪演し、海外でも高い評価を受けました。




プロフィール!


岸田さんは、1930年4月29日生まれ、
東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)のご出身です。

身長156センチ、

血液型はA型、

学歴は、
飯田高等女学校(現在の長野県飯田風越高等学校)卒業、
自由学園高校卒業、

趣味は、麻雀、

お父さんは、劇作家の岸田國士さん、
お母さんは、翻訳家の岸田秋子さん、
お姉さんは、詩人で童話作家の岸田衿子さん、
従兄弟には、俳優の岸田森さんがいらっしゃいます。


ご両親とお姉さんと。右端が岸田今日子さん。


はじめは舞台美術志望だった


岸田さんは、戦時中、
お姉さんとともに長野県に疎開し、

疎開先で通っていた飯田高等女学校を、
1946年に卒業。

その後、上京し、
自由学園高校に入学すると、

絵が好きだったことから、
舞台美術に興味を持ったそうで、

1949年、自由学園高校卒業後は、
舞台美術家として、お父さんが設立された、
「文学座」の「付属演技研究所」に入所、
研修生となられています。


女優に転身


岸田さんは人見知りが激しく、当初は、

「女優なんてとても」

と、思われていたそうですが、

1950年、舞台「キティ颱風」の娘役に抜擢され、
初舞台を踏むと、これががきっかけで、
演じることの楽しさに目覚められます。

ただ、お父さんは、岸田さんが、
女優になることを許さず、

「本気でやるのなら少なくとも三年はパリで勉強するように」

と無茶ぶりされます。

それでも、岸田さんは、
本気でフランス語の勉強を始められたそうで、

その後、岸田さんが、
実際にフランスに留学されたかは不明ですが、

2年後の1952年、正式に「文学座」に入団。
「狐憑」で正式に舞台デビューされています。



そして、翌年の1953年には、
「にごりえ」の端役で映画デビューを果たすと、

以降、舞台を中心に、
映画、テレビドラマ、声優と幅広く活動。

1960年には、三島由紀夫演出の、
「サロメ」で主演に抜擢されると、話題を呼び、

続く、
「陽気な幽霊」(1962)
「バイオリンを持つ裸婦」(1962)
「黒の悲劇」(1962)

などの大作で、次々と主演を務め、次代の新劇界を担う、
新進女優として注目を集められたのでした。

「砂の女」で実力派女優としての地位を確立


また、岸田さんは、映画でも、
1962年「破戒」で、
「毎日映画コンクール助演女優賞」を受賞。

さらに、1964年には、
安部公房の同名小説を映画化した「砂の女」で、

昆虫採集に来た男を砂穴の家に引きずり込む未亡人を怪演し、
「ブルーリボン助演女優賞」を受賞と、
実力派女優としての地位を確立されています。


「砂の女」より。岡田英次さんと岸田さん。


「文学座」脱退~「劇団 雲」設立~「演劇集団 円」設立


そんな岸田さんは、1963年、「文学座」幹部の運営に限界を感じていた、
芥川比呂志さん、仲谷昇さん、小池朝雄さん、神山繁さん、山崎努さんとともに、
「文学座」を脱退されると、「劇団 雲」の結成に参加。

1975年には、「劇団 雲」も解散し、
「演劇集団 円」の設立に参加されています。

そして、その後も、
岸田さんの女優としての活動は衰えを知らず、

「じゃじゃ馬ならし」
「マクベス」
「欲望という名の電車」

などの翻訳劇に出演されつつ、

別役実さん、太田省吾さん、清水邦夫さん、
つかこうへいさん、平田オリザさんらの新作劇にも積極的に出演。

その独特の風貌を活かした、ミステリアスで艶めかしい役、
純真な役、悪女役など、悲喜劇問わず幅広い役を演じ、
個性派女優として活躍されています。


元夫は仲谷昇


ところで、岸田さんは、1954年、
同じ「文学座」で活動されていた、
俳優の仲谷昇さんと結婚されています。

そして、いつ頃かは分かりませんでしたが、
妊娠されたそうなのですが、

女優という休めない仕事の影響から、
流産を決断されたそうです。

ただ、その後、2度目の妊娠が分かった時には、
岸田さんはすでに30代後半だったそうで、

この時は仕事を断り、
1968年、娘のまゆさんを出産されています。

そして、仲谷さんとは、
「キリンビール」のCMで夫婦共演され、
おしどり夫婦ぶりを見せつけられていましたが、
1978年に離婚されています。

(ちなみに、岸田さんは、離婚後も、
 仲谷さんとともに「演劇集団 円」に所属されており、
 俳優としての付き合いは続いていたようです。)


「キリンビール」のポスターより。仲谷さんと岸田さん。


「ムーミン」でトロールの声


岸田さんを「ムーミン」で、
多くの方が検索されているようです。

というのも、岸田さんは、声優としても活動されており、
1969年度版と1972年度版、
アニメ「ムーミン」のトロール役の声で、
人気を博しているのです。



ただ、この時のムーミンは、
かなり日本向けにアレンジされており、

(ムーミン谷にお金が流通している、
 自動車などの物質文明が存在するなど)

原作者のトーベ・ヤンソンさんは、
日本でのテレビ放送に難色を示していたのだとか。

それでも、その後、1985年頃までは、
再放送が繰り返されていたのですが、

1990年に原作に忠実な、
「楽しいムーミン一家」が製作・放送されると、

岸田さんが演じた「ムーミン」は、
事実上、テレビ界から抹殺されてしまい、
CS放送ですら再放送されない状態となってしまったのでした。

もう、岸田さんの「ムーミン」が見れないのは、
ちょっとさみしいですね。


童話作家として


また、岸田さんは、エッセイや翻訳など、
執筆活動でも才能を発揮され、

1998年には「妄想の森」で、
「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞。


妄想の森

童話作家としても、
1975年「子供にしてあげたお話 してあげなかったお話」
2000年「大人にしてあげた小さなお話」
を出版されています。



そのほかにも、「演劇集団 円」では、毎年、
年末にシアターΧで上演される、幼児にも楽しめる舞台、
「円・こどもステージ」の企画を担当されていたとのことで、
童話作家であるお姉さんの影響を受けられていたのかもしれませんね。


死因は?


そんな岸田さんは、2005年、
11月には、主演舞台「オリュウノオバ物語」
12月には、テレビドラマ「あいのうた」
に出演されるなど、精力的に活動されていたのですが、

2006年1月下旬に頭痛を訴え、
病院で精密検査を受けたところ、
「脳腫瘍」であることが判明します。

すでに手術ができない状態だったそうで、
投薬治療が行われ、その後、小康状態が続いていたのですが、
同年12月17日、容体が急変。

娘のまゆさんら家族に看取られて、
息を引き取られたのでした。


「あいのうた」より。

さて、いかがでしたでしょうか?

20歳のときに女優に目覚め、
亡くなる直前(76歳)まで女優として生きた岸田さん。

岸田さんは、それまで褒められたことがなく、
自分には何の取り柄もないと思われていたそうですが、

娘役に選ばれたことがうれしくて、
女優で生きていく決意をされたとのことで、
ずっとその気持ちを持ち続けていたのでしょうね。

この機会に、若かりし日の岸田さんの怪演ぶりを見て、
ぞ~っとしてみてはいかがでしょう♪



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