1979年、NHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」でテレビドラマデビューして以来、40年以上もの間、テレビドラマや映画に出演し、その演技力が高く評価されている、田中裕子(たなか ゆうこ)さんですが、その演技力は、デビュー当初から発揮されていました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?弟は?

田中さんは、1955年4月29日生まれ、
大阪府池田市のご出身(北海道札幌市西区育ち)、

身長160センチ、

血液型はB型、

学歴は、
札幌市立向陵中学校
⇒北海道札幌西高等学校卒業
⇒明治大学文学部演劇学科卒業
⇒藤女子短期大学中退
⇒明治大学文学部演劇学科卒業(学位は文学士)

ちなみに、本名は「澤田裕子(さわだ ひろこ)」(旧姓は田中)ですが、昭和天皇と誕生日が同じだったため、昭和天皇の諱(いみな)「裕仁(ひろひと)」から、「ひろこ」と名付けられたそうです。

また、弟には、俳優の田中隆三さんがいらっしゃいます。(テレビドラマ「相棒」で、鑑識の益子役を演じられています)

NHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」でテレビドラマデビュー

田中さんは、大学在学中の1978年、「文学座」に研究生として入団すると、翌年の1979年には、NHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」に、このドラマの原作者である、主人公の妹・長谷川町子役でテレビドラマデビュー。


「マー姉ちゃん」より。田中さん(左)と熊谷真実さん(右)。

すると、たちまち人気を博し、その後も、

「華岡青洲の妻」(1980年)
「ドラマ人間模様「楽園の日々」(1980年)
「曠野のアリア」(1980年)
「天皇の料理番」(1980年~1981年)
「魂の夏」(1980年)

と、立て続けにテレビドラマに出演されます。

「北斎漫画」で「日本アカデミー賞最優秀助演女優賞」ほか数々の賞を受賞

そして、1981年には、今村昌平監督の「ええじゃないか」で映画デビューも果たすと、

同年、新藤兼人監督の「北斎漫画」では、主人公・葛飾北斎の娘役で大胆なセミヌードを披露し、

「日本アカデミー賞最優秀助演女優賞」
「日本アカデミー賞最優秀新人俳優賞」
「ブルーリボン賞助演女優賞」
「報知映画賞助演女優賞」

など、栄えある賞を総なめにされます。


「北斎漫画」より。(左から)西田敏行さん、田中さん、緒形拳さん。

初主演映画ではレイプ被害者役で体当たりの演技を披露

また、1982年には、落合恵子さんの同名小説を原作とする映画「ザ・レイプ」(東陽一監督)で、初の主演に抜擢されると、

恋人の家から帰宅中、過去に一度だけ会ったことのある男からレイプされて裁判を起こし、その後の恋人との関係に悩みながらもたくましく生きていく主人公を熱演し、演技が高く評価されたのでした。


映画「ザ・レイプ」より。田中さんと風間杜夫さん。

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東陽一監督が田中裕子を絶賛

ちなみに、この作品は、2020年2月、東陽一監督の1970~1980年代の4作品が特集された際、上映されているのですが、

上映後、東監督は、1982年当時、この作品の企画が上がった際、監督の中では、主演は田中さんに決まっており、もし田中さんに断られたら、監督を降りようとまで思っていたことを明かされています。

東監督によると、実は、脚本の執筆途中では、田中さんにコンタクトを取った人物を通して、一度、田中さんに断られたそうですが、それでも諦めきれず、田中さんにお願いして、脚本50ページくらいを読んでもらい、その後、東監督自ら、田中さんに会われたそうで、

その日は雑談だけで終わったそうですが、

その際、田中さんが、

東さんって面白い字を書くのね

と、言ったことから、東監督はOKと感じたのだそうです。

そして、撮影では、田中さんは、見事、期待通りの演技を見せてくれたそうで、

東監督は、田中さんのことを、

僕は女優は女神様だと思っています。田中さんは脚本に文句をつけることなく演じてくれた

こんなしんどい役、役者は普通やりたがりません。田中さんにはとりわけつらい役を演じてもらった。賞は獲れなかったけれど、僕はその年の日本映画の主演女優賞だったと思う

と、絶賛されています。

「田中裕子は若い頃に「おしん」で大ブレイク!」に続く

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