1979年、朝の情報番組「ズームイン!!朝!」の総合司会に抜擢されると、以降、40年以上に渡り、情報番組やバラエティ番組で司会者として活躍するほか、タレントとしても活動している、徳光和夫(とくみつ かずお)さん。今回は、そんな徳光さんの父親についてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?

徳光さんは、1941年3月3日生まれ、

(ただ、父親が「男児が3月3日、桃の節句の生まれでは格好が悪い」と怒って1週間後の陸軍記念日の3月10日生まれとしたそうで、戸籍上は3月10日生まれとなっているそうです)

東京都目黒区の出身、

身長163センチ(164.5センチとも言われています)

血液型はB型、

学歴は、
目黒区立菅刈小学校
⇒私立海城中学・高等学校
⇒立教大学社会学部卒業

趣味は、野球観戦(特に読売ジャイアンツの熱狂的なファン)、駅伝観戦、音楽鑑賞、落語鑑賞

だそうです。

本名は?

ちなみに、徳光さんの本名は「德光和夫(読み方同じ)」と、「德」は徳の旧字体だそうで、初期の「ズームイン!!朝!」のテロップではこの表記を使っていたそうですが、現在は通常の「徳」を使っているそうです。

また、愛称は、「徳さん」「巨人親父」(プロ野球球団「読売ジャイアンツ」の熱狂的なファンであることから)だそうです。

父親は元記録映画監督で日本テレビ開局社員の徳光寿雄

徳光さんのお父さんは、徳光寿雄(德光壽雄)さんというそうで、戦前、映画に夢中になったことから、近所に撮影所があった「河合映画製作社(後に大都映画)」に入社し、短編映画の監督としてキャリアをスタートさせると、

戦争中は、「日本映画社」で、戦意高揚映画や、外国人捕虜を記録する映画を作ったそうで、そこでは、捕虜となり、うつろな表情のイギリス極東軍(マレー軍)司令官のアーサー・パーシバル陸軍中将も撮影しているそうです。

(パーシバル陸軍中将は、太平洋戦争中、シンガポール(沼南島)攻略に際して、山下奉文率いる日本軍に、「イエスかノー」かと机を叩いて降伏を迫られた後、降伏して捕虜となり、捕虜収容所に移された人物だそうです)

そして、終戦後は、「日本テレビ」に開局社員として入社すると、映画部に配属され、アメリカ映画の買付をするほか、映画の日本語吹替を考案したそうで、日本初のアテレコを行い、アメリカのテレビドラマ「パパは何でも知っている」「名犬リンチンチン」などのヒットを飛ばしたそうです。

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幼少期は両親によく映画館に連れて行ってもらっていた

徳光さんは、そんな映画関係の仕事をしていたお父さんと、百貨店に勤務していたお母さん・房子さんとの間に、3人兄弟(弟と妹)の長男として誕生すると、お母さんも映画が好きだったことから、幼い頃は、よく映画館に連れて行ってもらっていたそうです。

(ただ、2歳年下の妹さんは、徳光さんが5歳の時、病気のため、他界されたそうです)

「徳光和夫は少年時代に落語家・林家小さんに弟子入りしようとしていた!」に続く

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