大学卒業後の1961年、「東宝」に入社すると、翌年の1962年には、いきなり、主演映画「若大将シリーズ」で人気を博し、さらに、1965年には、「エレキの若大将」の主題歌「君といつまでも」が大ヒットと、歌手でも大きな成功を収められた、加山雄三(かやま ゆうぞう)さんですが、1970年には巨額の借金を抱えてしまいます。

「加山雄三の若い頃は「君といつまでも」が大ヒット!」からの続き

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リゾートホテル経営の失敗で借金23億円

1965年、映画「エレキの若大将」の主題歌「君といつまでも」が350万枚を超える大ヒットを記録し、俳優、歌手ともに順調だった加山さんは、同年には、湘南海岸の国道134号線沿いに、高級ホテル「パシフィックホテル茅ヶ崎」を開業。

(実質的な経営者は叔父さん(母・小桜葉子さんの弟・岩倉具憲さん)で、加山さんとお父さんの上原謙さんは共同オーナーとして経営に参加されていたそうです)

すると、ホテルは、真っ白な円柱形をした斬新なデザインの建物に、ドライブイン、ボウリング場、ビリヤード、プール、レンタルウインドサーフィン、ジェットスキーなど様々な娯楽施設が併設された、最先端を行く海辺の高級リゾートホテルとして注目を集めたのですが、


パシフィックホテル茅ヶ崎

「サザンオールスターズ」の桑田佳祐さんは、この「パシフィックホテル茅ヶ崎」のボーリング場でアルバイトをされていたことがあるそうで、2000年に「茅ヶ崎ライブ」を行うにあたり、楽曲「HOTEL PACIFIC」を作られています)

開業当初は、著名人が多数訪れたことで有名となるも、その後は客足が伸びず、金融業者からの借り入れを皮切りに、負債は雪だるま式に膨れ上がり、加山さんが個人資産を注ぎ込むも、1970年8月、ホテルは倒産。

連帯保証人だった加山さんは、お父さんの上原謙さんとともに、23億円もの借金を背負うことになったのでした。


HOTEL PACIFIC

人気低迷でキャバレー回り

また、この頃には、加山さんの人気にも陰りが見え始め、映画「若大将シリーズ」の興行成績は下降線をたどり、1971年には、ついに、「若大将シリーズ」も終了。

それに伴い、映画出演も激減したことから、加山さんは、活動の場をテレビドラマにシフトしつつ、ナイトクラブやキャバレー回りをしながら、借金を返済することとなったのでした。

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母親・小桜葉子が他界

しかも、同時期(1970年5月12日)には、お母さん・小桜葉子さんが52歳という若さで「子宮ガン」で他界。

小桜さんは、その数年前に、スキーでケガをして片方の腎臓を失っており、腎臓障害を患わっていたことから、ガンの発見が遅れたのだそうです。

「加山雄三は岩谷時子の協力で2週間15曲のレコーディングを敢行していた!」に続く

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