1946年、「東京芸術劇場」の第一期研究生となられると、その後、様々な劇団を経て、1954年「劇団青俳」を旗揚げされた、西村晃(にしむら こう)さん。新劇の俳優として活動される一方で、映画やテレビドラマでもバイプレイヤーとして出演されていましたが、1983年「水戸黄門」で水戸光圀役に抜擢されると、一躍お茶の間の人気者になられました。


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プロフィール!

西村さんは、1923年1月25日生まれ、
北海道札幌市のご出身です。

身長157センチ、

血液型はB型、

出身大学は、
日本大学専門部芸術科(現在の藝術学部)、

お父さんは、1928年に日本で初めて圧縮空気を使って、
ロボット「学天則」を制作した理学博士の西村真琴さんだそうです。

学天則(中央)と西村真琴さん(左)

特攻隊員として出撃するも奇跡的に助かる

西村さんは、大学在学中から、
演劇活動をされていたのですが、

1943年、学徒動員で兵役に就かれると、
徳島海軍航空隊に配属され、特攻隊員として出撃。

しかし、エンジンの不調により、
基地に引き返されたそうで、

そのまま終戦を迎え、
奇跡的に命拾いされたそうです。

当時の西村さん

劇団「青俳」や映画で活動

そして、復員後は、本格的に演劇活動を再開し、
1946年に「東京芸術劇場」の第一期研究生となられると、

翌年の1947年には「東京芸術劇場」を退団し、
「東京青年劇場」を結成。

その後、1951年に「新協劇団」の準劇団員になられると、
1954年には、「新協劇団」の仲間だった、
岡田英次さん、織本順吉さん、木村功さん、金子信雄さんらと、
「劇団青俳」を旗揚げし、新劇俳優として活動されています。

ちなみに、1951年には、
「風雪二十年」で映画デビューも果たされ、
1954年には、日活と契約。

以降、数多くの日活映画に出演され、
悪役や敵役を多く演じられています。

(1956年からは、テレビドラマにも出演されています。)

出演作品

それでは、ここで、
西村さんの出演作品の一部をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1957年「相棒」
1958年「かあちゃん」
1959年「空白の意匠」
1960年「母と娘」
1961年「マーサ」

1962年「ある遍歴」
1963年「花の生涯」
1964年「赤穂浪士」
1967年「三姉妹」
1970年「樅ノ木は残った」

1971年「春の坂道」
1973年「国盗り物語」
1975年「江戸を斬る」
1976年「風と雲と虹と」
1977年「冬の桃」

「江戸を斬る」より。西村さんと松坂慶子さん。

1978年「白い巨塔」
1979年「不毛地帯」
1980年「虹を織る」
1981年「球形の荒野」
1982年「松本清張シリーズ・けものみち」

「松本清張シリーズ・けものみち」より。
名取裕子さんと西村さん。

映画では、

1956年「ビルマの竪琴」
1957年「幕末太陽傳」
1958年「紅の翼」
1959年「荷車の歌」
1960年「悪い奴ほどよく眠る」
1961年「ゼロの焦点」

「ビルマの竪琴」より。中央が西村さん。

1962年「妖星ゴラス」
1963年「天国と地獄」
1964年「赤い殺意」
1965年「徳川家康」
1966年「大菩薩峠」

1967年「伊豆の踊子」
1968年「喜劇初詣列車」
1969年「御用金」
1970年「でんきくらげ」
1971年「戦争と人間」

「赤い殺意」より。西村さんと春川ますみさん。

1972年「御用牙」
1973年「津軽じょんがら節」
1974年「華麗なる一族」
1975年「金環蝕」
1976年「君よ憤怒の河を渉れ」

1977年「泥だらけの純情」
1978年「事件」
1979年「あゝ野麦峠」
1980年「ザ・ウーマン」
1981年「アゲインスト むかい風」
1982年「マタギ」

「華麗なる一族」より。西村さんと二谷英明さん。

ほか、非常に多くの作品に出演されています。

水戸黄門

そして、これまでは、名バイプレイヤーとして、
脇を固められていた西村さんですが、

1983年、テレビドラマ「水戸黄門」の主人公、
水戸光圀役を演じられていた東野英治郎さんが、
高齢による気力体力の減退等を理由に降板されたことで、
2代目、水戸光圀役に抜擢されると、

スマートで品のある黄門像を確立し、
一躍お茶の間の人気者に。

特に、1970年代~1980年代前半生まれの人達には、
いまだに、「水戸黄門」といえば西村さんという印象が強いようです。

「水戸黄門」より。(左から)由美かおるさん、あおい輝彦さん、
西村さん、伊吹吾郎さん、高橋元太郎さん。

(それから、9年1ヶ月もの間、水戸光圀役を演じられましたが、
 1992年、奥さんが他界されたショックで降板されています。)

死去

その後は、

1993年「いつか好きだと言って」
1994年「三軒目の誘惑」
1995年「大地の子」

「大地の子」より。宇津井健さん(左)と西村さん(右)。

など、テレビドラマ(現代劇)を中心に、
出演されていたのですが、

1995年11月に、のどの不調を訴えて入院されると、
食道と胃の付け根が「がん」に侵されていることが発覚。

食道と胃をそれぞれ半分ずつ摘出する手術を受けられ、
リハビリに励まれたことで、翌年の1996年5月に退院され、
同年10月からは、ラジオドラマで仕事復帰、

1997年には、テレビドラマ「黄落」に、
出演されるまでに回復されていたのですが、

1997年4月、自宅で「心不全」を起こし、
74歳で他界されています。

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妻は?息子は?

ところで、西村さんは、学徒動員された時にはすでに、
奥さんとお子さんがひとり(おそらく息子さん)いらっしゃったようで、

西村さんの親友で同じ徳島海軍航空隊の特攻隊員だった、
千玄室(せん げんしつ)さん(茶道裏千家15代家元)は、

西村さんがその時、

「俺は死ぬのは絶対いやだ」

と言われていたことを明かされ、

徳島へ一歳の子どもを連れて奥さんが来ていました。
私もよく外出して西村のところへ行っては、
子どもをあやしたりなんかして、
「いいな、家庭は」と思ったりしました。

ですから西村が死にたくないといったのは、
本音だと思いました。

とおっしゃっていました。

(千玄室さんも、特攻隊員でありながら出撃することなく、
 無事、終戦を迎えられています)

西村さんと奥さんの、
詳しいエピソードなどは分かりませんでしたが、

奥さんを亡くしたショックから、
水戸光圀役を降板されているほどなので、
とても深い絆で結ばれていたのは間違いありませんね。

さて、いかがでしたでしょうか?

「水戸黄門」のイメージが強い西村さんですが、実は、

1964年「散歩する霊柩車」
1965年「怪談 片目の男」
     「怪談 せむし男」

1968年「吸血髑髏船」
     「怪談 蛇女」

1988年「帝都大戦」

など、数多くの怪奇映画やB級ホラー映画に、
数多く出演されています。

西村さん自身、このような企画や、
グロテスクなメイクを施した役が大好きだったそうなので、

もしかしたら、日本で初めてロボットを作った、
お父さんの影響を受けられているのかもしれませんね。

(ちなみに、西村さんは、映画「帝都大戦」で、
 お父さんである、理学博士の西村真琴役を演じられています。)

この機会に、これらの怪奇映画で、
西村さんの新たな魅力に触れてみてはいかがでしょう♪

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