真島昌利の奥さんは?娘はモデルの真島もも子?元THE BLUE HEARTS!

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1985年にパンクロックバンド「THE BLUE HEARTS」を結成し、1987年に「リンダリンダ」でメジャーデビューすると、「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」などのヒットを飛ばした、真島昌利(ましま まさとし)さん。1995年に「THE BLUE HEARTS」が解散した後は、「THE HIGH-LOWS」を経て、現在は「ザ・クロマニヨンズ」で活動されています。




プロフィール!


真島さんは、1962年2月20日生まれ、
東京都小平市のご出身です。

身長171センチ、

血液型はB型、

出身高校は、
東京都立久留米西高等学校、

だそうです。


ビートルズでロックに目覚める


真島さんは、12歳の時、友達の家で、
初期の頃のビートルズの曲を聴いて衝撃を受け、
ロックに目覚めたそうで、

「ギター買うしかない!!」

と思いたち、その次の週末に、
モーリスのフォークギターを1万円で購入。
(エレキギターは高くて買えなかったそうです。)

「初歩のギター」という、
森山良子さんが表紙の教則本を見ながら、
独学でギターの練習を始められたそうです。

ただ、教則本に載っていた楽譜は、「荒城の月」で、
ビートルズの曲とのあまりの違いに愕然。
それでも、しばらくは弾いていたそうですが、

ビートルズを聴かせてくれた友達に、

今、僕、ギター買って荒城の月とか弾いてるんだけど、
これってビートルズもやったのかなー?

と聞くと、その友達からは、

いや、ビートルズは多分やってない。

と、言われたそうです(笑)

ジョニー&スリー・クール・キャッツ


そして、翌年の1975年に、
ついにエレキギターを購入されると、

1976年には、中学校の文化祭で、
初めて人前で演奏。

同年には、池袋の西武百貨店が開催した、
アマチュアバンドコンテストに、

「ジョニー&スリー・クール・キャッツ」
というバンドで出場されるなど、
アマチュアバンドとして活動を開始されたのでした。


パンクに目覚める


ちなみに、真島さんは、中学3年間は、「ビートルズ」や、
1950年代のロック・ロカビリーなどが好きだったそうですが、

高校1年生の時、レコードを買おうと並んでいると、
レジの横に平積みされていた、「SEX PISTOLS」のシングル、
「GOD SAVE THE QUEEN」のレコードジャケットに衝撃を受け、即購入。


God Save the Queen

家に帰り、レコードを聴こうと針を落とした瞬間、

「うわぁ!!かっこいいー」

と、その曲に衝撃を受けられ、
一瞬でパンクにはまってしまったのだそうです。

ただ、当時日本では、パンクは、
馬鹿にされている存在だったため、

音楽仲間の理解が得られなかったばかりか、
真島さんまで馬鹿にされてしまったそうです。

「THE BREAKERS」結成


そんな真島さんは、1978年に、
4人編成のロックバンド「THE BREAKERS」を結成。

新宿、原宿のライブハウスを中心に、
「ザ・コーツ」「THE LONDON TIMES」「ザ・シャムロック」
などのバンドと共演され、

モッズ族の代表として、
カリスマ的な存在感を放っていたそうですが、

(モッズ族とは、1950~1960年代、イギリスの若い労働者の間で、
 流行した音楽やファッションをベースにしたライフスタイル)

1983年、メジャーデビューを目前に、
レコード会社と所属事務所の間でレコードイニシャルプレス数について、
折り合いがつかなかったことからデビューの話は白紙に。

そのことが原因かは分かりませんが、
翌年の1984年には、ギターの杉浦光治さんが脱退。

その後は3人編成となり、杉浦さんの代わりに、
サポートメンバーを迎えて活動を続けられるのですが、
1985年に解散されています。


「THE BREAKERS」時代の真島さん


甲本ヒロトと「THE BLUE HEARTS」結成


すると、ちょうど同時期、
自身のバンド「ザ・コーツ」を解散した、
甲本ヒロトさんとバイト先で出会ったそうで、

お互い、「SEX PISTOLS」などのパンクが好きだったことから、
意気投合し、「THE BLUE HEARTS」を結成。

そして、2年後の1987年、
「リンダリンダ」でメジャーデビューを果たされると、


リンダリンダ/僕はここに立っているよ

1988年11月「TRAIN-TRAIN」
1989年2月「ラブレター」
1989年6月「青空」



1990年7月「情熱の薔薇」
1991年4月「首つり台から」
1991年11月「あの娘にタッチ」
1992年3月「TOO MUCH PAIN」



1992年10月「夢」
1993年2月「旅人」
1993年5月「1000のバイオリン」
1993年8月「パーティ」
1993年10月「夕暮れ」



と、立て続けにシングルをリリース。

中でも、「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」が大ヒットを記録し、
「THE BLUE HEARTS」は、一躍人気バンドとなられたのでした。


解散後は、「THE HIGH-LOWS」「ザ・クロマニヨンズ」


しかし、1991年頃からは次第に人気が低迷し、
ついに1995年には解散。

甲本さんは、解散の理由について、

バンドを続けるには、ある程度の演奏技術が必要。
それがあのメンバーでは出せないから解散した。

と、おっしゃっているのですが、

実は、メンバーだった河口純之助さんが、
新興宗教「幸福の科学」の信者となり、
ライブでファンを勧誘されたとのことで、

このことに、真島さんと甲本さんが激怒したのが、
本当の理由ではないかとささやかれています。

ちなみに、真島さんは、「THE BLUE HEARTS」解散後も、
甲本さんとともに、「THE HIGH-LOWS」(1995-2005)、
「ザ・クロマニヨンズ」(2006-)として活動を続けられ、

2015年からは、ロックバンド「ましまろ」としても、
活動されています。


「ましまろ」(左から)中森泰弘さん、真城めぐみさん、真島さん。

奥さんは?娘は?


ところで、真島さんを「奥さん」
で多くの方が検索されているようです。

調べてみたところ、
真島さんはご結婚されているようですが、
奥さんの情報がないことから一般の方のようです。

また、お子さんについても、
明かされていないのですが、

「文化服装学院」でファッションを学び、
モデルもされている、真島もも子さんという方が、
娘さんではないかと噂されています。

さて、いかがでしたでしょうか?

「自分ではこの曲イマイチだと思うけど、なんかウケるからやろうか」
とかそういうことはないよね(笑)。
自分が楽しいかどうかが一番だから。

とおっしゃっていた真島さん。

どの曲も全部かっこいいと思っているから、
お客さんの反応が気にならないそうで、

こんなことを言い切れるのも、16歳でパンクに出会って以来、
周囲から何を言われようと、好きなことをずっと続けてこられたことが、
大きな自信になっているのかもしれませんね。

これからも、まだまだ、
魅力的な音楽を私達に届けてくれそうです!!



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