今村昌平監督の若い頃は?代表作品は?赤い殺意!人間蒸発!

Sponsored Link

1958年「盗まれた欲情」で映画監督デビューすると、翌年の1959年には、「にあんちゃん」でいきなり文部大臣賞を受賞された、今村昌平(いまむら しょうへい)さん。以降、「豚と軍艦」「にっぽん昆虫記」「赤い殺意」など、社会の底辺に生きる人間の欲望や生命力を描く作品を次々と発表し、1968年には、「神々の深き欲望」で第23回毎日映画コンクール日本映画大賞を受賞。ただ、長期ロケだったことから2000万円もの借金を抱えてしまい、以後、映画制作から遠ざかるを得なくなりました。




プロフィール!


今村さんは、
1926年9月15日生まれ、
東京府東京市(現在の東京都)のご出身、

出身大学は、
早稲田大学文学部、

趣味は、麻雀、

だそうです。


黒澤明の「酔いどれ天使」を見て映画監督を志す


今村さんは、大学在学中、演劇活動に熱中し、
舞台演出家を志されていたのですが、

黒澤明監督の映画「酔いどれ天使」を見て感動すると、
映画監督を目指すようになったそうで、


「酔いどれ天使」より。志村喬さん(左)と三船敏郎さん。

1951年、大学卒業後、
欠員のため初めて助監督の募集を行った「松竹大船撮影所」の、
なんと2000人中8人という狭き門を見事突破し、入社されると、

(本当は黒澤監督の助監督として働きたかったそうですが、
 黒澤さん所属の東宝は助監督を募集していなかったそうです)

以降、小津安二郎監督の、

「麦秋」(1951年)
「お茶漬の味」(1952年)
「東京物語」(1953年)


「東京物語」より。原節子さん(左)と笠智衆さん。

ほか、野村芳太郎監督、大庭秀雄監督、渋谷実監督らの作品で、
助監督を務められています。


「盗まれた欲情」でデビュー


そして、今村さんは、入社後たった3年で、
幹事にまで昇格するのですが、かねてから、
収入面や仕事面に不満を感じていたそうで、

1954年に「日活」に移籍すると、
同時期に松竹から来た川島雄三監督の助監督を務め、

1957年には、映画「幕末太陽傳」で、
脚本も共同執筆。

1958年、ついに、
「盗まれた欲情」で監督デビューすると、


「盗まれた欲情」より。(左から)長門裕之さん、
菅井きんさん、南田洋子さん。


翌年の1959年には、「にあんちゃん」で、
1953年頃の小さな炭鉱町を舞台に、両親を亡くした、
4人の在日朝鮮人の兄妹が貧しくも懸命に生きる姿を描いて、
いきなり、文部大臣賞を受賞されたのでした。


「にあんちゃん」より。吉行和子さん(左)と長門裕之さん。


「豚と軍艦」


ただ、今村さんにとっては、
この映画はやりたい企画ではなかったことから、

(そのような健全な映画を撮ったことを反省したそうで)

その反動で、1961年、横須賀米軍基地を舞台に、
利権をむさぼるヤクザが、米軍から譲り受けて儲けようとした、
豚の大群に踏み殺されて自滅する様子を描いた、
「豚と軍艦」を制作されています。

ちなみに、今村さんは、この映画の脚本を執筆中、
師である小津安二郎さんと脚本家の野田高悟さんの二人から、

「汝ら何を好んでウジ虫ばかり書く」

と言われているのですが、

その時は適当に合わせておきながら、内心、

「このくそじじい」

と、思っていたそうで、

「上等だ、俺は死ぬまでウジ虫を書いてやる」

と、決意されたそうです♪


「豚と軍艦」より。吉村実子さんと長門裕之さん。

「にっぽん昆虫記」が大ヒット


ところで、この「豚と軍艦」は、高い評価を得たものの、
予算オーバーしたうえに興行成績が良くなかったため、

今村さんは、しばらくの間、
日活から干されることになってしまうのですが、

それでも、再び、社会の底辺に生きる人間の欲望や生命力を描こうと、
売春斡旋業を営む、ひとりの女性の半生を徹底的に取材し、
1963年に「にっぽん昆虫記」を発表されると、

昆虫のように生命力に満ちた、女性の半生を力強く描いたこの作品は、
大胆な性描写が話題となり、配給収入3億5千万円の大ヒットを記録。


「にっぽん昆虫記」より。

そして、翌年の1964年には、ある事件をきっかけに、
逞しく成長していく女性の姿を描いた、「赤い殺意」を発表され、

今村さんが、自身の作品の中でベスト、
と語るほどの自信作となったのでした。


「赤い殺意」より。西村晃さんと春川ますみさん。


「神々の深き欲望」で映画賞を受賞されるも・・・


しかし、制作当初、主人公に、
本物のストリッパーをと考えていた今村さんは、

(最終的には、ストリッパー役は、
 女優の春川ますみさんが演じています。)

その考え方や、予算、フィルムの使用量などを巡り、
日活と衝突し、この作品を最後に日活から独立。

1966年に、自らが代表を務める、
「今村プロダクション」を設立すると、

同年には、独立後第一作目となる、
「エロ事師たちより 人類学入門」を、


「エロ事師たちより 人類学入門」より。
坂本スミ子さんと小沢昭一さん。


翌年の1967年には、突然失踪した婚約者を追う、
女性のドキュメンタリー「人間蒸発」を発表されています。


「人間蒸発」より。露口茂さんと早川佳枝さん。

そして、1968年には、「神々の深き欲望」で、
現代文明から隔絶された南の島を舞台に土俗信仰に生きる、
島民の姿を通して日本人の根源的な生と性を描き、

「第42回キネマ旬報ベストテン」で1位、
「第23回毎日映画コンクール」で日本映画大賞を受賞されたのですが・・・

この映画では、沖縄での2年間の長期ロケにより、
2000万円もの借金を抱えてしまい、
「今村プロダクション」は破産寸前の状態に。

今村さんは、しばらくの間、
映画から離れることを余儀なくされてしまったのでした。

「死因は?楢山節考!うなぎ!カンヌ国際映画祭で二度のグランプリ!」に続く



  • LINEで送る
Sponsored Link

Sponsored Link

関連記事

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

カテゴリー

ブログランキング

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 押して頂けると嬉しいです(*^_^*)

このページの先頭へ