主人公の老女役を演じた映画「楢山節考」「カンヌ国際映画祭」でグランプリを獲得し、凱旋帰国された坂本スミ子(さかもと スミこ)さんですが、大麻譲渡疑惑が浮上し、書類送検されると、その後は表舞台から姿を消すことに。ただ、ライブ活動は続けられ、1993年からはご主人のお母さんの後を継ぎ、熊本で幼稚園・保育園の園長先生をされているようです。

「若い頃は?元夫は?たそがれの御堂筋!夜が明けて!」からの続き

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45歳で70歳の役に

45歳の若さで今村昌平監督の映画、「楢山節考」の老女おりん役に抜擢された坂本さんですが、なぜ、坂本さんだったのでしょうか?

実は、当初、今村監督は、おりん役には、巧みな演技力ではなく、素朴な農民の存在感が出せる女優を探していたことから、女優探しは困難を極め、ようやく、知人から紹介された65歳の元舞台女優の女性に頼み込んで出演をOKしてもらったのですが、

冬山での2週間の撮影が終わって、東京に戻り、ラッシュを確認すると、あまりにもその演技や雰囲気などが、おりんのイメージに合っておらず、詫びを入れて降板してもらっていたそうで、再び、女優探しは振り出しに。

そんな時、当時、今村さんの助監督を務めていた、武重邦夫(たけしげ くにお)さんのひらめきで、坂本さんに白羽の矢が立ったのでした。


「楢山節考」より。坂本さん(左)と緒形拳さん。

武重さんは、当時のことを振り返り、

そんな折、僕の頭に浮かんだのが坂本スミ子さんだった。彼女とは15年前に「人類学入門・エロ事師たち」で会ったきりだったが、病に倒れて死ぬ前の坂本さんの芝居の巧さには度肝を抜かれたものだった。

「監督、坂本スミ子さんはどうでしょうね?」僕がおずおず切り出すと、今村さんは一瞬戸惑った顔で黙り込んだ。

「オスミはまだ40代の半ばだろう・・・」
「調べたら45歳でした。エロ事師では20代で50近いお春さんをやったんだから・・・」
「う~ん、オスミをねぇ・・・」
「一度、会ってみてみたらどうでしょう。優秀なメイクを付ければ行けるんじゃないでしょうか」
「そうだなぁ・・・一度、会ってみるか・・・」

2日後、今村さんは大阪から戻ると、「オスミに決めたよ。スケジュール立ててみてくれ」と嬉しそうに笑った。

と、明かされています。

カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞

こうして、老女おりん役に抜擢された坂本さんですが、劇中でおりんが歯を砕くシーンがあることから、なんと、歌手にとって大切な歯(前歯2本)を自ら切断。


「楢山節考」より。左が老女おりんに扮する坂本さん。

当時、日本にはまだインプラント治療が普及していなかったことから、アメリカ帰りの歯科医に手術を依頼され、撮影がない時は、切った歯を特殊な接着剤でつけるなど、簡単に付け外しができるようにされたそうで、

このような役作りも評価され、1983年、「楢山節考」「カンヌ国際映画祭」に出品されると、見事、グランプリ(パルムドール)を受賞。

監督の代わりに同映画祭に出席されていた坂本さんは、会場で賞を受け取られたのでした。

坂本さんは、後に、この作品について、

これまでの芸能活動の中でも、特に、映画「楢山節考」は特別な作品です。素晴らしい監督、俳優さんと一緒に仕事ができ、カンヌ映画祭ではグランプリも獲得できてとても幸せでした。

この作品では、緒形拳さん演じる主人公・辰平の母親・おりん役を演じましたが、息子役の緒形さんとは実年齢では1歳しか違いませんでしたが、今でも本当の親子のような特別な情感を持っています。先日、緒形さんがお亡くなりになる少し前に、手紙を送ってくれたのも印象深いですね。

本当に素晴らしい作品で、主題歌で歌っている「親を眠らす子守唄」も含めて、歌手として、女優として、私の大切な宝物になっています。

と、語っておられます。


(左から)緒形拳さん、坂本さん、
原作者の深沢七郎さん、今村昌平監督。

大麻譲渡で書類送検

そして、栄えある賞を受賞し、帰国した坂本さんに、空港では報道陣が殺到。

坂本さんは、満面の笑みとピースサインで応えられたのですが・・・

実は、その取材は、カンヌでのグランプリ受賞についてではなく、「大麻譲渡疑惑」についての取材だったのです。

というのも、「カンヌ国際映画祭」でグランプリを獲得した直後、坂本さんが作詞家のなかにし礼さんの甥に大麻を譲渡した、という疑惑が持ち上がっていたのでした。

結局、後に、坂本さんは事情聴取を受けることとなり、「大麻取締法違反」で書類送検されてしまいます。

(この事件は、当時、連日ワイドショーをにぎわわせ、つきまとう報道陣に切れた坂本さんが、「ひつこ~いっ」と、怒りを爆発させる姿が話題となりました。)

現在は熊本で幼稚園の園長

こうして、坂本さんは、この事件以来、表舞台から姿を消し、ライブを中心に活動されていたのですが、

1993年からは、ご主人の石井禮次郎さんのお母さんの後を継ぎ、聖母幼愛園(保育園)・幼稚園の園長をされているそうで、

園には毎朝出勤されており、このお仕事が本当に楽しいとおっしゃっているそうです。

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娘は歌手の石井聖子

ところで、2008年頃からは、同じく歌手である、娘の石井聖子(いしい せいこ)さんとライブで共演され、

同年、「自分の足跡、歌声を残したい」との思いから制作された、坂本さんの50周年記念アルバム「夢で逢いましょう」では、娘さんがプロデュースを担当。

「夢で逢いましょう」「親を眠らす子守唄」の2曲でデュエットされています。

また、2010年の石井さんの誕生日ライブでも、親子共演されているので、母娘の仲はとても良いようですね。

ちなみに、石井さんも幼稚園教員の免状を持っており、坂本さんの幼稚園の経営にも携わっているそうです。


娘の石井聖子さんと坂本さん。

さて、いかがでしたでしょうか?

現在は、幼稚園の園長先生をされながら、ディナーショーなどもされている坂本さん。

80代という高齢でありながら、

まだまだ歌声を残していきたいと思っていますし、これからも歌手として女優として必要とされれば、積極的に出ていきたいと思います。

と、語っておられましたので、まだまだ、坂本さんの美声は聞けそう♪

これからも、お体には気をつけて、頑張ってほしいですね。

応援しています!!

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