瞳みのるの若い頃は沢田研二や岸部一徳とタイガースでドラム!

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1966年、「ファニーズ」のリーダー兼ドラマーとして、関西を中心に活躍されると、1967年には、上京し「ザ・タイガース」としてブレイクされた、瞳みのる(ひとみ みのる)さん。雑誌の表紙を単独で何度も飾るほどアイドル的な人気を誇る一方で、独特のリズム感を持ったドラムの腕も高く評価されていました。




プロフィール!


瞳さんは、1946年9月22日生まれ、
京都市上京区のご出身、

学歴は、
京都府立山城高等学校の夜間部、

本名は、
人見豊(ひとみ みのる)さん、

だそうです。


岸部一徳と出会い


瞳さんは貧しい家庭で生まれ育ち、中学生の時には、
牛乳配達をして家計を支えられていたのですが、

この時、中学の同級生だった岸部一徳さんと、
一緒に牛乳配達のアルバイトをされ親交を深められたそうで、

その後、瞳さんは高校の夜間部に進学し、
岸部さんは別の高校に進学したことで、
一旦親交は途絶えたのですが、

1963年、高校2年生の時、
二人は京都の四条河原町で再会。

この再会をきっかけに、小学校時代からの友人だった森本太郎さんや、
加橋かつみさん(いつ頃知り合われたのか不明)も交えて、
4人で遊ぶようになったそうです。


「サリーとプレイボーイズ」でリーダー兼ドラム


その後、経緯は分からないのですが、1965年に、
この4人で、バンド「サリーとプレイボーイズ」を結成すると、

(瞳さんはリーダー兼ドラムを担当されています)

翌年の1966年1月には、沢田研二さんが加わり、
グループ名を「ファニーズ」と改名。


「ファニーズ」(左から)森本太郎さん、加橋かつみさん、瞳さん、
沢田研二さん、岸部一徳さん。


そして、瞳さんは、大阪難波にあったジャズ喫茶「ナンバ一番」の、
専属オーディションを受けさせてもらえるように、
熱心に売り込みをかけられ、見事オーディションに合格すると、

ほどなくして「ファニーズ」「ナンバ一番」で絶大な人気を博し、
複数の芸能関係者からスカウトされるほどになったのでした。

(ただ、いずれも実現には至りませんでした。)


内田裕也との出会い


そんな中、瞳さんらは、「ナンバ一番」で共演した、
「ブルージーンズ」内田裕也さんに声をかけられます。

しかし、またしても、その後は具体的な話にならなかったため、
いてもたってもいられなくなった瞳さんは、宣伝材料を携え、
単身上京されると、内田さんの自宅を訪問。

そして、ついに、内田さんから、
東京へ呼んでもらうところまでこぎつけられると、

1966年11月、「ファニーズ」は、
関西での活動を終え、上京することに。

(ちなみに、1966年5月から上京する直前までの約半年間は、
 メンバー全員で大阪市西成区の木造2階建てアパート「明月荘」
 の1階で共同生活を送っておられたのですが、その「明月荘」は、
 2015年現在でも、無人で荒れ放題ながら、現存しているそうです。)


「ザ・タイガース」で大ブレイク


その後、「ファニーズ」は、「ザ・タイガース」と改名し、
同時にリーダーも瞳さんから岸部さんに変更。

そして、1967年2月には、
ファーストシングル「僕のマリー」でデビューすると、


「僕のマリー」

なんと、同年5月にリリースしたセカンドシングル、
「シーサイド・バウンド」が、いきなり、
レコードセールス40万枚を超える大ヒットを記録。


「シーサイド・バウンド」

その後も、1968年にリリースした、

「君だけに愛を」
「銀河のロマンス/花の首飾り」
「シー・シー・シー」

が立て続けに大ヒットを連発し、「ザ・タイガース」は、
瞬く間にスターの座へと駆け上ったのでした。




単独でも人気者に


ちなみに、瞳さんは単独でも、当時2大アイドル雑誌と呼ばれた、
「セブンティーン」「ティーンルック」で、
沢田さんとツーショットで創刊号の表紙を飾られているほか、

その他の雑誌でも、表紙やピンナップを、
何度も飾られるほど、人気を博していたのですが、



その人気に甘えることなく、ジャズドラマーを目指すほど、
ドラムに賭ける想いは強かったようで、

「ザ・タイガース」がハードスケジュールにより、
新曲を十分に練習する時間がなく、レコーディング時は、
スタジオミュージシャンによる演奏が多かったにもかかわらず、
ドラムだけはほとんどの曲を瞳さん自身が叩かれており、

休日でもひとりでスタジオにこもり、ドラムの練習に打ち込まれるなど、
瞳さんの努力家ぶりには、他のメンバーも一目置かれていたそうです。


失踪未遂


こうして、人気絶頂の中、各メンバーは、
充実した時を送っていると思われていたのですが、

1968年5月頃から、メンバーの加橋さんが、
アイドルチックな路線に嫌気がさし、
脱退をほのめかし始められると、

その後、幾度となく脱退の意思を事務所に伝えるも、
なかなか了承してくれなかったことから、

1969年3月、ついに、
加橋さんは、突然、失踪してしまいます。

すると、今度は、これまで、
京都時代から苦楽をともにしてきた仲間たちと、
頂点に君臨できるバンドになることを真剣に考えてきた、
瞳さんがひどいショックを受けてしまい、

なんと、瞳さんまでも、
事務所に脱退の意向を申し出られたのでした。

そして、やはり瞳さんも事務所からは脱退の承認は得られず、
瞳さんも、加橋さん同様に失踪を計画。

ただ、事前に発覚して引き止められると、
岸部さんとマネージャーに説得され、
渋々引き下がられたのですが・・・

「タイガース解散!実家で高校教師?」に続く



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