「ザ・タイガース」解散後は、元メンバーたちや関係者たちとの交流を一切絶ち、1981年の「ザ・タイガース」再結成にも参加されなかった瞳さんですが、沢田研二さんや岸部一徳さんら元メンバーに慕われ続け、ついに、2011年、40年ぶりに復帰し、沢田さんの全国ツアーに参加されます。


「タイガース解散後は実家に帰り高校教師をしていた!」からの続き

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「ザ・タイガース」再結成の誘い

「ザ・タイガース」の解散後は、高校の教師をしながら、
のんびり過ごしていた瞳さんですが、

そんなある日、一本の電話が学校にかかってきます。

そして、電話に出た人によると、なんと、その内容は、
「ザ・タイガース」再結成に関すること。

ただ、当時は、「ザ・タイガース」解散後10年ほどの頃で、
沢田研二さん以外は、誰も売れていない状況だったことから、

瞳さんは、瞬時にお金儲けのための再結成だと思い、

「僕らのタイガースを汚すな」

と、カッとなり、思わず、電話に出た人に、

「絶対に取り次がないでくれ!」

と、言われたのでした。

再結成に参加拒否

実は、この電話は、内田裕也さんが企画した、
グループサウンズ黄金時代の再現にあたり、
「ザ・タイガース」も再結成して出演してほしい、
というものだったのですが、

瞳さんは、「ザ・タイガース」解散後は、
一切、元メンバー達との交流をたっており、

この電話の後も、元メンバー、関係者ほか、
マスコミからの連絡も頑なに拒否。

そして、ついには、そんな瞳さんの態度に、
しびれを切らせた内田裕也さんが、
高校まで押しかけて面会を迫ったそうですが、

それでも瞳さんは断固拒否され、最後には、
警察が出動する騒ぎにまでなったそうで、

結局は、1981年1月に、
「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」が開催されると、

「ザ・スパイダース」「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」
「ザ・カーナビーツ」
など、往年のグループ・サウンズが再結成して集結。

「ザ・タイガース」も、瞳さんが参加しないまま、
岸部一徳さん、森本太郎さん、加橋かつみさん、沢田研二さん、
の4名で再結成し参加されたのでした。

「ザ・タイガース」が本格的に再始動

そして、翌年の1982年には、
岸部シローさんを加えた5名で、
「ザ・タイガース」は本格的に活動を開始。

(ただ、瞳さんに配慮して、「来たい人だけ来ればいい」という意味合いで、
 「再結成」とは言わず、一貫して「同窓会」という言葉を用いられました。)

同年の1982年に、
アルバム「THE TIGERS 1982」
シングル「色つきの女でいてくれよ」
をリリースすると、

オリコンチャートトップ10にランクイン、
音楽番組「ザ・ベストテン」では2位にランクインするなど、
ブランクを感じさせない人気を博し、

「ザ・タイガース」は1983年まで、
活動を続けられています。

(1989年には、「第40回NHK紅白歌合戦」に出場されています。)

「Long Good-by」

こうして、頑なに、元メンバーとの交流を、
拒否し続けていた瞳さんですが、

その一方で、元メンバーたちは、
瞳さんへの想いを持ち続けていたようで、

2003年には、森本さんが自身のバンド、
「森本タローとスーパースター」で、
瞳さんへの想いを綴ったオリジナル曲「Long Good-by」
(作詞/岸部一徳、沢田研二、作曲/森本太郎)を発表されると、

2008年9月には、この曲を沢田さんが、
NHKの音楽番組「SONGS」で歌唱されており、

それを知った瞳さんは、
胸にこみ上げてくるものを感じたそうです。

実は、この曲は、1971年1月、解散直前だった、
「ザ・タイガース」が最後の音楽フェスティバル、
「日劇ウエスタン・カーニバル」に出演した際、

瞳さんが、日劇の奈落で、岸部さんに、
「京都に一緒に帰ろう」と話したやりとりを、
題材にして作られた曲ということで、

瞳さんは、後に、その時の気持ちを、

2008年に、2週に渡って沢田を特集している、
NHKの「SONGS」という番組を見たんです。

その一番最後、大トリで、
沢田はあの曲(Long Good-by)を歌ったわけですね。

それを考えると、彼があの曲に秘める比重というのをすごく感じました。
「僕のことをそんなに想っていてくれたんだ」と熱いものを感じて、嬉しくて。

それで、これはメンバーにお返しをしなければと思って。
「道」という返歌もすぐに作りました。
友人が目次を作ってくれたことも後押しになりましたね。

と、明かされています。

再会

その後、瞳さんは、(元マネージャーの呼びかけで)
元マネージャーと再会を果たされると、

会うなり、元マネージャーが、

「事務所がメンバーをバラバラにして、タイガースを壊してしまった」

と謝罪されたそうで、

瞳さんは、

「彼も悪気はなかったんだ」

と、マネージャーを誤解していたことに気がつき、
長年のわだかまりが解け始めます。

そして、2008年12月には、ついに、
森本さん、岸部さん、沢田さんと、
38年ぶりに東京渋谷の居酒屋で再会。

(翌年の2009年には加橋さんとも再会)

瞳さんは、その時の様子を、

そしたらね、(森本)太郎のやつ、いきなり泣き出してね。
「会いたかった」って言うんです。

沢田は緊張している様子で、こっちが、
「おうっ」って言ったら、「おうっ」って。
それだけか。みたいなね。

岸部も寡黙だったけど、2時間くらい話をしていたら、
あっという間にバンド結成当時みたいに戻った。

話題は、メンバーみんなでお世話になっていた、
ゲイのタニマチの別荘に遊びに行った時の話とか、
くだらないものばかりでしたよ。

と、まるで長年のブランクがなかったかのように、
すぐに打ち解けたことを明かされると、

やっぱりこいつらは一生の友達なんだってわかりました。

と、強く実感されたのでした。

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「ザ・タイガース」再々結成

こうして、瞳さんは、
2009年3月に高校の教師を退職し、

2011年9月に、
沢田さんの全国ツアーに参加されると、

(この時は、加橋さんが参加を見送られ、
 「ザ・タイガース」再結成とはなりませんでした。)

実に40年ぶりの瞳さんの音楽活動再開ということで、
全国で瞳さんの復帰を心待ちにしていたファンから、
熱狂的な歓迎を受けます。

そして、ついに、2013年1月に、
加橋さんが加わり、1969年以来、実に44年ぶりに、
「ザ・タイガース」がオリジナルメンバーで再結成すると、

同年12月にスタートした日本武道館でのライブでは、
全国8会場で10万人を集めるなど、
再びファンを熱狂の渦に巻き込んだのでした。

さて、いかがでしたでしょうか?

10代で知り合った仲間たちと大成功を収め、
その後は自身の信念によりバンドを解散させると、
その稼いだお金で復学するなど、
気ままに過ごしてこられた瞳さんですが、

40年近く連絡を取っていなかったにもかかわらず、
慕われ、求められ、再びステージに復帰できるなんて、
瞳さんには、よほど人を引きつける力があるのでしょうね。

それにしても、復活してからの「ザ・タイガース」
みんなとても楽しそうです♪

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