1972年にブロードウェイミュージカル「アプローズ」をヒットさせると、その後も、海外ミュージカルを次々と上演した、浅利慶太(あさり けいた)さんですが、大人気だった越路吹雪さんが亡くなると、たちまち経済的に困窮。そんな中、国鉄(JR)の貨物駅を取り壊した跡地にテント型の専用劇場「キャッツ・シアター」を設置し、ミュージカル「キャッツ」を上演すると、テント小屋公演というユニークな発想でたちまち人気を博し、以降、日本各地でロングラン公演を成功させます。


「石原慎太郎に?日生劇場?新劇からミュージカルに!」からの続き

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海外ブロードウェイミュージカルが人気を博すも・・・

1972年に越路吹雪さんと雪村いづみさん主演の、
ブロードウェイミュージカル「アプローズ」を、
ヒットさせた浅利さんは、その後も、

1973年 ロック・オペラ「イエス・キリスト=スーパースター」
1974年「ウエストサイドストーリー」
1975年「エクウス」
1976年「ジーザス・クライスト=スーパースター」
1979年「コーラスライン」

「ジーザス・クライスト=スーパースター」(1976年)より。
鹿賀丈史さん(左)と市村正親さん(右)。

などの海外ミュージカルを、「劇団四季」により、
様々な劇場で上演し、人気を博すのですが、

日本の劇場は月単位契約のため、
ヒットを重ねても収益は限られており、

この頃の「劇団四季」の収入源は、
越路吹雪さんのリサイタル頼み。

越路吹雪さん

しかし、その頼みの越路吹雪さんも、
1980年に他界。

ついに「劇団四季」は経済的困窮してしまい、
当時、参宮橋(東京都渋谷区代々木)にあった事務所や稽古場を、
あざみ野(神奈川県横浜市)へと移転したのでした。

「キャッツ」が大ヒット

そんな中、浅利さんは、経済的に困窮する一番の原因が、
日生劇場との月単位契約であるとして、
「劇団四季」の専用劇場の確保を模索。

1983年には、西新宿の空き地を利用した、
テント型の専用劇場「キャッツ・シアター」を設置し、
日本演劇史上初となる、1年ものロングラン興行、
ミュージカル「キャッツ」をスタートさせると、

この公演は、テント小屋公演という、
これまでになかったユニークな発想が観客に受け、
爆発的な人気となったのでした。

当時の「キャッツ・シアター」の模型

そして、この勢いに乗った浅利さんは、続く1985年には、
大阪西梅田のコンテナヤード跡地に建てたテント式劇場で、
「キャッツ」を上演することに。

当時、地方で数ヶ月に及ぶロングラン公演は、
無謀と言われていたのですが、

浅利さんは、大胆にも、

「大阪で3カ月しかもたなかったら四季は解散する」

と、大阪での上演前に宣言されると、

なんと、大阪では、東京の1年を超える、
13ヶ月のロングランを記録。

そして、その後も「キャッツ」は再演を繰り返し、
2016年時点で、全国9都市、上演回数9000回、
900万人を動員する人気ミュージカルとなったのでした。

大劇団へと成長

以降、浅利さんは、

「オペラ座の怪人」
「ミュージカル李香蘭」
「アスペクツ オブ ラブ」

「オペラ座の怪人」

「クレイジ―・フォー・ユー」
「美女と野獣」
「ライオンキング」

「美女と野獣」

などの海外ミュージカルを次々とヒットさせるほか、

「夢から醒めた夢」
「ユタと不思議な仲間たち」

「夢から醒めた夢」

「ミュージカル李香蘭」
「ミュージカル異国の丘」
「ミュージカル南十字星」

「ミュージカル李香蘭」

など、オリジナルミュージカルを創作すると、
現在も再演が続くほどの人気を博し、

「劇団四季」を、全国に8つの専用劇場、
年間3000ステージ、300万人動員、
売上200億円以上という、大劇団へと成長させたのでした。

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突然の社長退任で稽古場を出禁?

こうして、演劇界に革命を起こしてきた浅利さんでしたが、
2014年、「四季株式会社」の社長をまさかの退任。

この突然の引退は演劇界を動揺させたのですが、

浅利さんは、日頃から、

僕も今年で81歳。劇団も創立60周年を迎え、
経営についても若い人に任せたい。

と、話されていたそうで、
ご本人の意向によるものだったようです。

ただ、演出家としての活動は、
これからも続けられる予定だったのですが、

なんと、浅利さんは、「劇団四季」の稽古場を、
出入り禁止になっているというのです。

何があったのでしょうか?

「現在は?認知症で出入り禁止?嫁は野村玲子!元妻は?」に続く

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