1986年2月にリリースした17枚目のシングル「スシ食いねェ!」が、寿司ネタの歌詞とラップ調のメロディで一世を風靡した「シブがき隊」ですが、従来のアイドルらしからぬお笑い的要素は、後に「SMAP」「TOKIO」「Kinki Kids」などがバラエティで活躍するための礎となっていったのでした。


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「シブがき隊」のメンバーはTBSによって選ばれていた

「シブがき隊」といえば、ジャニーズですが、
実は、もともと、「シブがき隊」はTBSにより選ばれていたそうで、

もともと、1981年4月、TBSテレビドラマ、
「2年B組仙八先生」に生徒役で出演していた、
本木雅弘さん、薬丸裕英さん、布川敏和さんは、

特に人気が高かったことから、「仙八トリオ」
「悪ガキトリオ」
などと呼ばれていたのですが、

「2年B組仙八先生」より。
(左から)本木雅弘さん、布川敏和さん、薬丸裕英さん。

同年夏に、女性向けファッション雑誌「セブンティーン」
の一般公募で正式に「シブがきトリオ」と命名されます。

(「シブいガキ」が由来とのことです)

ただ、当時、3人組といえば、「○○トリオ」のように、
「トリオ」をつけるグループ名が多かったことから、

ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんが、
目立つようにと、あえて、「トリオ」から「隊」に変更し、
「シブがき隊」と改名されたのだそうです。

ちなみに、

本木雅弘さんは、もっくん
布川敏和さんは、ふっくん、
薬丸裕英さんは、やっくん、

と呼ばれていました♪

「NAI・NAI 16」でデビュー

そんな「シブがき隊」は、翌年1982年5月には、
ファーストシングル「NAI・NAI16」でデビューするのですが、

「NAI・NAI16」

「シブがき隊」の楽曲は、これまで、
ジャニーズ事務所が押し出していた「王子様路線」ではなく、

1980年代初頭にブームとなった「ヤンキー文化」
を取り入れた「やんちゃ系」路線で、

1982年7月「100%…SOかもね!」
     10月「ZIG ZAG セブンティーン」

1983年2月「処女的衝撃!(ヴァージンショック)」
     5月「ZOKKON 命(LOVE)」
     8月「Hey! Bep-pin」
     10月「挑発∞(MUGENDAI)」

1984年1月「サムライ・ニッポン」
     3月「喝!(カツ)」
     6月「キャッツ&ドッグ」
     7月「アッパレ! フジヤマ」
     10月「べらんめぇ! 伊達男(ダンディ)」

1985年1月「男意ッ気(イッキ)」
     4月「DJ in My Life」
     6月「月光淑女!(ムーン・ビーナス)」
     10月「KILL」
1986年1月「トラ! トラ! トラ!」

と、立て続けにシングルをリリース。

ただ、それでいて、ルックスはリーゼントなどのツッパリ風ではなく、
アイドルのままだったことから、この絶妙なバランスが、
アイドルファン、ツッパリファンの両者に受け入れられ人気者に。

また、「シブがき隊」は、アイドルでありながら、
バラエティ番組でのコントやフリートークのほか、
歌番組に出演した時のコメントなどでも、
卓越したお笑いのセンスを発揮。

こちらも、「ヤンキー文化」同様に、当時の「MANZAIブーム」に乗って、
「面白いことが言えるアイドル」として、
今でいう、バラドルのさきがけとなったのでした。

「すし食いねえ!」の誕生秘話

そして、1986年2月、
17枚目のシングル「すし食いねえ!」をリリースすると、

寿司ネタの歌詞とラップ調のメロディからなる、
斬新な楽曲がウケ、大ヒット。

「すし食いねえ!」

実は、この曲には、
ちょっと変わった誕生秘話がありました。

というのは、1985年、
名古屋でのコンサートツアーの初日、

薬丸さんが諸事情で参加できず、
布川さんと本木さんのみ参加のコンサートとなったのですが、
二人だけでは曲間のトークが盛り上がらなかったそうで、

その夜、布川さんは、バックバンドのベーシストKUZUさんと2人で、
場を持たせるための曲を作ろうということになります。

そこで、布川さんは、その当時、
アメリカのヒップホップグループ「Run-D.M.C.」の影響で、
日本でもラップが知られはじめていた時期だっったことから、
ラップを作ることを提案。

(実は、布川さんは音程をはずすことがよくあり、
 ラップなら自分でも歌える、と思われたそうです♪)

こうして二人がラップ作りに取り掛かかったところ、
ルームサービスで寿司を注文した際のメモ用紙が目に飛びこみ、
歌詞に注文したネタを並べることを思いついたそうで、

お遊び感覚で作詞したのが、
「すし食いねえ!」の原曲となったのでした。

そして、翌日のステージでこの歌を本木さんと二人で、
振りを付けて披露したところ、予想以上に大ウケ。

それで、薬丸さんの復帰後も、
ツアーのトーク時にはこの曲をやり続けていると、

それがプロデューサーの目にとまり、
プロの作詞、作曲家によって作り直され、
レコーディングすることに。

そして、出来た曲が、NHKの歌番組「みんなのうた」で、
1985年12月~1986年1月の曲として放映されるのですが、
そのユニークさがウケて大きな話題に。

同年12月31日に行われた、
「第36回NHK紅白歌合戦」でも披露することになったのでした。
(NHK紅白歌合戦史上初のリリース前に歌唱された楽曲だったそうです)

こうして、翌年の1986年2月、「すし食いねえ!」は、
満を持して、17枚目のシングルとしてリリースされたのでした。

解散理由は少年隊?

しかし、どうしたことか、同じ年の1986年8月、
「シブがき隊」は、突然、東京厚生年金会館で解隊宣言。
同年11月、「解隊」(解散)してしまいます。

一体、何があったのでしょうか?

実は、「シブがき隊」には、
解散の話が2度持ち上がったことがあったそうで、
いずれも、布川さんが解散を言い出されているのですが、

一度目は、当時、お給料はすべてご両親に振り込まれていたこともあり、
仕事をしているというよりは、部活をしている感覚に近かったそうで、

18歳になると、周囲が就職活動や大学進学など、
進路を決めている姿を見て、「俺も働かなきゃ」
と思われ、解散を言い出されたそうです。

ただ、その時は、周囲の大人たちから、
攻められたり、なだめられたりして丸め込まれてしまったそうで、
そのまま「シブがき隊」として活動を続けることに。

そして、布川さんが23歳になり、
2度目の解散の話を切り出すのですが、

それは、その頃、「少年隊」がデビューし、
バック転をする姿を見て、

「俺ら終わったな」

と感じたからだそうで、
(「シブがき隊」はバック転ができなかったことから)

このままシブがき隊として、おじいさんまでやっていけるのか?
どうせなら人気のあるうちに解散しよう。

と、3人で話し合い、解散が決まったのだとか。

布川さんは、当時を振り返り、

少年隊がデビューするために猛レッスンしてるのは知っていたから、
それを見て、「あいつらがデビューしたらシブがき隊は終わりかもね」
なんて話してたんですよ(笑)。

でも、シブがき隊にいたから、三の線でコントやったり、
メンバーをバラ売りしたり、新しいチャレンジができた。

まあ僕らはお試し用で、もし失敗しても、
少年隊や光GENJIがいるからっていうのがあったのかな(笑)。

でも、それが今のジャニーズの活躍に、
つながっているんじゃないかなと思いますね。

僕らはコンサートのMCもハチャメチャだったんだけど、
ジャニーさんは「シブがき隊のトークを盗みなさい」
って後輩に言ってたらしいですよ。
ただ、「踊りと歌は少年隊」だったそうですけど(笑)

と、明かされています♪

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再結成は?

さて、「シブがき隊」解散後は、
本木さんと布川さんはすぐに、
薬丸さんは約1年後にジャニーズ事務所を離れ、

本木さんは俳優、薬丸さんは司会者、布川さんはタレントと、
それぞれの道で活躍されているのですが、

2人での共演はあるものの、
3人そろっての共演は一度もありません。

3人そろったときのファンの熱を考えると、
それに応えるだけの気持ちが決まらないとやっちゃいけない。

と、布川さんがおっしゃっていたことがあったので、
「シブがき隊」再結成は、当分、先かもしれませんね。

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