もともとは、スタイリストとしてファション関係の仕事をされていた黒澤和子(くろさわ かずこ)さんですが、1988年にお父さんである映画監督の黒澤明さんの勧めで映画界に入られると、以降、時代劇、現代劇を問わず、数多くの映画で衣装デザインを担当されています。


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プロフィール!

黒澤さんは、1954年4月29日生まれ、
東京都のご出身です。

血液型はA型、

学歴は、
成城学園高等学校中退、

趣味は、
ミステリー、刑事もの小説を読むこと、DVD鑑賞、

お父さんは、映画監督の黒澤明さん、
お母さんは、元女優の矢口陽子さん、
お兄さんは、映画プロデューサーで実業家の黒澤久雄さんです。

幼少期いじめに遭うもスタイリストを目指す

黒澤さんは、幼稚園の頃から成城学園に通われていたのですが、
小学生の頃、いじめに遭って不登校となってしまい、

さらに、中学時代には、お父さんである、
黒澤明監督の映画「天国と地獄」になぞらえ、
「娘を誘拐する」などの脅迫やいたずらが続いたことで、

外に出られず、車で登下校をされるなど、
つらい日々を送られていたそうです。

「天国と地獄」より。(左から)仲代達矢さん、
三船敏郎さん、香川京子さん。

そんな中、中学時代には、デザイナーに憧れて、
ファッションの勉強を始められると、

その後、エスカレーター式で、
高校に進学されるも、高校を中退。

1972年に、スタイリストを目指して
「サン・デザイン研究所」に入学・卒業されると、

スタイリストの仕事をしながらも、さらに勉強をしようと、
「伊東衣服研究所デザイン科」で学ばれます。

そして、1976年には、仏クチュリエール専門学校に
留学する準備をされていたのですが、直前に、
デザイナーの加藤晴之さんと結婚したことで断念。

翌年の1977年には、息子さんを出産されると、
その後、ご主人の都合でイタリアに渡られ、
1978年には、二人目の息子さんを出産。

1979年には帰国されるのですが、
1983年、加藤さんと離婚されています。

黒澤組で衣裳デザイン

そして、同年、黒澤さんは、
デザイン会社を設立されるのですが、

1985年にお母さんが亡くなったことで会社を閉鎖し、
「黒澤プロダクション」の秘書を務めることになると、

1988年には、お父さんの勧めで、
「黒澤組」に加入し、衣裳部に所属。

1990年の映画「夢」で、
衣裳担当として参加されると、

続く、
1991年「八月の狂詩曲」
1993年「まあだだよ」
では、衣裳デザイナーをされています。

※衣裳部が衣裳を保管したり、クリーニング・メンテナンスするのに対し、
 衣裳デザイナーは、監督と意思疎通をはかりながら衣裳の選定も行うそうです。

「夢」撮影中の黒澤監督と和子さん。

その後、黒澤監督の遺作となった「まあだだよ」を最後に、
しばらく表立った活動はされなくなるのですが、

2000年に、時代劇「雨あがる」
(黒澤監督脚本・小泉堯史監督)で復帰されると、

その後、2007年頃まで、
主に時代劇の衣裳デザインを担当されています。

黒澤さんは、その理由について、

父の影響で映画の世界に魅せられ、
時代考証や日本民族衣裳の勉強に励み、
時代劇の仕事が急増。

と、自身のブログに綴られていましたが、

2007年以降は、時代劇、現代劇問わず、
様々な監督の作品で衣裳デザイナーとして、
活動されています。

「アウトレイジ」で初のバイオレンス作品に

どうしても、お父さんの作品の影響で、
時代劇のイメージが強い黒澤さんですが、

2010年には、北野武監督作品「アウトレイジ」で、
初のバイオレンス作品の衣裳デザインを手がけられています。
(2012年「アウトレイジ ビヨンド」でも)

とはいえ、もともとはファッションショーのスタイリストで、
モードの世界に身を置かれていた黒澤さんなので、

ワイルドなスーツの着こなしを、
見事にスタイリングされていますね。

ちなみに、黒澤さんは、

私の、初めてバイオレンス作品衣裳です。
カラッと男っぽい現場、楽しかったです。

と、自身のブログに綴られており、
新たな挑戦はとても楽しかったようですね♪

「アウトレイジ ビヨンド」

大野智と?

ところで、黒澤さんを、
「大野智」で多くの方が検索されているようです。

というのも、黒澤さんは、2017年に、
映画「忍びの国」で衣装デザインを担当されており、

同映画で主演を務められている「嵐」の大野智さんと、
2017年7月号の「芸術新潮」で、
10ページにわたり対談されているのです。

黒澤さんと大野智さん♪

黒澤さんによると、現代人がイメージする忍者の装束は、
実は江戸時代以降に後付けされたもので、

この映画の舞台である、戦国時代には、
忍者はまだそのような姿はしておらず、

普段は野良着で一般の農民に紛れて、
スパイ活動をしていたのだとか。

とはいえ、映画上では、
観客に忍者とわかってもらうために、

野良着の上着を脱ぐと忍者の装束になるというふうに、
工夫して衣装を作られたとのことで、

同映画の中で、伊賀一の忍び、
無門(むもん)役を演じられている大野さんは、

今回の無門の衣装は、ライブや舞台での和風の衣装のように、
派手でわかりやすいものとは違い、非常にシンプル。
なのに、細部はすごく凝っていて、感動しました。

と、おっしゃっていました。

また、大野さんは、派手な色よりも抑え目の色の方が好きだそうで、
個人的にも無門の衣装をとても気に入られたとのことでした♪

「忍びの国」より。無門に扮する大野智さん。

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息子は?

最後に、黒澤さんのお子さんなのですが、

前述のとおり、離婚された加藤晴之さんとの間に、
年子の息子さんを二人(長男、次男)、

そして、加藤さんと離婚後に、
違うお相手(不明)と未婚のまま、
さらにもうひとり息子さん(三男)を、
もうけられているようです。

まず、長男は、俳優の、
加藤隆之(1977年生まれ)さん。

加藤隆之さん

隆之さんは、1999年、
テレビドラマ「リング~最終章~」で、
テレビドラマデビューされると、
以降、俳優として活動されていたようですが、

2010年以降は、テレビドラマや映画には出演されておらず、
現在は、脚本や小説を書く修行をされているとのこと。

次男は、画家、イラストレーターとして活動されている、
加藤秀之さん(1978年生まれ)。

三男は、情報がないことから、芸能界ではなく、
一般のお仕事をされているのかもしれません。

ちなみに、黒澤さんは、現在も、
3人の息子さんとともに楽しく暮らされているとのことで、

黒澤さんは、ご自身のブログに、

親子で名字が違うのはナゼ!?
よく聞かれます。

加藤隆之は実の息子、長男ですが、
我が家は母子家庭ですから(^.^)b

お父さん方の名字のまま、上の二人が加藤で、
加東大介という「七人の侍」をはじめ、
多くの作品に出ている俳優がお爺ちゃん。

もう片一方のお爺ちゃんが、
我父、黒澤明って訳です!!

三男は、父親が違うから黒澤姓です。

離婚とか母子家庭とか、
そういうことは気にしない我が家の気風、
裏表なしの和やか朗らか家族です(^O^)/

と、綴られていました♪

さて、いかがでしたでしょうか?

「たそがれ清兵衛」「座頭市」「武士の一分」「私は貝になりたい」
「清須会議」「そして父になる」「龍三と七人の子分たち」
など、
話題の映画で数多くの衣装を手がけられた黒澤さん。

「世界のクロサワ」と呼ばれるほど有名な映画監督を、
お父さんに持ったことはとてもラッキーでしたが、

それでも、衣装デザインのセンスは、
やはり、黒澤さんの実力。

この機会に是非、上記の作品で、
黒澤さんの衣装をチェックしてみて下さい♪

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