凱旋後は、タイガーマスクと対戦するなど、「全日第4の男」として活躍した大仁田厚(おおにた あつし)さんですが、1983年、ヘクター・ゲレロさんとの試合終了後にリングを超えた際、足をすべらせ、左膝に大けがを負うと、約1年の欠場後、復帰されるもかつてのような活躍はみせられず引退。その後は、タレント、実業家に転身するも失敗。そんな中、女子プロレスのコーチ就任の話が舞い込みます。


「ジャイアント馬場の弟子だった!若手三羽烏?」からの続き

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タイガーマスクと対戦

見事、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を奪取し、
凱旋帰国を果された大仁田さんですが、

実は国内では、大仁田さんが海外修行に出発された1981年に、
ライバル団体からタイガーマスク(佐山聡さん)がデビューして、
爆発的な人気を博しており、

大仁田さんは、そんなタイガーマスクの、
対戦相手に選ばれるも、

空中殺法など、次から次へと、
華麗な技を繰り広げるタイガーマスクに対し、

大仁田さんの持つ派手な空中殺法といえば、
場外の相手へ頭から突っ込む「トペスイシーダー」くらいで、
どうしても地味な印象が拭えなかったのでした。

大仁田さんとタイガーマスク

左膝の大けがで引退を決意

それでも大仁田さんは、周囲の期待に答えるべく、
毎日のように飛び続け、ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さん、
天龍源一郎さんに続く、「全日第4の男」として注目されるのですが・・・

1983年、東京都体育館でのヘクター・ゲレロさんとの試合終了後、
ロープを超えてリングを飛び降り、地面に着地した際、

足をすべらせ、全体重がかかった状態で膝を床にうちつけ、
左膝蓋骨粉砕骨折という大けがを負ってしまったのでした。

そして、医師からは「再起不能」の宣告。

大仁田さんは、当時を振り返り、

ケガをした瞬間に「終わったな」と思った。
実は、前日から、ものすごくひざが痛くて、おかしいなと思っていた。

今、思えばメキシコ時代から場外に飛び続けて、
メキシコは場外にマットがないから、
ダイレクトにひざを床に打ち付けていた。

そこからずっとダメージが日々、蓄積していたんだと思う。

と、明かされているのですが、

それでも、その後、2度に渡って膝の手術をし、
まだ膝の痛みが引かぬまま、約1年後に復帰されます。

しかし、やはり、かつてのような活躍はできず、
大仁田さんはとうとう引退を決意。

最後にけじめとして、馬場さんに
NWAインターナショナルジュニア王者のマイティ井上さんへの挑戦を、
直訴して認められると、負けたら引退することを公言。

そして、1984年12月12日、後楽園ホールの試合にて、
大仁田さんは、井上さんに「回転エビ固め」で敗れてしまい、
引退が決定してしまったのでした。

引退後はタレント、実業家に転身するも・・・

そんな大仁田さんは、引退後はタレントに転向し、
「11PM」へのレギュラー出演のほか、
ドラマにも出演されるのですが、まったく売れず、

ほどなくして、タレント活動も辞め、
不動産業や飲食店を経営。

しかし、これらもうまくいかず、借金まみれとなってしまい、
借金返済のために、土木作業、道路工事、配送など、
さまざまなアルバイトをされます。

また、この頃、現役時代から交際し、
引退後に結婚した女性とも別居となるなど、

プライベートも散々で、
どん底の日々を過ごされたのでした。

プロレス界復帰への思い

そして、ある雨の夜、
大仁田さんが道路工事の仕事で穴を掘っていると、

ひとりの少年が近寄ってきて、

「大仁田さんでしょ?サインしてください」

と、色紙を出してきたそうで、

大仁田さんはその色紙に、
「元NWAインターナショナルジュニアヘビー級チャンピオン」
と、書かれます。

ただ、その途端、

プロレスラーとしての人生に自分でふたを閉めたのに、
サインに応じて、なおかつ、
レスラー時代の肩書を書いてしまうオレは何なんだろうってね。

と、自分で自分が許せなくなったそうで、

この出来事をきっかけに、これではダメだと思われ、
きちんと就職することを決意。

しかし、就職活動を始められるも、
中卒のため、すべて不採用。

そんな絶望の中で、大仁田さんは、

「もう一度プロレスをやろうか」

と、徐々に考えるようになっていったのでした。

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女子プロレスのコーチ就任~現役復帰へ

そんな折、大仁田さんの元に、
ジャパン女子プロレスのコーチの話が舞い込み、

大仁田さんは、1988年12月、
ジャパン女子プロレスのコーチに就任。

しかし、同じくコーチをしていた、
グラン浜田さんとリング上で遺恨が発生してしまいます。

そして、なんと、その決着を、
ジャパン女子後楽園ホール大会のリング上でつけることになり、
大仁田さんは、期せずして現役復帰。

ただ、当時、女子のリングで男子が試合をすることは、
ありえないことで、(逆も同様)

現役復帰戦は、女子プロレスファンの大ブーイングの中で行われ、
誰にも歓迎されず、大仁田さん自身、感激もなかったのですが、
あることがひらめいたというのです。

「引退回数は?有刺鉄線電流爆破デスマッチで傷は1000針以上!」に続く

大仁田さんとグラン浜田さん

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