脚本家を目指しながら、「クレージーウエスト」のバンドマンとして活動中、顔が面白いことを理由に、いかりや長介さんにスカウトされて、「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に加入された、荒井注(あらい ちゅう)さんは、その後、「8時だョ!全員集合」で、ふてぶてしいキャラを活かしたコントや「This is a pen!」「何だ、バカヤロウ!」などのギャグがヒットし、一躍、人気者となられます。

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出身は?身長は?本名は?

荒井さんは、1928年7月30日生まれ、
東京都のご出身、

身長158センチ、

学歴は、
立教大学文学部宗教学科中退後、
二松學舍大学文学部国文学科卒業、

趣味は、釣り、

資格は、教員免許、

ちなみに、本名は、荒井 安雄(あらい やすお)です。

「クレージーウエスト」から「碇矢長一とザ・ドリフターズ」へ

荒井さんは、大学卒業後、脚本家を目指しながら、「クレージーウエスト」のバンドマンを務めていたのですが、

当時、バンド「碇矢長一とザ・ドリフターズ」のリーダーとして活動していた、いかりや長介さんが、突如、主要メンバー4名から脱退され、新たなメンバーを探されており、

1964年9月、

トリスのおじさんみたいな面白い顔をした奴がいる

との評判を聞きつけた、いかりや長介さんからスカウトされ、いかりやさんのバンド「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に加入されています。

(ちなみに、この時期、荒井さんの他に、高木ブーさんと仲本工事さんが加入されています。)

オルガンを担当

こうして、1965年、「ザ・ドリフターズ」と改称した、「碇矢長一とザ・ドリフターズ」は、いかりやさん、荒井さん、高木ブーさん、仲本工事さん、加藤茶さんで、活動をスタートし、

(荒井さんはオルガン(ピアノ)を担当し、当時流行していたロカビリーやカントリーなどを演奏)

池袋、銀座、横浜などのジャズ喫茶回りをする日々を送ります。(この頃の収入は5人で月25万円)

そして、翌年の1966年には、ビートルズ初来日公演の前座に参加し、「ロング・トール・サリー(Long Tall Sally)」(放題:のっぽのサリー)を演奏。

ただ、荒井さんは、「クレイジーウエスト」時代、もともとギターをされていたにもかかわらず、ピアノに欠員が出て、急遽ピアノに転向されたため、ロカビリーのスリーコードしか弾けず、演奏できるレパートリーは数少なかったそうで、

いかりやさんは、後に、ご自身の著書に、

荒井の背の低さ(158センチ)とピアノの演奏力をチェックしなかった事が失敗だった。

と、綴られています。


(左から)荒井さん、仲本工事さん、いかりや長介さん、
加藤茶さん、高木ブーさん。

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「This is a pen!」「何だ、バカヤロウ!」が大ウケ

その後、「ザ・ドリフターズ」は、いかりやさんの方針で、徐々にコメディ色の強いバンドとなり、1969年には、「ザ・ドリフターズ」主演のバラエティ番組「8時だョ!全員集合」がスタートするのですが、荒井さんは、たちまちお笑いの才能を発揮。

威張り散らすいかりやをシラっとした目で見、無視をし、いかりやに怒られてふてくされながらギャグを言う

という「ふてぶてしい」キャラがウケたほか、

荒井さんから次々と飛び出した、

「This is a pen!」
「何だ、バカヤロウ!」
「文句あるか!」
「何見てんだよ!」

などのギャグは、観客に大ウケし、流行語になるなど、一大ブームを巻き起こし、絶大な人気を博したのでした。

(ちなみに、「何だ、バカヤロウ!」は、ピアノ担当にもかかわらず、銀盤が弾けないことを加藤さんにからかわれた時に、言い返した言葉が発端だったそうです。)

こうして、「8時だョ!全員集合」は、荒井さんの人気とともに、一躍、人気番組へと成長し、最高視聴率50.5%を叩き出すなど、人気絶頂の時を迎えていたのですが・・・

1973年6月、突然、荒井さんが、「ザ・ドリフターズ」を脱退したいと、いかりやさんに申し出たのです。

一体、荒井さんに何があったのでしょうか?

「ドリフ脱退理由は?妻は?死因は?CM?カラオケで失敗!」に続く

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