B’zは昔鳴かず飛ばずだった?13連続ミリオン!ベストは500万枚?米殿堂入り!

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デビュー後、2枚のアルバムはほとんど売れなかった「B’z」ですが、1989年に発売されたミニアルバム「BAD COMMUNICATION」がCMのタイアップで注目を集めると、3枚目のアルバム「BREAK THROUGH」が初のオリコントップ10入り。その後は、ヒット曲を連発し、1991年8枚目のシングル「LADY NAVIGATION」から13作連続ミリオンセラーを記録するなど、怪物的な大ヒットメーカーとなっています。


「B’z結成秘話!稲葉浩志と松本孝弘の出会いは?TM NETWORKと?」からの続き

TM小室哲哉のプッシュも当初は鳴かず飛ばず

松本さんと稲葉さんが、初めて出会ってから、
たった4ヶ月でデビューした「B’z」ですが、
当初は、まったく売れず、

「TM NETWORK」小室哲哉さんが、
ご自身のラジオで「B’z」を猛プッシュしてくれたり、

「TM NETWORK」のラジオイベントで、
「B’z」を呼んで、初ステージを踏ませてくれるなど、
「TM NETWORK」のバックアップもあったほか、

松本さんは、「TM NETWORK」のツアーの、
サポートメンバーを務めながら、

ツアー先で訪れた各地で、ギターセミナーと銘打って、
その後、カラオケ音源などを使って「B’z」のミニライブを開催し、

「だからその手を離して」「君の中で踊りたい」「HURRY UP!」
を演奏して、地道な営業を重ねられたそうで、
(稲葉さんもツアー先に合流されていたそうです)

松本さんと稲葉さんのお二人は、
当時を振り返って、

「(多くのファンと)握手しすぎて手から指紋が消えた」

「(お辞儀のしすぎで)一日が終わると体が”くの字”から戻らない」

と、語っておられます。

「BAD COMMUNICATION」がヒット

そんな地道な活動や小室さんらの協力が、
回りまわって功を奏したのか、
ある時、「B’z」に運が巡ってきます。

というのは、ミニアルバム「BAD COMMUNICATION」をレコーディング中、
偶然、スタジオの隣で、当時人気絶頂の宮沢りえさんが出演する、
富士通「FM TOWNS」のCM曲の制作をしていたそうで、

うまく曲ができなかったことから、
なんと、隣にいた松本さんが呼ばれると、

「松本達の新曲を持って来てくれ」

と言われたのです。

それで、まだ未完だったにもかかわらず、
「BAD COMMUNICATION」を提出すると、

制作側が「BAD COMMUNICATION」を気に入り、
CMソングとして採用されたそうで、

その後、「BAD COMMUNICATION」は注目を集め、
1989年10月、この曲が収録されたミニアルバム、
「BAD COMMUNICATION」をリリースすると、
音楽番組にも出演するようになり、ますますヒット。

BAD COMMUNICATION

オリコンチャートでは、1度もベスト10にランクインしなかったものの、
100位以内に163週もランクインするロングヒットを記録したのでした。

ちなみに、松本さんは、当時を振り返り、

「運がよかった」

と、語っておられました。

13作連続ミリオンセラーに

こうして勢いに乗った「B’z」は、
1990年2月に、サードアルバム「BREAK THROUGH」
をリリースすると、オリコン初登場3位を記録。

BREAK THROUGH

同年5月にリリースした4枚目のシングル「BE THERE」は、
シングルチャート初登場7位を記録し、

6月リリースの5枚目のシングル「太陽のKomachi Angel」は、
ついに、オリコンチャート1位を獲得。

その後も、
6thシングル「Easy Come, Easy Go!」(1990年10月3日発売)
7thシングル「愛しい人よGood Night・・・」(1990年10月24日発売)
が立て続けにヒットを連発すると、

8thシングル「LADY NAVIGATION」(1991年3月発売)
は初のミリオンセラーを達成。

さらに、なんと、ここからは、

9thシングル「ALONE」(1991年10月発売)
10thシングル「BLOWIN’」(1992年5月発売)
11thシングル「ZERO」(1992年10月発売)
12thシングル「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」(1993年3月発売)
13thシングル「裸足の女神」(1993年6月発売)
14thシングル「Don’t Leave Me」(1994年2月発売)
15thシングル「MOTEL」(1994年11月発売)
16thシングル「ねがい」(1995年5月発売)
17thシングル「love me, I love you」(1995年7月発売)
18thシングル「LOVE PHANTOM」(1995年10月発売)
19thシングル「ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE」(1996年3月発売)
20thシングル「Real Thing Shakes」(1996年5月発売)まで、

13作連続ミリオンセラーを連発されており、

中でも、
1993年3月リリースの12thシングル、
「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」は、売上202万枚、

1995年10月リリースの18thシングル、
「LOVE PHANTOM」は、売上180万枚の大ヒットを記録します。

21stシングル「FIREBALL」は、
惜しくも、ミリオンセラーとはなりませんでしたが、

それでも、その後の、
22ndシングル「Calling」(1997年7月)、
27thシングル「今夜月の見える丘に」(2000年2月)
がミリオンセラーとなり、

なんと、2018年1月現在で、
合計15作がミリオンセールスを記録。

また、1998年には、
「B’z The Best “Pleasure”」が500万枚、
「B’z The Best “Treasure”」が400万枚、
と、2枚のベストアルバムが、怪物的な大ヒットを記録したのでした。

B’z The Best“Pleasure”
B´z The Best Treasure

「ハリウッドロックウォーク」に殿堂入り

そんな「B’z」は、2000年代に入ると、
海外での活動や、海外アーティストとの共演が増え、

2001年8月「B’z LIVE-GYM in Taipei 2001」
     8月「B’z LIVE-GYM in Hong Kong 2001」
2002年9月「B’z LIVE-GYM 2002 Rock n’ California Roll 」
2003年10月「B’z LIVE-GYM 2003 BANZAI IN NORTH AMERICA」

と、2001年の台北公演を皮切りに、
香港公演や全米ライブツアー等も開催して大成功すると、

2007年には、
音楽を発展させるのに大きな貢献をしたミュージシャンを讃える、
「ハリウッドロックウォーク」に、日本、アジア圏のミュージシャンで、
初めての殿堂入りを果たされています。

ちなみに、受賞理由は、

・20年の長きに渡る活動と日本でトップのCD総売上
・ライブアーティストとしても、人気、実力、動員数などで上位
・米国でのライブツアーを成功させた実績
・過去の受賞者スティーヴ・ヴァイさんの推挙

だそうで、

ヴァイさんが、

B’zはとても才能があり、ロック・ウォークが、
彼らのような英語圏以外のアーティストに注目したのは素晴らしいこと。
心からおめでとうと言いたい。

と祝福されると、

松本さんは、

20年前にB’zを結成したときには考えられなかった。
今ここ(ハリウッド・ロック・ウォーク)に立っているんですね。

今まで経験してきた中でも特に素晴らしい瞬間です。
B’zにとっても、そして、僕個人にとっても。

このように音楽に集中出来たのも、一生懸命働いてくれたスタッフ、
応援してくれたファンの皆さんのおかげだと思います。

こうしてここにいられるのもギターセンター、
スティーヴ・ヴァイのおかげです。心から感謝します。

稲葉さんは、

今日は、来てくれてどうもありがとうございます。
ハリウッド・ロック・ウォークにこうしていられるのは、
大変光栄で、素晴らしい気分です。

20年前B’zを結成したときは想像も出来ませんでした。
スティーヴ・ヴァイ、日本のファンのみんな、
自分たちを応援してくれた全ての人たちに感謝します。アリガトウ!

と、その喜びを語っておられます。

さて、いかがでしたでしょうか?

日本の音楽界において、数多くの記録を樹立した「B’z」

ちょっとブレイクすると、すぐ解散するバンドが多い中、
解散どころか活動休止すらせず、ずっと継続して、
活動を続けられているのは、

デビュー前から綿密に計画を立て、
ユニットをグイグイ引っ張ってきた松本さんと、
素直でおとなしい稲葉さんの相性が良かったとも言えますが、

やはり、一番なのは、お二人が、
お互いの才能をリスペクトしあっているからこそ。

これからも世界に誇る日本のアーティストとして、
バリバリ頑張って欲しいですね。

応援しています!!

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