所属事務所を解雇され、芸能活動を停止せざるを得なくなった華原朋美(かはら ともみ)さんは、その後、薬物依存で精神病院の閉鎖病棟に入院されるなど、壮絶な状態になるのですが、ご家族の支えで徐々に回復すると、ついに、2012年12月、音楽特番「FNS歌謡祭」で芸能界復帰を遂げられています。


「華原朋美が所属事務所を解雇されていた!小室哲哉との破局原因は?」からの続き

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急性薬物中毒で病院に救急搬送

小室哲哉さんと別れて以降は、休養と復帰を繰り返し、
そのうえ、相次ぐ仕事の無断キャンセルが続いたことで、
ついに事務所を解雇されてしまった華原朋美さんですが、

2009年1月には、今度は、
「急性薬物中毒」で倒れ、病院に緊急搬送されてしまいます。

というのも、2009年1月17日、午前3時頃、
華原さんはタクシーに乗ったのですが、
行き先も言えず、様子がおかしかったため、
運転手が「乗客の様子がおかしい」と交番に届け出たそうで、

警察が確認したところ、意識が朦朧(もうろう)としていたことから、
華原さんは、救急車で運ばれたのでした。

そして、その際に、華原さんが、

「医師から処方された薬を飲んだ」

などとおっしゃっており、
精神安定剤を持っていたことから、

「精神安定剤の大量服用による薬物中毒」
と、当時の週刊誌に大きく報道されたのでした。

精神病院の閉鎖病棟に入院

そんな華原さんは、その後も、
精神安定剤と睡眠薬の依存が続き、

ついには、ご家族の決断で、薬物治療のため、
精神病院の閉鎖病棟に入院させられることになってしまいます。

実は、華原さんのお兄さんは、
この頃の華原さんのことを、

フラフラ下着一枚で道路に出て行ってしまうこともありました。
ラムネを食べるようにボリボリと(薬物を)服用してしまう。

とおっしゃっており、

華原さんをよく知る芸能関係者によると、

その時(事務所を解雇された後)、
家族が華原さんの部屋を訪ねたそうなんですが、

部屋はゴミ屋敷となっているし、彼女は廃人のようで、
風呂も入っていなければ、食事は薬というような状況だったそうです。

2匹の愛犬はベッドの下で怯えていたといいますから、
壮絶な光景だったんでしょうね・・・

家族は薬物依存治療のため、
華原さんを精神科病院の閉鎖病棟に入院させることを決意したんです。
ものすごい葛藤があったと思いますが、
それもすべて彼女を愛しているからこその選択でした。

とのことだったようです。

そして、いざ、華原さんを閉鎖病棟に入院させる際には、

「離せバカ野郎」

と大暴れされたそうで、お兄さんと弟さんが、
泣きながら3人がかりで押さえ込まれ、

その後、部屋の内側にドアノブがない部屋に入院させられると、

「なんでこんなところに入らなきゃいけないんだ!」

と、何度も絶叫されたそうです。

こうして、入院された華原さんは、
入院中には、ピストルを持っている人が来たり、
有名人が説得に来る幻覚を見るなど壮絶な状態だったようですが、

それでも徐々に回復されると、

「よくなった、退院する、薬はもう飲まない」

と、誓って退院。

しかし、またしても薬を飲んでしまい、
その後も、飲まないと決めては、また飲んでしまう、
というのを何度も繰り返されたのでした。

父親の住むフィリピンでボランティア活動

その後、華原さんは、

「他の人生も歩めるのかな」

と、ペットショップで働きはじめるのですが、
3,4ヶ月しか続かなかったそうで、かえって、

「やっぱり歌が好き」

という思いが強くなり、
芸能界に戻れないか、ご家族に相談。

すると、ご兄弟やお母さんからは、

解雇になった場所からスタートすることをやらなくてはいけない。
お世話になった方に恩を仇で返すようなことをしてはいけない。

と言われ、

そんな中、フィリピンで難民児童を救済するNPOを設立し、
単身フィリピンで生活をされているお父さんからは、

「頑張っていきたいと思うなら、お父さんのところにおいで」

と手を差し伸べられたそうで、

華原さんは、すぐに(2010年秋)、
お父さんを頼ってフィリピンに渡られると、
孤児院で子どもたちの世話をするボランティア活動に励まれ、

同時に、毎日、反省文など、日々のことを何度も書き留めては消す、
という作業を繰り返されたのでした。

ちなみに、華原さんは、週刊誌の取材に対し、

孤児院で子供たちのお世話をしてきました。
最初は『誰、この人?』って感じで無視されていたけど、
何度か通うと『トモミ』って呼んでくれるようになったのが嬉しかった。

お父さんが『誰かの役に立つことをしなさい』
といってくれたのがきっかけでフィリピンに行ってきたけど、
人間的に成長できるような気がする。

と、明かされています。

「プロダクション尾木」と再契約~芸能界復帰へ~

こうして、華原さんはフィリピンで1年過ごされると、
2011年10月には、お兄さんのブログで、

年内に日本に帰国して、ボイストレーニングやお芝居のお稽古など、
芸能界復帰に向けて頑張ることに決めました。

とファンへアピールされ、同年の12月頃には帰国。

帰国後は、芸能界復帰に向けて、
お兄さんが経営する介護施設を手伝いながら、
ヴォイストレーニングや体力づくりに励みます。

また、同時に、かつて所属していた事務所、
「プロダクション尾木」には、カラオケボックスで録音した、
自身の歌のCDや謝罪の手紙をお兄さんに届けてもらいます。

当初はなかなか思いは伝わらなかったそうですが、
華原さんは、そう簡単に許されることではないと理解していたため、
めげずに何度も届けられ、2012年9月頃には直談判されると、

ついに、同年12月1日、
「プロダクション尾木」と再契約が成立。

2012年12月5日には、
音楽特番「2012FNS歌謡祭」に生出演して、
「I’m proud」を歌唱され、
実に5年半ぶりに復帰を果されたのでした。

ちなみに、華原さんは、
復帰に際し、報道各社に直筆で、

世の中で苦しみ悩んでいる人たちのお役に立てないかと思うようになり、
その思いを尾木社長にぶつけたところ、お許しを頂くことが出来ました。
私には歌うことしか出来ません。最後のチャンスだとも思っています。

と、思いの丈をコメントされ、

「プロダクション尾木」の尾木徹社長は、

5年間必死に努力するひたむきな姿に胸を打たれ、
もう一度だけチャンスを与えたいと、
何度も話し合いを重ね、この度復活を決めました。

とコメントされています。

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復帰できた理由は?

ところで、度重なる無断キャンセルで、
すっかり信用を失ってしまった華原さんの、
芸能界復帰は絶望的と言われていたのですが、

見事、復帰を果たすことができたのは、
なぜでしょうか。

実は、ちょうど同時期、
「覚醒剤取締法違反」で逮捕された酒井法子さんが、
本格的に舞台復帰されることが決まっており、

芸能関係者は、

華原は法を犯したワケでもないのに5年間も贖罪をしていた。
かたや酒井は罪を犯しても執行猶予明け早々に復帰する。

華原も結局は歌、芸能界でしか生きれないのは一緒。
不公平という思いと、かわいそうという社長の親心でしょう。

と、話しています。

また、華原さんが何度も送られたCDの歌声が、
徐々に良くなっていき、5年前と遜色がなくなったこと、
そして、美貌も以前と変わらなかったことから、

いきなりの歌番組でもいけると判断され、
「FNS歌謡祭」で、華々しく復帰できたのでした。

さて、いかがでしたでしょうか?

2013年には、音楽特番「FNS歌謡祭」で、
15年ぶりに元恋人の小室哲哉さんと共演を果たし、
かつての大ヒット曲「I’m proud」「I BELIEVE」の、
2曲を歌い上げると、小室さんに歩み寄り、

今まで心配かけてすみませんでした。
これからはちゃんと前を向いて歩いていけそうです。

と声をかけ、握手をかわされた華原さん。

実は、今でも心の闇にまた入り込んでしまうのでは、
と恐れていることも明かされており、心の傷は深いようですが、

そんな華原さんだからこそ、その歌声は、
より、人々を励まし勇気づけることができるとも言えます。

これからも、その人懐っこい朋ちゃんスマイルとともに、
その美しい歌声を聴かせて欲しいですね。

応援しています!!

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