22歳の時、舞台「ええじゃないか」で主役に抜擢され、俳優デビューされると、25歳の時には、特撮テレビドラマ「ウルトラマン80」でも主人公に抜擢された、長谷川初範(はせがわ はつのり)さん。その後は、病気で休業されている期間もありましたが、36歳の時に、テレドラマ「101回目のプロポーズ」で主人公の恋敵役で再び脚光を浴びると、以降、数多くの映画、テレビドラマ、舞台に引っ張りだことなられています。

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年齢は?身長は?本名は?

長谷川さんは、1955年6月21日生まれ、
北海道紋別市のご出身、

身長173センチ、
体重71キロ、

血液型はA型、

学歴は、
横浜映画放送専門学院(現・日本映画大学)演劇科卒業、

趣味は、
音楽鑑賞、映画鑑賞、スキー、
ボディボード、カメラ、旅行、

愛称は、ショパン(「初範」の音読み)、

長谷川初範は本名です。

横浜放送映画専門学院(現在の日本映画大学)に入学

長谷川さんは、映画好きのご両親の影響から、
なんと、幼稚園時代からひとりで映画館に出かけては、
邦画や洋画などの映画を観ていたそうで、
(お父さんが営むお店が繁盛していて裕福だったそうです)

高校時代には、ロータリークラブの交換留学生として、
1年間アメリカ留学されたことをきっかけに、
日本の理解を深める映画を作りたいと思うようになり、

高校卒業後は、南カリフォルニア大学の映画科への、
留学を希望されていたのですが、

お父さんが営んでいたお店の経営が悪化してしまい、
1ドル360円の当時、到底、留学したいとは、
言えない状況になり、断念。

そこで、長谷川は、1975年(20歳)に上京されると、
映画監督の今村昌平さんが校長を務める、
横浜放送映画専門学院(現在の日本映画大学)演劇科に、
入学されたのでした。

舞台「ええじゃないか」の主演で脚光を浴びる

それでも、当初は、実家から月5万円の仕送りがあり、
学校の寮に住まれていた長谷川さんですが、
ついには、お父さんのお店が倒産。

その後は、家賃1万円の4畳半のアパートに引っ越され、
肉体労働系のアルバイトに励まれつつ、

映画学校での勉強は、もちろん、

何としても俳優としていっぱしにならなきゃいけない。

との思いで、食事や睡眠時間を削って、
映画や演劇を見ていたそうですが、

そんな長谷川さんの必死さが伝わったのか、1977年には、
今村監督の舞台「ええじゃないか」で主役の源次役に抜擢。

当時、活躍されていた藤田弓子さんの相手役だったこともあり、
長谷川さんは、一躍、脚光を浴びたのでした。


「ええじゃないか」より。

「ウルトラマン80」で矢的猛役

その後、長谷川さんは、

1977年「俺たちの祭」
1978年「飢餓海峡」
1979年「城山三郎シリーズ 素直な戦士たち」
     「熱愛一家・LOVE」


「飢餓海峡」より。長谷川さん(左)と若山富三郎さん。

など、テレビドラマに出演されると、

1980年には、特撮テレビドラマ、
ウルトラシリーズ第9作目「ウルトラマン80」で、
主人公、矢的猛役に抜擢。


「ウルトラマン80」より。

ただ、この作品は、ウルトラマンに学園ものを取り入れた、
画期的な試みから、度重なる路線変更がされて、
ストーリーに一貫性もなかったことから、
放送当時はほとんど話題にならなかったようです。
(長谷川さんの役柄は、中学校の先生。)


「ウルトラマン80」より。中央が長谷川さん。

ちなみに、長谷川さんは、2007年、
「ウルトラマンメビウス」の第41話「思い出の先生」に、
再び、矢的猛役で、27年ぶりとなるゲスト出演されているのですが、

この出演にあたり、長谷川さんは、円谷プロダクションの、
プロデューサー渋谷浩康さんから、「矢的先生への同窓会の招待状」
という手紙でオファーを受け、その熱い内容の手紙にとても感動して、
厳しいスケジュールの合間を縫い出演されたそうで、


「ウルトラマンメビウス」より。五十嵐隼士さん(左)と長谷川さん。

2010年には、「ウルトラマン80」が、
地上波で放送されてから30周年を迎えたことから、
CS放送「ファミリー劇場」で5月から放送されているのですが、

その時も、長谷川さんは、同年3月に都内で会見を開かれ、

まさかこうやって見ることになるとは。
息子を見てるようだね。

と、感慨にふけながらも、

(当時話題にならなかったことについて)
新しいテイストを目指して探り探りやっていたんだよね。

30年経っていろんなものが(世に)出てきた中で、
当時見た方にも新しい世代にも見てほしい。
普遍的なものを下手なりに練り込んでいますから。

と、アピールされています。

重度の喘息で俳優業をセーブ

ともあれ、俳優として、
順調に活動されていた長谷川さんですが、

1985年頃には、重度の喘息(ぜんそく)で体調を崩され、
いつ発作が起こってもおかしくない状況だったことから、
俳優業をセーブして治療に専念。
(引退されていたという話もあります。)

そんな中、憧れだった初代タイガーマスクの、
佐山サトルさんが出席されていたパーティに参加され、
佐山さんに病気の話をしたところ、

スクワットすれば治るよ。

と言われたそうで、

それ以来、佐山さんの道場「タイガージム」に通い、
スクワットを7ヶ月続けられると、

1987年(32歳)には、
俳優業に復帰できるまでに回復されたそうです。

ちなみに、長谷川さんは、

どうせダメなら、荒治療に出ようと。
それで、佐山サトルさんの道場に行ったら、
スクワットをやれば治るよと言ってくれて、

やり始めたら体力が戻ってきて、
45歳の時にステロイド療法が出た時にやったら、
もう15年ぐらい喘息は出てない。

とおっしゃっており、
現在は、ほぼ完治されたようです。

「101回目のプロポーズ」でブレイク!

こうして、俳優業に復帰した長谷川さんは、その後、

1988年「土曜ワイド劇場 婚約者殺し」
1989年「火曜サスペンス劇場 殺意の爪」
     「水曜グランドロマン ハラスのいた日々」

1990年 NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」
     「忠臣蔵」
     「陰影礼賛 In Prais of Shadows」
     「世にも不幸な物語」
     「月曜・女のサスペンス 霧の岬」

と、順調にテレビドラマ出演されると、

1991年には、テレビドラマ、
「101回目のプロポーズ」が記録的な大ヒットとなり、

武田鉄矢さん演じる主人公の恋敵、真壁芳之役を演じた、
長谷川さんも、たちまちブレイク。


「101回目のプロポーズ」より。浅野温子さん(左)と長谷川さん。

多くの女性が、そのダンディーな魅力に虜になり、
以降、長谷川さんは、テレビドラマ、映画、舞台ほか、
バラエティ番組などにもひっぱりだことなり、
幅広い分野で活躍されることとなったのでした。

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妻は?娘は?息子は?

そんな長谷川さんの、
気になるプライベートですが、

長谷川さんは、29歳の時に結婚され、
翌年には、男の子(太論(たいろん)くん)が誕生しています。
(娘さんはいらっしゃいません)


結婚式当時の長谷川さんと奥様♪


長谷川さんと太論くん♪

ちなみに、長谷川さんは、息子さんが赤ちゃんの時、
区役所に行って、赤ちゃんのお風呂の入れ方を習っていたほどの、
イクメンだったそうで、現在も、親子の仲はとても良いのだそうです。

さて、いかがでしたでしょうか?

長谷川さんは、2000年に、
山梨県忍野村に別荘を建てられているのですが、

なんと、設計、壁紙のデザイン、
家具(デンマーク製の薪ストーブ)など、
すべて、お一人で考えられたそうで、

60歳をまわっても、いつまでも若々しい秘訣は、
そんなお気に入りの別荘で、時々、
リフレッシュされていることなのかもしれませんね。

これからも、様々な分野での、
ご活躍を期待しています!!

https://www.youtube.com/watch?v=-g0f-qzxMXI

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