南田洋子の死因は?若い頃は?夫は長門裕之!出演ドラマ映画は?

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1951年、「大映5期ニューフェイス」に合格し、映画界に入られると、1953年、映画「十代の性典」で一躍脚光を浴びられた、南田洋子(みなみだ ようこ)さん。その後、1956年には、ヒロインを務められた映画「太陽の季節」が大ヒットし、以降、日活の看板スターとして、映画史上に残る名作に数多く出演されています。




本名は?


南田さんは、1933年3月1日、
東京市芝区(現在の東京都港区)三田生まれ、
茨城県土浦市育ち、

身長155センチ、

学歴は、
文化学院文学科卒業、

本名は、
加藤 洋子(かとう ようこ)、

だそうです。


若い頃は?映画「十代の性典」で一躍脚光!


南田さんは、1949年春(16歳)に上京し、
同年秋、新派劇の女優、初代水谷八重子さんに、
弟子入りして付き人となると、

1951年には、「大映5期ニューフェイス」の、
オーディションに合格して芸能界入り。

翌年の1952年には、
「美女と盗賊」で映画デビューされます。

その後、しばらくは端役が続くものの、
1953年、同期だった若尾文子さんと共演された、
映画「十代の性典」が大ヒットを記録したことから、


「十代の性典」より。
(左から)小田切みきさん、若尾文子さん、南田さん。


売春をする女子高校生役を演じられた南田さんは、一躍脚光を浴び、
「性典スター」と呼ばれるほどの人気者になられ、

(ただ、南田さんは、そのイメージを払拭するのに、
 とても苦労されたそうです。)

以降、「十代の性典」がシリーズ化されたほか、

1953年3月「現代処女」
     4月「母波」
     5月「続十代の性典」
     7月「新江の島悲歌」
     9月「続続十代の性典」
     10月「近世名勝負物語 血闘」
     11月「紅椿」
     12月「銭形平次捕物控 金色の狼」
       「十代の誘惑」



「新江の島悲歌」より。南田さん(左)と長谷川裕見子さん。

1954年1月「こんな別嬪みたことない」
       「落花の門」

     2月「四人の母」
     4月「五ツ木の子守唄」
     5月「こんな美男子見たことない」
       「十代の秘密」

     7月「母時鳥」
     9月「君待船」
     10月「新しき天」
     11月「近松物語」
     12月「春の渦巻」


「五ツ木の子守唄」より。北原義郎さんと南田さん。

1955年2月「お嬢さん先生」
     4月「薔薇はいくたびか」
     5月「楊貴妃」
     6月「娘の縁談」
     7月「娘の人生案内」


「お嬢さん先生」より。
南田さん(左)と市川和子さん(右)。


と、立て続けに数多くの映画に出演されたのでした。


「太陽の季節」が大ヒットし日活の看板女優に


その後、南田さんは、日活に移籍され、

1955年10月「沙羅の花の峠」
     12月「母なき子」
       「顔役」

1956年1月「丹下左膳 乾雲の巻」
       「丹下左膳 坤龍の巻」
     2月「丹下左膳 完結篇」
     5月「東京バカ踊り」


「東京バカ踊り」より。フランキー堺さんと南田さん。

と、相変わらず順調に映画に出演されているのですが、

実は、1956年の春に体調を崩して入院されており、
その時に読んだ小説「太陽の季節」(石原慎太郎さんの芥川賞受賞作)
に感銘を受け、日活の常務に映画化を進言されたそうで、

同年、それが実現した同名タイトルの映画「太陽の季節」で、
ヒロインを務められると、映画は大ヒット!

これで、すっかり、
日活の看板スターとなられた南田さんは、以降、

1956年5月「続ただひとりの人」
     8月「わが町」
     9月「隣の嫁」
     10月「餓える魂」
     11月「続・飢える魂」
1957年1月「お転婆三人姉妹 踊る太陽」
       「哀愁の園」

     2月「恋と浮気の青春手帖 街燈」
     3月「青春の抗議」
     5月「勝利者」
     7月「幕末太陽伝」
     9月「素足の娘」
     10月「美徳のよろめき」
     11月「峠」
     12月「雌花」


「雌花」より。南田さんと大岡昇平さん。

1958年1月「心と肉体の旅」
     2月「麻薬3号」
     5月「盗まれた欲情」
       「死の壁の脱出」

     7月「運河」
     9月「銀座の砂漠」
     10月「太陽をぶち落とせ」
       「影なき声」

     12月「大阪の風」
1959年1月「女を忘れろ」
     2月「仮面の女」
     3月「今日に生きる」
     4月「傷つける野獣」
       「二連銃の鉄」

     6月「海は狂っている」
     7月「世界を賭ける恋」
       「ゆがんだ月」

     8月「南国土佐を後にして」
     9月「青春蛮歌」
     10月「地獄の曲り角」
     12月「男が命を賭ける時」


「地獄の曲り角」より。葉山良二さんと南田さん。

1960年1月「傷だらけの掟」
       「やくざの詩」

     4月「渡り鳥いつまた帰る」
     6月「地図のない町」
     8月「一匹狼」
     9月「海の情事に賭けろ」
     10月「大草原の渡り鳥」
     12月「拳銃無頼帖 明日なき男」  
1961年1月「俺の血が騒ぐ」
       「豚と軍艦」

     2月「東京騎士隊」
     3月「ろくでなし稼業」
     4月「早射ち野郎」
       「用心棒稼業」

     6月「散弾銃の男」 
       「お父ちゃんは大学生」

     7月「赤い荒野」
     9月「ノサップの銃」
     11月「母あちゃん海が知ってるよ」
     12月「ずらり俺たちゃ用心棒」   

ほか、1978年頃まで、
後に映画史に残る名作に数多く出演されたのでした。

ちなみに、その後は、

1981年「ねらわれた学園」
1984年「零戦燃ゆ」
1987年「この愛の物語」
1990年「リメインズ 美しき勇者たち」
1991年「雪のコンチェルト」
1996年「極道の妻たち 危険な賭け」
2004年「理由」

に出演され、2007年3月「ひいろ」で、
最後の映画主演を務められると、

同年8月「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」
が最後の出演映画となっています。


出演ドラマ


それでは、ここで、
南田さんのテレビドラマの出演作も、
かいつまんでご紹介しましょう。

1964年「無法松の一生」
1965年「竜馬がゆく」
1966年「若者たち」
1968年「石狩平野」
1970年 NHK連続テレビ小説「虹」

1971~1972年「続・氷点」
1972年「その時がきた」
1974年「テネシーワルツ」
1976~1977年「赤い衝撃」
1977年「野菊の墓」


「赤い衝撃」より。
(左から)三浦友和さん、田村高廣さん、南田さん。


1979~1980年「風の隼人」
1980年「銭形平次」
1981年「いのち燃ゆ」
1982年 NHK連続テレビ小説「よーいドン」
1983年「花咲け花子」

1984~1985年「宮本武蔵」
1986年「セーラー服反逆同盟」
1988年「火曜サスペンス劇場『情状鑑定人』」
1989年「青春オーロラ・スピン スワンの涙」
1990年「いのち草」

1991~1994年「天までとどけ1-3」
1992年「風林火山」
1993年「セールスレディは何を見た」
1994年「江戸の用心棒 第1シリーズ」第11話
1995年「火曜サスペンス劇場『小京都ミステリー14』」

1996年「名奉行 遠山の金さん 第7シリーズ」第15話
1997年「失楽園」
1998年「火曜サスペンス劇場『小京都ミステリー23』」
1999~2003年「警視庁女性捜査班」
2001年「外科医零子」

2002年「ゴールデンボウル」
2003年「浅見光彦シリーズ」
2004年「ナースマン」
2005年「ごくせん」


「火曜サスペンス劇場『小京都ミステリー23』」より。
新克利さんと南田さん。


そして、2006年「戦国自衛隊・関ヶ原の戦い」
がテレビドラマ最後の出演作品となっています。


夫は長門裕之!子どもは?


そんな南田さんの、
気になるプライベートですが、

南田さんは、1961年、
俳優の長門裕之さんと結婚されています。


長門裕之さんと南田さん。

ただ、お二人は、映画「太陽の季節」での、
共演で知り合われているのですが、

当時、すでにスターだった南田さんに対して、
長門さんはまだ駆け出しの俳優だったため、

長門さんによると、
南田さんにあいさつにいった際には、

「あなた、ミスキャストね」

と言われたそうで、第一印象は最悪。

しかも、撮影当時、南田さんは、
靴を長門さんに、バッグを石原裕次郎さんに持たせ、

岡田真澄さんにエスコートされて、
銀座のクラブに遊びに行かれるなど、
まるで女王様のように振る舞われていたそうです。

そして、肝心のそんなお二人が、
その後どのように急接近したのかは不明なのですが、

南田さんは、親友の黒柳徹子さんに、
長門さんと結婚したいと思っていることを、
相談されていたそうで、

今でいう格差婚ということもあり、
周囲の反対はかなり大きかったようです。


「太陽の季節」より。
(左から)南田さん、石原裕次郎さん、長門裕之さん。


おしどり夫婦?


ともあれ、結婚されたお二人は、

1965年から1984年まで、
音楽番組「ミュージックフェア」で司会、

KBS京都が行っていた交通安全キャンペーン、
「かたつむり大作戦」でも、20年以上に渡り、
メインパーソナリティーを担当されるほか、
お二人そろって、バラエティ番組やCMにも出演され、

その仲睦まじいご様子から、
「おしどり夫婦」と呼ばれるようになるのですが・・・


「ミュージックフェア」より。長門さんと南田さん。


実際は「介護」「暴言暴力」「浮気」「借金」に苦しめられていた


現実は、「おしどり夫婦」としてのイメージとは裏腹に、
この結婚は、南田さんにとって苦難の連続だったようです。

というのも、結婚の翌年の1962年には、
長門さんのお父さんである、俳優の沢村国太郎さんが、
脳溢血で倒れられるのですが、

女優であった義母のマキノ智子さんが、
どうしても夫の介護をすることができず、

なんと、その後14年もの間、南田さんが、
自宅で義父の介護にあたっていたというのです。

また、それだけではなく、
夫である長門さんは浮気を繰り返し、

1985年には、妻(南田さん)への告白本として、
「洋子へ」という暴露本を出版。


洋子へ―長門裕之の愛の落書集

この本には、自身の奔放な女性関係と、
相手の実名を赤裸々に記されており、

これが問題となって、
二人で出演されていた番組やCMはすべて降板。

そのうえ、南田さんは、長門さんに、
鼓膜が破れるほどの暴力を振るわれるほか、
長門さんの借金問題などもあったそうで、

とても、「おしどり夫婦」
なんていう代物ではなかったのでした。


アルツハイマー性認知症を発症


そして、そんな南田さんには、さらに、
追い打ちをかけるように不幸が襲いかかります。

というのは、南田さんは、2006年に、
ひっそりと芸能界を引退されているのですが、

実は、南田さんは、2004年頃から、
ドラマや映画のセリフが覚えられなくなっていたというのです。

それで、長門さんがおかしいと思い、病院で検査を受けさせると、
専門医の診断は、「アルツハイマー性認知症」

やがて、南田さんの病状は、
マスコミに報じられるようになってしまい、

長門さんは、2008年10月、
夫婦ともに親友だった黒柳さんのトーク番組、
「徹子の部屋」で公表されたのですが・・・


死去


それから一年後、2009年10月17日、
南田さんは、自宅で体調を崩されると、

瞳の瞳孔が開いていたことから、
救急車で都内の病院に搬送されるのですが、

4日後の21日、「くも膜下出血」のため、
76歳で他界されたのでした。

さて、いかがでしたでしょうか?

夫、長門裕之さんの暴露本の影響でとばっちりを受け、
すっかりイメージダウンしてしまい、
順調だった仕事を全て失ってしまった南田さんですが、

後を追うように、長門さんも2011年に亡くなり、
合わせて、晩年は、その長門さんが、献身的に、
南田さんの看病をする印象を世間に与えたことで、
最終的には、おしどり夫婦のイメージを守られた形となりました。

ちなみに、南田さんが長門さんと離婚しなかったのは、
やんちゃだった長門さんを見捨てることができなかったから、
とも言われているのですが、

もし、そうなら、母親のような気持ちで、
長門さんを見守られていたのでしょうか。

いずれにせよ、お二人は、
切っても切れぬ縁だったということなのでしょうね。

南田さんのご冥福をお祈り致します。



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