1935年8月に「ためらう勿れ若人よ」で映画デビューされると、翌年の1936年には、来日中だったドイツの映画監督アーノルド・ファンクの目に留まり、日独合作映画「新しき土」のヒロインに抜擢されて、一躍スターダムに駆け上った、原節子(はら せつこ)さん。その後も、数多くの映画に出演されると、戦後には、「わが青春に悔なし」「安城家の舞踏会」でヒロインを務め、大女優の地位を確立されています。


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ハーフ?身長は?本名は?

原さんは、1920年6月17日生まれ、
神奈川県のご出身、

身長165センチ、

学歴は、
私立横浜高等女学校中退、
(現・横浜学園高等学校)

本名は、
會田 昌江(あいだ まさえ)、

ちなみに、ハーフのような顔立ちですが、
純粋な日本人です。

14歳で日活に入社

原さんは、高校2年生の時、
お姉さんのご主人で日活の映画監督だった、
熊谷久虎さんから、女優になることを勧められると、

当時、家庭の経済状況が悪化して、
高校を中退せざるを得なかったことから、

その勧めに従い、1935年4月、
「日活多摩川撮影所」へ入社。

ただ、まだ子どもっぽく、色黒で痩せていた原さんは、
すぐに入社というわけにはいかなかったそうで、

原さんの素質を見抜いていた熊谷さんの強い推薦や、
日活が新鮮な女優不足だったこともあって、
採用が決まったのだそうです。

日独合作映画「新しき土」で一躍スターダムに

こうして、原さんは、同年8月、
「ためらう勿れ若人よ」で映画デビューされ、

「ためらう勿れ若人よ」より。(左から)村田知栄子さん、
原さん、滝口新太郎さん、伊沢一郎さん。

その後も、

「深夜の太陽」
「魂を投げろ」
「緑の地平線」
「白衣の佳人」
「河内山宗俊」

「魂を投げろ」より。原さんと伊沢一郎さん。

と立て続けに映画に出演されると、

1936年には、映画「河内山宗俊」を撮影中に、
日独合作映画を製作するために来日していた、
ドイツのアーノルド・ファンク監督の目にとまり、
日独合作映画「新しき土」の主役に抜擢。

すると、映画は大ヒットを記録し、
ドイツ留学から西洋かぶれして帰国した婚約者から、
一方的に婚約を解消され、絶望のあまり、
花嫁衣装を着て自殺を試みる、

という純粋な少女の役を演じた原さんは、
一躍スターダムに駆け上ったのでした。

「新しき土」より。中央が原さん。

(ちなみに、映画は、ドイツ版と日本版両方制作され、
 日本版は伊丹万作さんが監督をされています)

ナチスと関係?

ところで、この映画は、ナチス・ドイツが製作に深く関与した、
「プロパガンダ映画」だと、当時からみなされており、

1937年3月に、ナチ党幹部の、
ヨーゼフ・ゲッベルスとアドルフ・ヒトラーが、
自ら検閲を行って、ドイツでも大ヒットを記録したことから、

原さん一行は、ナチスに招待されてドイツを訪問され、
ヒトラーやゲッペルスなどナチス一党から、
熱烈な歓迎を受けているのですが、

日本大使館主催の映画完成パーティより。
ヨーゼフ・ゲッベルス(中央左)と原さん(中央右)。

このため、原さんも、以降、ナチズムに傾倒した、
「ファシスト女優」と呼ばれるようになってしまいます。

ただ、1948年には、原さんが、

「新しき土」の映畫にもられたものは、
おそらく、その頃の政治的な深い内容があったことでしよう。

少女のわたしには、もちろん、何一つ判らず、
まるで人形のように動いていただけだったのですが。

と、おっしゃっているほか、

最近では、プロパガンダ映画という認識は誤りで、
ナチス入党を拒否し、当局の監視の対象となってしまったことから、
映画の企画を潰されるなど、キャリアの危機に瀕していた、
アーノルド・ファンクが、

当時、日本との同盟を進めていたナチスに、
日本との合作映画は政権にとって有益とアピールし、
ナチ政府の支援を受けることに成功したのではないか、
という説も出ているようです。

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「わが青春に悔なし」「安城家の舞踏会」で大女優の地位を確立

その後、原さんは、

1942年「ハワイ・マレー沖海戦」
1943年「阿片戦争」
     「決戦の大空へ」
     「望楼の決死隊」

1945年「勝利の日まで」

「決戦の大空へ」より。原さんと小高まさるさん。

など、戦時中は、どちらかというと、
国民の士気昂揚のためのヒロインとして、
数多く出演されていたのですが、

終戦後の1946年9月には、
「資生堂」のイメージガールに起用され、
戦後初の多色刷りポスターのモデルとして、
街を賑わわせると、

同年には、黒澤明監督の戦後初の作品、
「わが青春に悔なし」でヒロインに抜擢され、
逆境にめげず、たくましく生きる幸絵役を熱演。

「わが青春に悔なし」より。
(左から)藤田進さん、原さん、河野秋武さん。

また、翌年の1947年には、映画「安城家の舞踏会」で、
没落華族の次女でありながら、明るく素直に生きる令嬢、
敦子役を演じられ、映画が大ヒットするなど、

原さんは名実ともに大女優としての、
地位を確立されたのでした。

「原節子の死因は?義兄と?小津監督と?青い山脈ほか出演映画は?」に続く

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