阿南健治の年齢は?若い頃は?少年時代は?カウボーイ?ニューヨーク生活?

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高校時代、高校野球のテレビ放送で、学校代表として解説席にテレビ出演されたことがきっかけで、有名人になりたいと思われた、阿南健治(あなん けんじ)さん。高校卒業後は俳優専門学校と俳優養成所に通い、20歳で初舞台を踏まれたのですが、その後、突然、アメリカ行きを決意されます。




身長は?年齢は?本名は?


阿南さんは、1962年2月24日、
大分県竹田市生まれ、すぐに兵庫県西宮市に転居し、
小学校から高校までは尼崎市育ち、

身長170センチ、
体重65キロ、

胸囲91センチ、
胴回78センチ、

靴のサイズは26センチ、

血液型はA型、

学歴は、
兵庫県立武庫之荘高校卒業後、
東京映像芸術学院卒業、

趣味・特技は、
日本舞踊(大衆演劇仕様)、殺陣、関西弁、野球、柔道、

ちなみに、
阿南健治は本名です。


少年時代からパフォーマンス?


阿南さんは、小学2年生の時から、
お楽しみ会や転校する女の子のために、
オットセイの真似などのパフォーマンスをしていたそうで、

小学4年生の時には、お楽しみ会などで、
お芝居の台本を書き始めたそうです。
(ただ、採用はされなかったそうです。)


少年時代の阿南さん

また、その一方で、柔道に憧れて道場に通ったり、
リトルリーグにも入っていたそうですが、
いずれも特に活躍することもなく、

また、女の子にもてることもない、
軽く暗めの小年時代を過ごされたそうです(笑)


高校野球の解説席にテレビ出演


そんな阿南さんですが、高校に入ると、
前向きに自分を変えること、3年間クラブを辞めないこと、
を決意し、憧れだった野球部に入部。

ただ、結局、3年間補欠だったうえ、
3年生の時にはケガをしてしまってベンチ入りすらできなかったそうで、

その温情でか、準決勝の時、
テレビの解説者の席に学校代表としてテレビ出演。

すると、その時、アナウンサーから、

「浪花節みたいな声ですね」

と、ダミ声を指摘されたことがきっかけとなり、
テレビに憧れを抱くようになったそうで、

阿南さんは、

そのテレビ出演時の快感が、
目立ちたがり屋の俺の中のテレビへの憧れを、
知らず知らずのうちに膨らませていったのかなと思います。

と、当時を振り返っておられます。


高校時代、文化祭で熱唱する阿南さん♪

「東京映像芸術学院」「東京新社付属俳優養成所」


こうして、有名人なることに憧れを抱いた阿南さんは、
試験のない「大阪芸術大学」に、
四コマ漫画を携え、面接を受けるも不合格。

そして、次は、「日本大学芸術学部」を受験しようと必死で勉強し、
受験票まで取り寄せるも、両親の反対にあい断念するのですが、

その後、両親が、専門学校「東京映像芸術学院」と、
「東京新社付属俳優養成所」に入ることを許してくれたことから、
上京し、新聞奨学生をしながら通われたのでした。

(新聞奨学生とは、新聞社の奨学金制度を利用する学生のことで、
 学費の一部もしくは全額を新聞社が肩代わりする代わりに、
 在学中、新聞配達業務を行う制度。)


「渡辺音楽学院」で初舞台


ただ、朝が早く、自由のない新聞奨学生では、
憧れの東京生活がもったいないと思われ、
上京後4ヶ月で新聞奨学生を辞められると、

専門学校の方も、1年目の夏期制作後から、
学校に疑問を感じ始めて次第に行かなくなり、
バイトばかりの毎日に。(1年半は籍は置いていたそうです)

そんななか、唯一楽しかったのが、
「東京新社付属俳優養成所」だったそうですが、

その俳優養成所も、
お金儲けの臭いが強くなってきたため退所。

そして、別の学校を探したところ、
スクールメイツの養成所「渡辺音楽学院」が学費が安く、
入学されると、6ヶ月間基礎を学ばれた後、
ついに、20歳の時、初舞台を踏まれたのですが・・・


アメリカでカウボーイ?


阿南さんは、突然、

「このまま突っ走るより何か人生勉強を」

と思い立ち、アメリカに渡ることを決意されると、
「アメリカ」「カウボーイ」「牧場」がひらめいたそうです)

さっそくバイトに励み、
その貯めたお金で20歳の春に渡米。

ただ、「留学センター」という名の旅行会社に騙されてしまい、
カリフォルニア州バークレーで2週間途方に暮れていると、

運良く「国際農業研修機構」の一員となれたそうで、
阿南さんの希望する、”日本人のいない”、
ウィスコンシン州の小さな牧場へと行くことになり、
そこで研修生として働くことになったのでした。

そして、72時間のバス旅行を終え、牧場に着くと、
休む間もなく、すぐに過酷な肉体労働が始まり、
以降、10ヶ月間労働の日々だったそうで、



阿南さんは、当時を振り返り、

それから十ヶ月の、涙の、孤独な、「人間とは何だ!」
と問いかけ続ける、労働者の物語がこの時代でありました。

唯一ここで笑顔が出たのはクリスマスの夜ぐらいであったかな^^。

今、日記を紐解き執筆中?ではありますが、
思い出す度に辛くて、苦しくて、なかなか先に進めない私でありました。

と、明かされていることから、
とてもつらい日々だったのでしょう。

ちなみに、阿南さんが耐えられなかった最大の理由は、
牧場に馬がいなかったことかもしれない、
とおっしゃっていました♪


牛しかいなかったようですね

帰国


こうして、10ヶ月で力尽きた阿南さんは、
(牧場での契約は1年だったそうですが)

その後、牧場で貯めた500ドルで、あてもなく、
憧れのショービジネスの街ニューヨークに渡られると、

なんとか働き先を見つけて新生活をスタートし、
お芝居を観たり、ジャズ、モダン、バレエをBASIC科で踊ったりして、
小さな劇団のオーディションも受けたそうですが、

「英語を勉強してきなさい」

と言われただけで、試験にならず。

こうして、10ヶ月が過ぎた頃、
「渡辺音楽学院」時代の先輩から、

「一緒に劇団を盛り上げてくれないか」

と誘いの手紙を受け取ったそうで、

「直ぐに舞台に立てるぞ!」

との言葉に強く惹かれた阿南さんは、

今すぐ芝居がしたい、との思いから、
ただちに帰国されたのでした。

「阿南健治!昔は大衆演劇?蜷川幸雄も?三谷幸喜の東京サンシャインボーイズへ!」へ続く



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