國村隼の本名は?若い頃は?出身地は?事務所は?韓国映画コクソンで青龍賞!

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高専中退後、「大阪放送劇団付属研究所」に入所されると、1979年、NHK朝の連続テレビ小説「鮎のうた」でテレビドラマデビューされた、國村隼(くにむら じゅん)さん。その後は長らく、テレビドラマや映画で端役をされていましたが、1989年のハリウッド映画「ブラック・レイン」に、ヤクザ・佐藤の子分、吉本役に抜擢されると、同映画を観た映画関係者からオファーが増え、現在では、香港映画のほか、「キル・ビル Vol.1」(アメリカ)、「KOKORO」(ベルギー・フランス)、「哭声/コクソン」(韓国)など、様々な国の映画に出演し、国際的に活躍されています。


本名は?出身地は?事務所は?

國村さんは、1955年11月16日、
熊本県八代市生まれで、1歳の時に兵庫県尼崎市、
小学校2年生の時に大阪府大阪市に移住、

身長170センチ、

血液型はA型、

本名は、米村喜洋、

学歴は、
大阪府立工業高等専門学校中退、

趣味・特技は、
フライフィッシング(フライを自作)、

所属事務所は、
「澪スタジアム」です。

エンジニアを目指すも挫折し演劇の世界へ

國村さんは、小学校5年生の時、友達と演劇部に入られたのですが、
その後、すぐには演劇の道には進まず、

車のエンジンが好きだったことから、エンジニアを目指して、
大阪府立工業高等専門学校(現・大阪府立大学工業高等専門学校)に進学。

ただ、エンジンの設計を勉強するうちに、
自分が理系ではないと気づき、高専を中退してしまいます。

そこで、小学校時代、
同じ演劇部だった友人に電話をかけたところ、

どうせ暇だったら、昔やっていた演劇をやってみたら?

と、勧められたそうで、

「大阪放送劇団付属研究所」の試験を受けると、
見事合格し、同研究所の9期生となられたのでした。

「ガキ帝国」で映画デビュー

そして、1979年、
NHK朝の連続テレビ小説「鮎のうた」でテレビドラマデビュー、

1981年には、
「ガキ帝国」で映画デビューを果たすと、

(この映画では、國村さんは、鉄くずを盗む朝鮮人集団のリーダーを
 演じているのですが、製作資金が1000万円と乏しかったことから、
 エキストラが本物の不良だったり、電車での乱闘シーンをゲリラ撮影するなど、
 手作り感に溢れた作品となっており、國村さんにとっても、
 とても印象深い映画となっているそうです。)

その後も、テレビドラマでは、

1982年「よーいドン」
1983年「必殺仕事人IV」第5話
1984年「心はいつもラムネ色」
1985年「家族あわせ」第1話,第4話
1986年「都の風」

「必殺仕事人IV」より。つむじ風の安に扮する國村さん。(左)
右は鮎川いずみさん。

映画では、

1985年「二代目はクリスチャン」

と、出演が続くのですが、どれも端役ばかりで、

牛丼チェーン「吉野家」の深夜バイトをしながら、
生計を立てられていたのでした。

ハリウッド映画「ブラック・レイン」

しかし、そんな折、リドリー・スコット監督が、
映画「ブラック・レイン」(1989年)の撮影を、
大阪でするにあたり、オーディションをするという記事を、
事務所の社長が新聞で見つけられたそうで、

國村さんは社長に薦められオーディションを受けると、
見事、ヤクザ・佐藤(松田優作さん)の子分、吉本役に抜擢。

「ブラック・レイン」より

この映画で、國村さんは、

「ブラックレイン」はほんまに強烈な体験やった。
撮影でLAに滞在した時は、
(故・松田)優作さんがよく食事に誘ってくれて。

で、する会話といえば映画のことばっかり。
いかに自分がこの現場を楽しんでいるか、
いうのを四六時中話してました。

「常に役者というのは見られていることを意識しろよ」と教えてくれた。
優作さんが本当に命を懸けた映画というものを、
自分も本気でやってみたいと思うようになった。

と、これからも俳優で食べていこうと、
決意を固められたそうで、

俳優をやっていていいのかと悩み、ターニングポイントに来ていた。
あの時リドリー・スコットが僕を選んでくれへんかったら、
「もうええか」と思っていたかもしれない。

と、明かされています。

香港映画

その後、國村さんには、
「ブラックレイン」を見た香港映画関係者からオファーが増え、

1992年「ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌」(ジョン・ウー監督)
1994年「フル・ブラッド」(ジェフ・ラウ監督)
     「さらば英雄 愛と銃撃の彼方に」(トニー・オウ監督)
1997年「野獣の瞳」(パトリック・ウォン監督)

では、やくざのボスや殺し屋を、
迫力たっぷりに演じられ、

日本国内でも、
1991年「王手」
1993年「月はどっちに出ている」

などで、コワモテながらユーモアにあふれた演技を見せると、
徐々に國村さんの評価が高まり、

2006年には、
NHK朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」

「芋たこなんきん」より。國村さんと藤山直美さん。

2008年には、
映画「イエスタデイズ」で、

「イエスタデイズ」より。塚本高史さんと國村さん。

それぞれ、良き父親役も演じられ、
幅広い演技力で、作品を盛り上げられています。

出演ドラマ映画

それではここで、國村さんの、
出演作品の一部をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1987年「橋の上においでよ」
1988年「ダウンタウン物語」
1990年「ドラマスペシャル ドラムカン」
1995年「この指とまれ!!」
1998年「ふたつの愛」

「この指とまれ!!」より。(左から)國村さん、
藤山直美さん、三倉茉奈&三倉佳奈さん。

2000年「合い言葉は勇気」
2001年「カバチタレ!」第3話
2002年「ナースマン」
2003年「はみだし刑事情熱系」

「ナースマン」より。國村さんと伊藤俊人さん。

2004年「人間の証明」
2005年「冬の運動会」
2006年「奇跡の動物園~旭山動物園物語~」
2006~2007年 NHK朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」

2008年「あんどーなつ」
2009年「空飛ぶタイヤ」
2010年「獣医ドリトル」
2011~2012年 NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」
2013年「スターマン・この星の恋」

「カーネーション」より。國村さんと尾野真千子さん。

2014年「おやじの背中」第6話
2015年「妻と飛んだ特攻兵」
2016年「石川五右衛門」
2017年「BORDER (金城一紀)」

映画では、

1991年「王手」
1992年「ハードボイルド/新・男たちの挽歌」(香港映画)
1993年「月はどっちに出ている」
1994年「さらば英雄 愛と銃撃の彼方に」(香港映画)
1995年「平成無責任一家 東京デラックス」

1996年「通称!ピスケン」
1997年「野獣の瞳」(香港映画)
1998年「愛を乞うひと」
1999年「セカンドチャンス」

2000年「オーディション」
2001年「真夜中まで」
2002年「陽はまた昇る」
2003年「キル・ビル Vol.1」(ハリウッド映画)
2004年「海猿 ウミザル」

「キル・ビル Vol.1」より。國村さんとルーシー・リューさん。

2005年「ローレライ」
2006年「花よりもなほ」
2007年「やじきた道中 てれすこ」
2008年「シルク」(日本・フランス合作)
2009年「ジェネラル・ルージュの凱旋」

2010年「相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」
2011年「メモリーズ・コーナー」(日本・フランス合作)
2012年「月光ノ仮面」
2013年「地獄でなぜ悪い」
2014年「渇き。」

「相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」より。
(左から)國村さん、水谷豊さん、及川光博さん。

2015年「進撃の巨人」
2016年「ちはやふる」
2017年「KOKORO」(ベルギー・フランス合作)
2018年「パンク侍、斬られて候」

と、非常に数多くの作品に出演されています。

韓国映画コクソンで「青龍賞」を受賞

さて、いかがでしたでしょうか?

2017年には、韓国映画「哭声/コクソン」に出演され、
韓国の栄えある映画賞である「青龍賞」で、見事、
「男優助演賞」「人気スター賞」をダブル受賞された國村さん。

韓国人以外が同賞に輝くのは初めてだそうですが、
実は國村さんにとっても、初めてもらった映画賞だったそうで、

國村さんは、同映画に出演されたことについて、

『哭声/コクソン』という作品は、
自分の中でも、ある意味スペシャルなんです。

というのも、まず映画として今までにないものですし、
今までに経験したことのない現場、作品に携わって、
それを観ていただけるまでになったということに、
特別な思い入れがあります。

還暦を越えて肉体的にもひと回りしてから、
過去を振り返って一番キツイ現場をやったのも初めてです。

「やめてくれ」なんて、
日本の現場で一回も言ったことなかったですからね(笑)

ほかの韓国の監督さんがおっしゃっていました。
「『哭声/コクソン』の現場を韓国のスタンダードだと思わないでくれ。
ナ・ホンジンの現場が大変なだけだから!」と(笑)。

と、明かされていました。

これからも、世界を股にかけた國村さんのご活躍、
期待しています!!

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