酒井法子の生い立ちが壮絶!父親は?昔は?中国を経て碧いうさぎで再ブレイク!

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14歳の時、「’86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」「BOMB!賞」を受賞し、芸能界入りすると、1987年には、ファーストシングル「男のコになりたい」でアイドル歌手デビューされた、酒井法子(さかい のりこ)さん。以降、絶大な人気を博し、一躍トップアイドルとなられると、一時は人気が低迷するも、1990年に中国語圏に進出し日本以上の人気を獲得すると、日本でも、ヒロインを務めた、1993年「ひとつ屋根の下」、1995年「星の金貨」が大ヒットを記録し、見事、再ブレイクを果たされています。


年齢は?出身は?身長は?本名は?

酒井さんは、1971年2月14日生まれ、
福岡県福岡市のご出身、

身長157センチ、

靴のサイズは23センチ、

血液型はB型、

学歴は、
堀越高等学校卒業、

ちなみに、
酒井法子は本名です。

壮絶な幼少期!父親は?

酒井さんは、お父さんが暴力団関係者で、
酒井さんが生まれた頃、「覚せい剤所持」で服役中だったのですが、

なんと、お母さんは、寂しさからか、まだ乳児だった酒井さんを、
夫の実家がある、佐賀県の山中にある寺に置き去りにし、
若い男と駆け落ちしてしまったそうで、

酒井さんはその後、埼玉県にある、
叔母さん(父の妹)の家に引き取られ、
小学校低学年までその叔母さんに育てられたそうです。

そして、7歳の時、
ある日突然、叔母さんに、

おまえはウチの子じゃないんだよ。
本当の父親が(再婚したため)引き取りたいと言っているけど、
法子はどうしたい?

と明かされたそうで、

酒井さんは、実父と暮らすため、
故郷、福岡に戻られたのですが、

酒井さんが中学生の時には、
お父さんは離婚し、別の女性と再婚。

酒井さんは再び新しい継母と暮らすことになり、
父にも継母にも心から甘えることができない、
辛い少女時代を過ごされたのでした。

オリジナルビデオ「YUPPIE」でデビュー

そんな酒井さんは、14歳(1985年)から、
芸能界のオーディションを受け始めると、

同年10月には、資生堂主催の、
「’86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」で、
応募総数54,129名の中から、見事「BOMB!賞」を受賞され、

同年12月には、福岡市から上京し、
グラビア雑誌「Momoco」に登場。

画像は「BOMB少女倶楽部」

(実は、もともとこのコンテストに「BOMB!賞」というものはなかったのですが、
 芸能事務所サンミュージックの専務が酒井さんを見初め、
「彼女の才能を試してみたい」との希望で急遽用意されたのでした。)

翌年の1986年4月には、「Momoco」が開催したイベント、
「’86モモコ・パーティー」におけるオーディション、
「第2回 ミスモモコクラブ」「ミスVHD賞」を受賞され、
同年11月、オリジナルビデオ(VHD)「YUPPIE」を発売されています。
(これが本格的なデビューのようです)


「YUPPIE」

また、酒井さんは、同時期に放送が開始したテレビ番組、
「モモコクラブ」にもレギュラー出演し、
番組の中心メンバーとして人気を博されています。

シングル「男のコになりたい」「夢冒険」がヒット

そして、1987年2月、
1stトシングル「男のコになりたい」で、
アイドル歌手デビューされると、

「男のコになりたい」

オリコン最高6位を記録するヒットとなり、
「第18回 日本歌謡大賞」で最優秀放送音楽新人賞を受賞。

その後も、

1987年5月「渚のファンタシィ」
     8月「ノ・レ・な・いTeen-age」

と、シングルをリリースされると、

続く4枚目のシングル「夢冒険」(1987年11月発売)が、
NHKテレビアニメ「アニメ三銃士」の主題歌と、
翌年1988年の「第60回選抜高等学校野球大会」の、
入場行進曲にも選ばれてヒット。

「夢冒険」

さらに、酒井さんは、アイドル活動の傍ら、
イラストレーターや漫画家としても活動されると、

中学の時に生み出したキャラクター「のりピーちゃん」が、
「日本自動車工業会」のポスターに使われて、
キャラクターグッズをご自身のショップ「NORI-P HOUSE」で販売するなど、

当時流行したタレントショップブームの、
一翼を担われたのでした。

中国語圏で人気~日本でも「碧いうさぎ」で再ブレイク

こうして、1980年代後半には、
トップアイドルとして絶大な人気を誇った酒井さんですが、
1990年頃になると次第に人気が低迷。

そこで、酒井さんは、当時、日本の芸能界が、
まだ目を向けていなかった、中国や台湾で活動をスタートすると、
中国語圏各地において、日本以上の人気と知名度を獲得。

1992年4月には、初めての海外公演である、
中華民国台北市でのコンサートを大成功させています。

また、その後、日本でも再び運が巡ってきたのか、
1993年には、ヒロインの小雪役に起用された、
テレビドラマ「ひとつ屋根の下」が、
最高視聴率37.8%を記録する大ヒット。

「ひとつ屋根の下」より。(後列左から)酒井さん、大路恵美さん。
江口洋介さん、いしだ壱成さん、福山雅治さん、(前列が)山本耕史さん。

1995年には、テレビドラマ「星の金貨」でも、
耳と口が不自由なヒロイン倉本彩役を演じられ、
これまたドラマが大ヒット。

「星の金貨」より。
(左から)竹野内豊さん、酒井さん、大沢たかおさん。

さらには、同年5月に、同ドラマの主題歌、
「碧いうさぎ」をリリースすると、自身初のミリオンセラーを記録し、

デビュー9年目にして、初めて
「第46回NHK紅白歌合戦」に出場されると、

ドラマでの役柄に合わせて、日本手話を交えて歌い、
大きな話題となるなど、見事、再ブレイクを果たされたのですが・・・

「酒井法子の現在は?元旦那との出会いで転落!パチンコ営業?」に続く

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