石野真子の若い頃がかわいい!年齢は?本名は?実家は芦屋!

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中学1年生の時、桜田淳子さんに憧れて歌手を目指すと、高校1年生の時には、オーディション番組「スター誕生!」で、合格ライン250点をはるかに上回る530点を獲得し芸能界入りされた、石野真子(いしの まこ)さん。その後、「狼なんか怖くない」でアイドル歌手デビューされると、タレ目に八重歯というチャーミングなルックスでたちまち人気を博します。




年齢は?実家は芦屋!


石野さんは、1961年1月31日生まれ、
兵庫県芦屋市のご出身、

身長156センチ、

血液型はA型、

学歴は、
百合学院高等学校⇒堀越高等学校卒業、

趣味は、
顔料で絵葉書を描く、

ちなみに、
石野真子は本名です。


少女時代は芦屋のお嬢様


石野さんは、お父さんがビーズ製の、
ハンドバッグ製造会社の経営者で、

幼い頃は、両親を「お父様」「お母様」と呼んだり、
大型犬のセント・バーナードを飼うなど、
裕福な家庭のお嬢様として育てられたそうです。

ただ、お父さんは門限に厳しく、
中学・高校時代の門限はなんと夕方の4時半!

ホームルームが終わると即、家に帰らなければならず、
1分でも遅れると、お父さんが玄関で待ち構えており、

「どこへ行ってたんや」

と、怒られたそうです。

桜田淳子に憧れて、歌のレッスン生に


そんな石野さんですが、中学1年生の時、
好きでよく見ていたオーディション番組、
「スター誕生!」から歌手デビューされた、

白いエンジェル・ハットがトレードマークの、
桜田淳子さんの活躍をテレビで見て、

「私もあんな風にテレビに出たい」

と、思うようになり、

中学3年生の時、平尾昌晃歌謡学院大阪校
(現・平尾昌晃ミュージックスクール大阪校)
のオーディションを受けられると、見事合格。
レッスン生となられます。

(厳しかったお父さんも、「きちんとした所に通うんやったら、ええやろう」と
 歌のレッスンに通うことを許してくれたそうです。)

「スター誕生!」


そして、高校1年生の秋、
平尾昌晃歌謡学院の講師から、

本気で歌手になる気があるならオーディションを受けてみないか、
君の実力ならきっと受かると思う。

と、オーディションを受けることを勧められ、
オーディション番組「スター誕生!」に応募されると、

あれよあれよと、
予備審査と予選会を勝ち進み、

豊中市民会館で行われた本選(大阪大会)では、
(1977年2月13日にテレビ放送されています)
ダニエル・ビダルの「天使のらくがき」を歌い、
合格ライン250点に対し、余裕の280点を獲得。

さらに、阿久悠さんなどプロの審査員の得点を合計すると、
最終的には530点という高得点を獲得し、決勝進出を果たしたのでした。

(得点は、会場500点+プロの審査員100点×5人の1000点満点で、
 規定の点数に達すれば合格というルール。
 その規定の点数は出場者7人の時は250点、5人の時は300点で、
 石野さんが出場された時は7人だったため250点獲得すれば合格)



「バーニングプロダクション」と契約


そして、1977年3月23日、石野さんは、
東京後楽園ホールで行われた「スター誕生!」第20回決勝大会で、
再び、「天使のらくがき」を歌うと見事合格。

芸能事務所16社からスカウトのプラカードがあがると、
石野さんは、その中から「バーニングプロダクション」と契約し、
芸能界入りを果たされたのでした。

ちなみに、後に、石野さんは、
「バーニングプロダクション」に決めた理由を、

何かホントに素人判断なのですが、バーニングには、
先輩に郷ひろみさんがいらっしゃるから大丈夫じゃないか、
と思ったんです。

もちろん両親や周りのスタッフの方とも相談して決めましたが、
当時の事務所の専務さんから「当社はあなたを将来こういう風にしたい」
という温かいお手紙をいただき、ここだったら安心、
みたいな気がしました。

と、明かされています。

「狼なんか怖くない」でアイドル歌手デビュー


こうして、芸能界入りした石野さんは、
デビューに向けて、(お父さんの意向で)
芦屋の実家で歌のレッスンに励み、

高校2年生の夏休みには、1ヶ月間、
東京の「日本テレビ音楽学院」でレッスンを受け、

翌年の1978年3月、ついに、
ファーストシングル「狼なんか怖くない」で、
アイドル歌手としてデビュー。

すると、たちまち人気を博し、

同年6月には、
2枚目のシングル「わたしの首領(ドン)」

同年10月には、
3枚目のシングル「失恋記念日」
をリリースされ、



同年末には、
「第20回輝く!日本レコード大賞」「FNS歌謡祭」で新人賞を受賞。

その後も、

1979年1月には、4枚目のシングル「日曜日はストレンジャー」
     4月には、5枚目のシングル「プリティー・プリティー」
     7月には、6枚目のシングル「ワンダー・ブギ」
     9月には、7枚目のシングル「ジュリーがライバル」



と、立て続けにシングルをリリースされると、

1980年1月にリリースした、8枚目のシングル「春ラ!ラ!ラ!」が、
オリコンチャート16位、16万枚のセールスと、自身最大のヒット。


「春ラ!ラ!ラ!」

1980年8月には、「日本テレビ音楽祭」で、
「トップ・アイドル賞」を受賞されるなど、
名実ともにトップアイドルへと駆け上ったのでした。

そして、その後も、

1980年4月「ハートで勝負」
1980年7月「めまい」
1980年9月「彼が初恋」
1980年11月「恋のハッピー・デート」「フォギー・レイン」
1981年2月「思いっきりサンバ」
1981年4月「彩りの季節」
1981年6月「恋のサマー・ダンス」




と次々に新曲をリリースされるのですが・・・

そんな人気絶頂の真っ只中の1981年6月、
石野さんは、当時シンガーソングライターだった長渕剛さんと婚約されたことと、
8月いっぱいで引退することを発表されたのでした。

「石野真子の元旦那は長渕剛!離婚理由は?不思議な不倫?子供は?」に続く



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