あおい輝彦の本名は?若い頃はジャニーズだった!本当の解散理由は?

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1962年4月「ジャニーズ」結成メンバーに選ばれると、同年8月には芸能界デビューされた、あおい輝彦(あおい てるひこ)さん。「ジャニーズ」は、かつてない「歌って踊れるアイドル」として人気を博すのですが・・・




年齢は?身長は?本名は?


あおいさんは、1948年1月10日生まれ、
東京都杉並区のご出身、

身長170センチ、

靴のサイズは、25.5センチ、

血液型はA型、

本名(旧芸名)は、
青井輝彦(読み同じ)、

学歴は、
日本大学鶴ヶ丘高等学校
~日本大学芸術学部卒業、

趣味は、
バードウォッチング、

だそうです。


「ジャニーズ」結成


あおいさんは、1960年代初頭、
ジャニー喜多川さんが監督を務める少年野球チーム、
「ジャニーズ球団」に在籍されていたそうで、

ある日、雨で練習ができなかったことから、
ジャニーさんに連れられて、映画「ウェストサイドストーリー」
を観に行ったところ、一同、この映画を観て深く感動。

そこで、ジャニーさんは、かねてより、ミュージカルなど、
米国由来の舞台芸術に憧れを持っていたこともあり、
エンターテイメント事業を興すことを思いつかれたそうで、

1962年4月、野球チームのメンバーの中から、
あおいさん、真家宏満さん、飯野おさみさん、中谷良さんの、
4名の少年たちをメンバーとして「ジャニーズ」が結成されたのでした。



ちなみに、野球チームを命名したのはあおいさんだったそうで、
(ご本人はもう覚えていないようですが)
あおいさんは、後にジャニーさんから、

ジャニーズってつけたのはあおいくんなんだよ。
(当時)ジャニーさんが監督なんだから、
ジャニーズがいいんじゃないの。

と、言われたことを明かされています。

「歌って踊れるアイドル」として人気を博す


こうして、「ジャニーズ」は、
1962年8月、NHK「夢であいましょう」で、
歌手(当時)の田辺靖雄さんのバックを務め、
芸能界デビューすると、

1964年12月には、ファーストシングル、
「若い涙 c/w ぼくの手袋破れてる」でレコードデビュー。


「若い涙 c/w ぼくの手袋破れてる」

その後も、

1965年5月「若い夜 c/w 若いんだもん」
     6月「焔のカーブ c/w ぼくらのでっかい袋」
       「ガール・ハッピィ c/w チキン・オブ・ザ・シー」

     10月「栄光のマーチ c/w ぼくの瞳に君がいる」



と、立て続けにシングルをリリースすると、

同年、「第16回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たし、
音楽劇「三文オペラ」の劇中歌「マック・ザ・ナイフ」の、
パフォーマンスを披露。

その後も、

1966年1月「君が若者なら c/w ひとりぼっちになったとき」
     4月「泣いていたジェニー c/w 涙くんさようなら」
     5月「バットマン c/w 行け!バットマン」
     8月「おーいわーいチチチ c/w もう7時だよ」
     10月「霧の夜の哀愁 c/w 若者の帽子」
       「時計をとめて c/w 淋しさはどこから」





1967年4月「太陽のあいつ c/w ロンサムガール」
     9月「いつか何処かで c/w 素敵な恋人」
     10月「若い日本の歌 c/w 日本の朝」



と、引き続きシングルをリリースし、

「ジャニーズ」は、当時まだ珍しかった、
「歌って踊れるアイドル」として人気を博したのでした。


全米デビューも失意のうちに帰国~解散


また、1963年には、
日劇「第19回ウエスタン・カーニバル」

1965年には、
ミュージカル「焔のカーブ」など、

本物の舞台ショーにも積極的に出演され、

1966年8月には、本格的なダンスを勉強するために渡米し、
全米デビューも果たされているのですが、

制作したLPがお蔵入りとなるなど、
活動はうまくいかなかったようで、
翌年の1967年には、失意のうちに帰国。

さらに追い打ちをかけるように、
時代はグループサウンズ一色となり、

グループサウンズを意識した楽曲を発表するも、
1967年、解散となってしまったのでした。


本当の解散理由は?


ただ、この解散、本当の理由は、
「日本の芸能界との方向性の違い」
などではなかったというのです。

元メンバーの中谷さんの暴露本、
「ジャニーズの逆襲」(1989年発売)によると、
解散は、リーダーである真家さんの独断だったそうで、
その背景には驚くべき事実があったのでした。


ジャニーズの逆襲


①ジャニー喜多川によるホモ行為


まず、一つ目は、なんと、4人は、
まだ、少年野球チームのメンバーだった頃から、
ジャニーさんにホモセクハラ被害を受けていたというのです。

アマチュア時代、あおいさんたち4人は、
ジャニーさんの紹介で「新芸能学院」という芸能学校で、
歌やダンスのレッスンに励まれていたのですが、

あおいさんが学院長に、

「あんなことされて、僕の一生はおしまいです!」

と訴えたことがきっかけで、
このことが初めて学院長の知るところになると、

その後、1964年、この学院長は、ジャニーさんが、
人気の出てきたあおいさんたちを引き連れ出ていってしまったため、
未払い分の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円の支払いを求めて、
ジャニーさんを訴えているのですが、

この公判では、金銭トラブルよりも、
ジャニーさんのホモセクハラばかりが注目されることとなり、

1967年4月には、あおいさんたち「ジャニーズ」のメンバー4人も出廷し、
原告弁護士の質問責めにあってしまったそうです。

ただ、当時すでに人気アイドルだったため、
ホモ行為の被害者であることを認めるのは得策ではないと、
ジャニーさんに説き伏せられ、

「何のことか知りません」
「覚えていません」

と、嘘の証言をされたそうで、

結局、この裁判で、ジャニーさんのホモ行為が、
認定されることはなかったのでした。

②メリー喜多川さんと金銭トラブル


そして、もう一つは、ジャニーズ事務所の副社長、
メリー喜多川さんと金銭トラブル。

なんと、「ジャニーズ」の4人のメンバーは、
デビューして3年間、タダで働かされていたというのです。

そして、ようやくもらった初めてのお給料も、
たったの2万円。(現在の貨幣価値に換算すると8万円ほど)

これらのことに我慢できなくなり、「ジャニーズ」は、
リーダーである真家ひろみさんの独断で解散されたのでした。

(ちなみに、「ジャニーズ」は国民的アイドルとなっていたにもかかわらず、
 少ない給料のせいで、解散当時、4人のメンバーは貯金もなかったそうですが、
 退職金も出してもらえなかったそうで、そのうえ、それまでにかかった、
 食事代のたくあん一枚まで事細かに書かれた帳簿を見せられ、マイナスだと、
 言われたそうです。) 

「あおい輝彦の娘は?ジョーの声?あなただけほかシングルは?ドラマ映画は?」に続く



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